山口広弁護士の意見書ー米本氏は思い込みの激しい人。伊藤弁護士が本当に語ったことが記載されているとは考えられないと主張する山口広弁護士
久しぶりのブログ更新です。
しばらくブログを更新できなくて申し訳ありませんでした。
今回は、先日、後藤徹氏の元に届いたばかりの山口広弁護士の意見書をお伝えします。
当ブログでも一番反響の大きかった米本氏の陳述書に対する反論です。
この陳述書は、米本氏と伊藤芳朗弁護士の対談という形で綴られているのですが、山口広弁護士は意見書の中で、米本氏は思い込みの激しい人で、伊藤弁護士が本当に語ったことが書かれているとは考えられないという趣旨 のことを述べています。
がしかし、米本氏が山口広弁護士のいうとおり、思い込みの激しい性格で、伊藤弁護士が本当に語ったことでないことを記載したとしたら、伊藤弁護士は怒ってしまうでしょう。
何度も自身の書いた記事のことで法廷闘争を余儀無くされた米本氏が、プロの法律家を相手にそのようなリスキーなことをするとは思えません。それにわざわざインターネットで発表するはずもない。
それと、山口広弁護士は、伊藤弁護士が本当に語ったこととは思えないとおっしゃってますが、ご本人には確かめないのでしょうか?
いずれにしても伊藤弁護士が、本当のことを語ってくださることが期待されます。
1.1987年2月に、東京の弁護士約 30名が連絡会を創立して霊感商法の被害者の救済活動に取り組み始めました。そして、同年5月に全国の約 300人の弁護士が参画して全国霊感商法対策弁護士連絡会(以下「全国弁連」といいます)が創立されました。私はこの連絡会の創立・運営に携わってきたメンバーの一人であり、今日に至るまで、この全国弁連の事務局長を担当してきました。
結果として長期間関わることになった理由は、被害の深刻さとその広がりの大きさのためです。また、被害者の方々が殆ど例外なく、まじめで素直で人の話を信じやすい良い人であるため、そのような方々の悲惨な被害の実情を見るに見かねて関わり続けてきたというのも大きな理由です。
2. 25年間にもわたる全国弁連の活動の一時期、その活動の一端に関わったことのある伊藤芳朗弁議士から聞いたこととして、米本和広氏の陳述書 (甲107)が提出されました。
米本氏ついて、思い込みが激しく、自分が一度描いたストーリーに執着しすぎて、事実関係を冷静かつ公平に見て論評することが出来ない性格であり、その性格が災いして、社会に重大な害悪をもたらしていると、私は考えています。
米本氏は、自分が思い込んだことを絶対視して、客観的な事実を無視し、他の人の迷惑や被害者の心情に配慮せず、社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしていると評価しています。彼がジャーナリス卜としてよりも、カルト反対運動家的立場で取り組んだことがある、ヤマギシ会及びライフスペースといったカルト的団体の被害者の会の運営においても、彼は、反対運動に熱心に取り組んでいた方々が展開していた運動のあり方等について、自分と異なる意見を持つ人々を許容することが出来ず、激しい批判をあびせ、反対活動を結果として分裂させたり、疲弊させたりしました。米本氏は、結果として、これらの反対運動の足を引っ張り、問題の解決を阻害することを繰り返しています。これまで彼が引き起こした問題は、現在彼が惹起している霊感商法や統一協会の被害対策活動に対する妨害活動のミニ版だったど考えられます。
また、米本氏は、今日に至るまで、統一協会が一般人の心理を操作して統一協会の指示通りに考え行動するようにしむけていく統一協会の教化システムの問題(これをマインドコントロールの問題という人もいますが、この用語自体あまりに使い古され、あいまいな概念として使われてきたので、私はできるだけ用いないようにしています)を理解できなかったようです。
3. 本件訴訟とは関連がなく、また、内容が伝聞に過ぎず、事実と著しく異なるばかりでなく、悪意ある誹謗中傷にみちた甲107が、証拠として提出されること自体異様なことです。このように本件と直接関わりのない陳述書等の証拠を延々と大量に提出し続ける原告の訴訟戦術は常軌を逸していると考えています。
米本氏は自分の言説をインターネットに公表し続けています。甲107の内容もすでにネット上に公表されています。しかも、統一協会の公式ホームページや正式な機関誌にもその一部が 『被害弁連』弁護士が勇気ある告発」などと題して紹介される事態となっています。本件訴訟が真実究明のためではなく、別の目的のために提起され、追行されていることを裏付ける現象です。
そこで、最低限必要と思われる範囲で、私の認識を述べることによって、甲107の記述内容の問題点を指摘することにします。
4. 前提として、4点述べる必要があります。
第1に、全国弁連は弁護士の情報連絡のための会であって、何かを決定してその方針で各弁護士の言動を拘束するような団体や組織ではありません。様々な考え方や信念をもつ弁護士が、それぞれの考えに従って、弁護土業務を担当する過程で考え、入手した情報交換をするのが本旨の連絡会です。甲107はその前携を見誤った言説に溢れています。
従って本報告書の内容も全国弁連の統一見解といったものではなく、私個人の認識であり見解であります。
第2に、従って、統一協会信者との関わり方や脱会者との関わり方、脱会カウンセリングをなさっている牧師さんや宮村さんのような方々との交流のあり方も、弁護士によって様々ですし、それでよいと考えています。特に脱会カウンゼリングをなさっている方々は、本当に大変な犠牲を払って使命感をもって取り組んでいる方々です。それだけに、いずれの方々も実に個性的な人たちです。その一部の人の言説が納得できず、この人とは付き合わないという弁護士がいても不思議ではありません。唯一の基準は、違法な行為を看過できないことは当然の前提であり、その上で霊感商法被害抑止に有益な活動や発言か否かです。有益な活動や考え方は尊重するという基本姿勢が重要であると思っています。少なくとも、私は、弁護士やカウンセラーの方々の個性を出来るだけ尊重するように心がけて、少なくとも全国弁連の活動の中に、個人的な好き嫌いや、考え方のちがいによる反目をそのまま持ち込むことのないようにお願いしてきました。
なお、私自身は家族が統一協会信者を脱会させようとして違法な「拉致監禁」をしたり、それに牧師が加担したり、教唆するようなことはあってはならないと考えています。もとより個々の信者と家族の関係は実に多様であり、脱会をめぐる事実経過もそれぞれです。ですから、弁護士として脱会カウンセリングの実態も判らないのに、ああすべきだとかこうすべきでないなどと述べることは慎重でありたいと考えてきました。勿論、個別事案で相談されたら必要な法的アドバイスはしましたが、脱会カウンセリングのあり方に関して全国弁連として積極的に何かを決めることはしていません。
第3に、弁護士には守秘義務があります。弁護士業務の一環として受任した事件について、その内情を、米本氏のように何でもネットに発信してしまう、守秘義務の反対側の立場の人物に話すような弁護士がいることは考えられないことです。伊藤芳朗弁護士が米本氏に話したとして甲107に書かれている事柄は、全く事実に反することが多くあります。私としては、伊藤弁護士が本当に話したことが記載されているとは考えられません。
特に伊膝弁議土は、2頁11行目で、「GT氏<後藤徹氏の兄>の代理人でした」と述べたとされているのに、そのGT氏のことや、彼が原告として長年かかわってきた「青春を返せ裁判」のことについて、甲107にあるように、米本氏に対して述べたとして色々書かれていますが、これは明らかに弁護士法、弁護士職務基本規定違反であり、実際に伊藤芳朗弁護士が話したこととは考えられません。
第4に、私は本書面で甲107の記述について逐一反論するつもりはありません。その必要もないと思います。しかし、申107は、統一協会の違法な組織的活動を擁護する立場に立つものであり、統一協会による被害と少しでも抑止して被害者を救済し、新たな被害者が生じることを防ぎたいと思って活動してきた全国弁連の活動を誹謗し、中傷し、その 25年にわたる活動をおとしめる狙いに満ちており、事実にも反しています。
そこで以下では最低限必要と思われる事項に限定して反論します。
1. (1) 4頁で、ホームオブハート事件をホームオブハート組織側の代理人として活動し全面敗訴したことについて、伊藤氏は 「『カルト宗教だと負け』という裁判所の枠組みみたいなものがあって、ことごとく敗訴してしました」と述べたことになっていますが、もしそう述べたのなら深刻な認識の誤りです。
伊藤氏がホームオブハート側の依頼を受けて活動しているらしいと判った時、私は個人的に彼と会って、ホームオブハートの組織活動はかなり問題がありそうだから受任は控えた方がよいのではないかとお話ししました。彼のそれまでの活動から見ても筋を違えることになると思ったからです。しかし、残念ながら彼は聞き入れてくれませんでした。
(2) 1991、2年頃のテレビ出演をめぐる 5頁の記述は著しい事実誤認です。宮村氏が 「手配師のようなことをしていた」事実はありません。各弁護士の判断で各メディアの要請に答えていたのです。
伊藤芳朗弁護士や紀藤正樹弁護士は、特にメディア側の要請に応じて、多数回インタビュー等に答えていました。しかし、その手配を宮村氏がしていたことはありえません。伊藤弁護士も紀藤弁護士も直接メディアからの要請で出演したのであって宮村氏の紹介を受けたことはないはずです。元信者のインタビューも、宮村氏が関与して脱会した人について宮村氏がかかわることはあったと思いますが、それ以外の元信者について宮村氏が手配するなどということはあり得ません。ちなみに1992、3年当時、私自身も 10回以上、インタビューに応じたり、スタジオに赴いて、テレビ番組に出たことがありますが、宮村氏から言われたり、宮村氏の口ききで出たことは一回もありません。
霊感商法や統一協会についての報道がなされるに際して、元信者や被害者の「ナマの声」を聞きたいというメディアからの要請は私のもとにもよくあります。しかし、元信者や被害者のプライバシーもあるので、顔を伏せたり、匿名でならば、という条件で、取材に協力してもらうことが多いのが実情です。1992年8月の合同結婚式をめぐる報道の時もそうでした。そんな時、宮村氏が、元信者の何人かと話し合って、事情を知らない多くの市民に統一協会の実態を知ってもらうために、実名で顔も出して取材に応じようとしてくれたことがありました。その元信者のナマの声が大変大きな反響を呼び、統一協会の活動についての批判の声が高まったことは事実です。しかし、そのようなことがあっても、 「宮村氏はヒーローでした」という事実はあり得ません。ヒーロー(ヒロイン)は顔と名を出して事実を話してくれた元信者の方々です。
また、伊藤弁護士とが宮村氏と知り合ったのは 1991年4月の青春を返せ裁判の提訴準備をしていた 1990年秋頃であって、 1992年8月の「報道合戦の渦中」ではないはずです。
(3)私は、伊藤弁護士が宮村氏の脱会カウンセリングに直按関与したことが一度もないことを宮村氏に確認しました。ですから、伊藤氏は宮村氏の活動の実情を直接見聞して知る立場にありません。直接見聞きしていないのだから、その活動について具体的な話をできるはずがないのです。カウンセラー相互間にも人間関係があります。宮村氏と人間関係がうまく行っていないカウンセラーや信者・脱会者あるいはその家族の方々の中には、宮村氏についての偏見に満ちたうわさ話などを米本氏に話した人がいるのでしょうか。
6頁の「バンで尾行」「無理矢理車に連れ込み」「マンションに監禁」といった話は伊藤氏が本当に述べたとすれば、一体何を根拠にそう述べたのか疑問です。
(4)伊藤氏が語ったとされている7-10頁の記述も著しく事実に反します。私は、脱会カウンセリングをめぐる訴訟が起こされて以降は、改めて、関係者から脱会カウンセリングの実情について説明を受け、これら関係者に対し、違法行為と評価される可能性のある行動については控えるべきであることを発言するようにしてきました。このような脱会カウンセリングにおける違法活動を抑止すべきことについて、信者の両親等に注意を促したこともあります。脱会カウンセリングの具体的事例について聞く度に痛感することは、信者本人とその両親等親族、そしてカウンセリングを担当する牧師等カウンセラーによって、本当に考え方も、事実の推移についての評価もまちまちであって、決して一律に論じることはできないということです。なぜ、こうしなかったのかと聞くと色々な事情が出てきて、なるほどと思うことも多いのです。私は、弁護士は脱会カウンセリングに違法性があれば注意助言するべきであると考えています。しかし、軽々しくその内容に立ち入って安易に論評することは控えるべきだと考えてきました。脱会カウンセリングの態様はそれぞれの信者やその家族、そしてカウンセラーの個性や状況で本当に違うのです。一方当事者等の話だけで事実を決めつけて論評するのは誤っている、そう考えてきました。
宮村氏や日本基督教団の一部の牧師の方々との間に、意見の違いがあるのは事実だと思いますが、私はそれぞれの個性からくるものと考えて、そのような違いも尊重してきました。また、信者の家族たちによる牧師や宮村氏の活動の内容を批判する発言について、牧師や宮村氏から個人的に問いただしたこともありましたが、家族の話は牧師や宮村氏の活動や発言を歪曲していて、お互い誤解していることも多かったのです。
伊藤弁議士の話や米本氏の記憶として、私の話が 9、10頁に書かれていますが、その内容も全く事実に反します。私が伊藤弁議士に話をしたのは上記のとおりの認識について述べたのです。私の発言を米本氏か伊藤弁護士は著しく歪曲しています。
それにしても、10頁の末尾うしろの、宮村氏が高額事件を 「紀藤弁議士だけに回すということを行ってい」て、伊藤氏がこれに抗議めいたことを言ったという話は初耳です。少なくとも宮村氏が高額事件を紀藤弁護士に紹介した事実は知りませんし、紀藤弁護士だけに高額事件を紹介していた事実もないはずです。
何をもって高額とするか評価は分かれると思いますが、そもそも宮村氏が高額事件を弁護士に紹介したという事実自体、ないはずです。少なくとも誰のどんな事件なのか、事実なら明示していただきたい。
(5) 11頁に損害賠償請求手続のことがコメントされています。
11頁の「他の事件では認められないような請求も相手がカルト宗教だと安易に認められてしまう、という裁判所の傾向もあります」という記述は伊藤氏の発言とすれば明らかな事実誤認です。もし、伊藤氏が本当に発言したのであれば、とんでもない暴言です。私たちは、原告代理人として、訴訟の場で、信教の自由と人権侵害、消費者被害救済の限界がどこにあるのかということに常に配慮しつつ、宗教を契機・動機とした行為による被害救済はどこまで認められるべきかを論じつづけてきました。 「カルト宗教だと安易に認められてしまう」いう事実は明らかに誤りです。
しかも、我々は統一協会に損害賠償請求をするにあたって、末端で賠償資金を捻出するのではなく、文鮮明や統一協会本部に返金させよと要求しつづけてきました。
元信者Aさんの被害金は、 Aさんが所属していた地区組織で都合するのが統一協会内の不文律になっているようで、どうしてもその賠償資金が準備できないと、他の地区や本部から都合しているらしい(借りるのかもしれません)という実情が判ってきました。しかし、 Aさんがその賠償請求を控えると、その地区の信者の献金等の負担が軽くなることはありません。全ての信者は毎年、毎月、毎週、「摂理」という名称の「ノルマ」に追われて資金供出を迫られつづけています。 Aさんが賠償請求しないことで、 Aさんがもといた地区の資金繰りが多少とも楽になれば、その資金は本部や文鮮明のもとに献金されるか、新たな活動拠点をつくることに使われるのです。「依頼者の利益にはなっても、その負担を新たな被害者が負うことになる」という記述は、明らかに事実に反する事であり、米本氏の浅薄な認識を露呈しています。
そもそも、誰がどのカウンセラーと信頼関係があるかについて、全国弁連がとやかく言えることではありません。偶然、お願いした依頼者の件がうまく解決すれば、その後も、「あの弁護士さんならちゃんとやってくれるよ」 とその弁護士を紹介するのは、何の分野でもあることです。そこで対立があれば、「あの弁護士に頼んでもうまくいかなかった」と評され、それが他の弁護士にも伝わってしまうこともあります。
少なくとも、私にとって、霊感商法の被害回復の交渉や訴訟は大変な負担です。被害者から事実経過を聴取して、これを通知書としてまとめあげ、統一協会側に送付するまで、そして、その後交渉を重ねることは大変な負担です。
米本氏はその手続について全く理解していません。
(6)いわゆる 「東京青春を返せ訴訟」の内情らしきことを伊藤氏が語ったとして、12、 1 3、14頁に種々書かれていますが、あまりに事実に反しておりますし、原告団の内情を誤って伝えるものになっています。
原告団と弁護団の内情について述べるべきではないと思いますが、ひとつだけはっきり言えることがあります。それは裁判の取下げについてのいきさつです。
原告のかなりの方々は、早く裁判を終わらせてほしいと希望されました。
一方で、判決までがんばるべきだという原告も相当数いました。弁護団ではさんざん議論し、原告団とも論議を重ねて和解することに方針を固めました。この方針確定を待てずに裁判を取り下げた方々もいましたし、一方、裁判を中心的に担ってきた原告の中には弁護団と原告の多くが被告統一協会と和解して、その裁判を終結させるようなことは納得できないとして、そんな和解をするくらいなら裁判自体を取り下げるという方々も数名いました。このような裁判の帰趨をめぐる討議は弁護団と個々の原告ですすめたものであり、宮村氏の意向は全く関係ありません。弁護団と原告団の方々とが話し合って、和解で終わったのが東京地裁に係属した青春を返せ裁判でした。しかし、原告の皆さんと弁護団とで、 1991年 4月4日の提訴から 1999年 3月3日の裁判上の和解に至るまでの記録やその成果を書籍に残そうと話し合い、『青春を奪った統一協会』という 546頁の本を2000年10月に緑風出版から発刊することができました。
多くの元信者や私は、この刊行が、その後の全国各地の青春を返せ裁判や東京の違法伝道訴訟で勝訴を勝ち取っていく大きな下支えとなったと評価しています。
12頁のマインドコントロールについての議論も全く不正確です。伊藤氏がどう主張したかくわしい記憶はありませんが、少なくとも宮村氏が 「マインドコントロール自体が違法だと主張して」、それに賛同しない伊藤氏と議論した事実は知りません。今となっては 「マインドコントロール自体が違法だと主張」する人はいませんし、「違法な目的に対する手段として悪用されること」で違法になるという論者もいません。いずれにしても重要なのは信者として違法行為であっても、これをなすべきことと信じ込んで行なうようになる過程の評価ですが、そこに至る目的、手段、結果を総合的に判断するべきだという点は全国弁連の弁護士の共通認識になっていると思います。
(7) 12、13、14、15頁に、宮村氏がかかわる水議会やその会計のこと、全国弁連との関係などについて書かれていますが、これも著しく事実に反しています。少なくとも、伊藤弁護士が事実や推論で語ることはできないはずです。
宮村氏が水茎会を主宰している (12頁)と何を根拠に言っているのか。
私は水茎会の運営を担ってきた熱心なお父さん達から熱い思いを何回も聞いています。
自分の子が統一協会信者になってしまい、わが子を精神病患者と同一視してしまったり、韓国人に支配されるなんて許せんと叫んだり、悲嘆にくれて冷静に話せなかったりして、「こんな両親なら、子も統一協会に逃避したくなるのかもしれない」と思うような親もいます。そんな親に限って、あっちこっちの牧師等のカウンセラーや弁護士のもとに相談して、あることないことを話すのです。そんな親が信者であるわが子と話し合ってよい結果になるはずがないので、担当カウンセラーの方々が 「もっとよく勉強してから信者であるお子さんと話し合うようにした方がいい」と助言するのは当然です。それでもわが子と、 いつどこで、どんな話し合いをするかを決めるのは親だと聞いています。
もとより、宮村氏の家のお金の事情や水茎会の会計内容を、そのことに直接かかわりのない弁護士が聞くことはありません。「宮村さんに会計報告を求めた方がいい」と伊藤氏に言われた記憶はありませんし、仮にそんな意見が出たら、どうして人の財布をのぞく必要があるのかと言うでしょう。少なくとも「毎月 300万円くらいの金額を宮村氏は得ている」いう伊藤弁護士の推論は聞いていません。「こんなに多くの元信者の協力で脱会に至ったし、自分も何回も話し合いのために足を運んだのに、脱会してしまうと会費も払わないし、交通費さえも出してくれない」という非常識な信者の親たちがいる実情について、私は水茎会の方々から何回か聞いています。
(8) 15,16、17頁にJT弁議士のことが書かれています。うつ病で自殺されたJ弁護士のことについて、とのような記述まですることは許せない思いです。
J弁護士の業績や彼がさわやかな性格で真摯に取り組んでこられたことについて誰もが高く評価し、彼の死を心から悼み、追悼してきました。そのJ弁護士との真偽をまじえたプライパシーを暴いてまで、宮村氏をことさらに誹謗しようとするとの文章に、米本氏の、目的のために手段を選ばない常軌を逸した性向があらわれています。
(9)全国弁連の長きにわたる活動の中で、本当に尊敬すべきさ全国各地の弁護士の方々や統一協会問題に取り組んでこられた牧師等カクンセラーの方々、そして元信者や家族の方々と触れあい、長きにわたって苦労を共にすることができたことは何にもかえがたい私にとっての宝です。
そのような全国弁連の活動によって培ってきた成果を、米本氏の言説でおとしめられることは、私にとっては容認できないことです。
しばらくブログを更新できなくて申し訳ありませんでした。
今回は、先日、後藤徹氏の元に届いたばかりの山口広弁護士の意見書をお伝えします。
当ブログでも一番反響の大きかった米本氏の陳述書に対する反論です。
この陳述書は、米本氏と伊藤芳朗弁護士の対談という形で綴られているのですが、山口広弁護士は意見書の中で、米本氏は思い込みの激しい人で、伊藤弁護士が本当に語ったことが書かれているとは考えられないという趣旨 のことを述べています。
がしかし、米本氏が山口広弁護士のいうとおり、思い込みの激しい性格で、伊藤弁護士が本当に語ったことでないことを記載したとしたら、伊藤弁護士は怒ってしまうでしょう。
何度も自身の書いた記事のことで法廷闘争を余儀無くされた米本氏が、プロの法律家を相手にそのようなリスキーなことをするとは思えません。それにわざわざインターネットで発表するはずもない。
それと、山口広弁護士は、伊藤弁護士が本当に語ったこととは思えないとおっしゃってますが、ご本人には確かめないのでしょうか?
いずれにしても伊藤弁護士が、本当のことを語ってくださることが期待されます。
意見書
2012年10月4日
東京都新宿区新宿1-15-9 さわだビル5階
東京共同法律事務所
弁護士 山口 広
東京都新宿区新宿1-15-9 さわだビル5階
東京共同法律事務所
弁護士 山口 広
1.1987年2月に、東京の弁護士約 30名が連絡会を創立して霊感商法の被害者の救済活動に取り組み始めました。そして、同年5月に全国の約 300人の弁護士が参画して全国霊感商法対策弁護士連絡会(以下「全国弁連」といいます)が創立されました。私はこの連絡会の創立・運営に携わってきたメンバーの一人であり、今日に至るまで、この全国弁連の事務局長を担当してきました。
結果として長期間関わることになった理由は、被害の深刻さとその広がりの大きさのためです。また、被害者の方々が殆ど例外なく、まじめで素直で人の話を信じやすい良い人であるため、そのような方々の悲惨な被害の実情を見るに見かねて関わり続けてきたというのも大きな理由です。
2. 25年間にもわたる全国弁連の活動の一時期、その活動の一端に関わったことのある伊藤芳朗弁議士から聞いたこととして、米本和広氏の陳述書 (甲107)が提出されました。
米本氏ついて、思い込みが激しく、自分が一度描いたストーリーに執着しすぎて、事実関係を冷静かつ公平に見て論評することが出来ない性格であり、その性格が災いして、社会に重大な害悪をもたらしていると、私は考えています。
米本氏は、自分が思い込んだことを絶対視して、客観的な事実を無視し、他の人の迷惑や被害者の心情に配慮せず、社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしていると評価しています。彼がジャーナリス卜としてよりも、カルト反対運動家的立場で取り組んだことがある、ヤマギシ会及びライフスペースといったカルト的団体の被害者の会の運営においても、彼は、反対運動に熱心に取り組んでいた方々が展開していた運動のあり方等について、自分と異なる意見を持つ人々を許容することが出来ず、激しい批判をあびせ、反対活動を結果として分裂させたり、疲弊させたりしました。米本氏は、結果として、これらの反対運動の足を引っ張り、問題の解決を阻害することを繰り返しています。これまで彼が引き起こした問題は、現在彼が惹起している霊感商法や統一協会の被害対策活動に対する妨害活動のミニ版だったど考えられます。
また、米本氏は、今日に至るまで、統一協会が一般人の心理を操作して統一協会の指示通りに考え行動するようにしむけていく統一協会の教化システムの問題(これをマインドコントロールの問題という人もいますが、この用語自体あまりに使い古され、あいまいな概念として使われてきたので、私はできるだけ用いないようにしています)を理解できなかったようです。
3. 本件訴訟とは関連がなく、また、内容が伝聞に過ぎず、事実と著しく異なるばかりでなく、悪意ある誹謗中傷にみちた甲107が、証拠として提出されること自体異様なことです。このように本件と直接関わりのない陳述書等の証拠を延々と大量に提出し続ける原告の訴訟戦術は常軌を逸していると考えています。
米本氏は自分の言説をインターネットに公表し続けています。甲107の内容もすでにネット上に公表されています。しかも、統一協会の公式ホームページや正式な機関誌にもその一部が 『被害弁連』弁護士が勇気ある告発」などと題して紹介される事態となっています。本件訴訟が真実究明のためではなく、別の目的のために提起され、追行されていることを裏付ける現象です。
そこで、最低限必要と思われる範囲で、私の認識を述べることによって、甲107の記述内容の問題点を指摘することにします。
4. 前提として、4点述べる必要があります。
第1に、全国弁連は弁護士の情報連絡のための会であって、何かを決定してその方針で各弁護士の言動を拘束するような団体や組織ではありません。様々な考え方や信念をもつ弁護士が、それぞれの考えに従って、弁護土業務を担当する過程で考え、入手した情報交換をするのが本旨の連絡会です。甲107はその前携を見誤った言説に溢れています。
従って本報告書の内容も全国弁連の統一見解といったものではなく、私個人の認識であり見解であります。
第2に、従って、統一協会信者との関わり方や脱会者との関わり方、脱会カウンセリングをなさっている牧師さんや宮村さんのような方々との交流のあり方も、弁護士によって様々ですし、それでよいと考えています。特に脱会カウンゼリングをなさっている方々は、本当に大変な犠牲を払って使命感をもって取り組んでいる方々です。それだけに、いずれの方々も実に個性的な人たちです。その一部の人の言説が納得できず、この人とは付き合わないという弁護士がいても不思議ではありません。唯一の基準は、違法な行為を看過できないことは当然の前提であり、その上で霊感商法被害抑止に有益な活動や発言か否かです。有益な活動や考え方は尊重するという基本姿勢が重要であると思っています。少なくとも、私は、弁護士やカウンセラーの方々の個性を出来るだけ尊重するように心がけて、少なくとも全国弁連の活動の中に、個人的な好き嫌いや、考え方のちがいによる反目をそのまま持ち込むことのないようにお願いしてきました。
なお、私自身は家族が統一協会信者を脱会させようとして違法な「拉致監禁」をしたり、それに牧師が加担したり、教唆するようなことはあってはならないと考えています。もとより個々の信者と家族の関係は実に多様であり、脱会をめぐる事実経過もそれぞれです。ですから、弁護士として脱会カウンセリングの実態も判らないのに、ああすべきだとかこうすべきでないなどと述べることは慎重でありたいと考えてきました。勿論、個別事案で相談されたら必要な法的アドバイスはしましたが、脱会カウンセリングのあり方に関して全国弁連として積極的に何かを決めることはしていません。
第3に、弁護士には守秘義務があります。弁護士業務の一環として受任した事件について、その内情を、米本氏のように何でもネットに発信してしまう、守秘義務の反対側の立場の人物に話すような弁護士がいることは考えられないことです。伊藤芳朗弁護士が米本氏に話したとして甲107に書かれている事柄は、全く事実に反することが多くあります。私としては、伊藤弁護士が本当に話したことが記載されているとは考えられません。
特に伊膝弁議土は、2頁11行目で、「GT氏<後藤徹氏の兄>の代理人でした」と述べたとされているのに、そのGT氏のことや、彼が原告として長年かかわってきた「青春を返せ裁判」のことについて、甲107にあるように、米本氏に対して述べたとして色々書かれていますが、これは明らかに弁護士法、弁護士職務基本規定違反であり、実際に伊藤芳朗弁護士が話したこととは考えられません。
第4に、私は本書面で甲107の記述について逐一反論するつもりはありません。その必要もないと思います。しかし、申107は、統一協会の違法な組織的活動を擁護する立場に立つものであり、統一協会による被害と少しでも抑止して被害者を救済し、新たな被害者が生じることを防ぎたいと思って活動してきた全国弁連の活動を誹謗し、中傷し、その 25年にわたる活動をおとしめる狙いに満ちており、事実にも反しています。
そこで以下では最低限必要と思われる事項に限定して反論します。
1. (1) 4頁で、ホームオブハート事件をホームオブハート組織側の代理人として活動し全面敗訴したことについて、伊藤氏は 「『カルト宗教だと負け』という裁判所の枠組みみたいなものがあって、ことごとく敗訴してしました」と述べたことになっていますが、もしそう述べたのなら深刻な認識の誤りです。
伊藤氏がホームオブハート側の依頼を受けて活動しているらしいと判った時、私は個人的に彼と会って、ホームオブハートの組織活動はかなり問題がありそうだから受任は控えた方がよいのではないかとお話ししました。彼のそれまでの活動から見ても筋を違えることになると思ったからです。しかし、残念ながら彼は聞き入れてくれませんでした。
(2) 1991、2年頃のテレビ出演をめぐる 5頁の記述は著しい事実誤認です。宮村氏が 「手配師のようなことをしていた」事実はありません。各弁護士の判断で各メディアの要請に答えていたのです。
伊藤芳朗弁護士や紀藤正樹弁護士は、特にメディア側の要請に応じて、多数回インタビュー等に答えていました。しかし、その手配を宮村氏がしていたことはありえません。伊藤弁護士も紀藤弁護士も直接メディアからの要請で出演したのであって宮村氏の紹介を受けたことはないはずです。元信者のインタビューも、宮村氏が関与して脱会した人について宮村氏がかかわることはあったと思いますが、それ以外の元信者について宮村氏が手配するなどということはあり得ません。ちなみに1992、3年当時、私自身も 10回以上、インタビューに応じたり、スタジオに赴いて、テレビ番組に出たことがありますが、宮村氏から言われたり、宮村氏の口ききで出たことは一回もありません。
霊感商法や統一協会についての報道がなされるに際して、元信者や被害者の「ナマの声」を聞きたいというメディアからの要請は私のもとにもよくあります。しかし、元信者や被害者のプライバシーもあるので、顔を伏せたり、匿名でならば、という条件で、取材に協力してもらうことが多いのが実情です。1992年8月の合同結婚式をめぐる報道の時もそうでした。そんな時、宮村氏が、元信者の何人かと話し合って、事情を知らない多くの市民に統一協会の実態を知ってもらうために、実名で顔も出して取材に応じようとしてくれたことがありました。その元信者のナマの声が大変大きな反響を呼び、統一協会の活動についての批判の声が高まったことは事実です。しかし、そのようなことがあっても、 「宮村氏はヒーローでした」という事実はあり得ません。ヒーロー(ヒロイン)は顔と名を出して事実を話してくれた元信者の方々です。
また、伊藤弁護士とが宮村氏と知り合ったのは 1991年4月の青春を返せ裁判の提訴準備をしていた 1990年秋頃であって、 1992年8月の「報道合戦の渦中」ではないはずです。
(3)私は、伊藤弁護士が宮村氏の脱会カウンセリングに直按関与したことが一度もないことを宮村氏に確認しました。ですから、伊藤氏は宮村氏の活動の実情を直接見聞して知る立場にありません。直接見聞きしていないのだから、その活動について具体的な話をできるはずがないのです。カウンセラー相互間にも人間関係があります。宮村氏と人間関係がうまく行っていないカウンセラーや信者・脱会者あるいはその家族の方々の中には、宮村氏についての偏見に満ちたうわさ話などを米本氏に話した人がいるのでしょうか。
6頁の「バンで尾行」「無理矢理車に連れ込み」「マンションに監禁」といった話は伊藤氏が本当に述べたとすれば、一体何を根拠にそう述べたのか疑問です。
(4)伊藤氏が語ったとされている7-10頁の記述も著しく事実に反します。私は、脱会カウンセリングをめぐる訴訟が起こされて以降は、改めて、関係者から脱会カウンセリングの実情について説明を受け、これら関係者に対し、違法行為と評価される可能性のある行動については控えるべきであることを発言するようにしてきました。このような脱会カウンセリングにおける違法活動を抑止すべきことについて、信者の両親等に注意を促したこともあります。脱会カウンセリングの具体的事例について聞く度に痛感することは、信者本人とその両親等親族、そしてカウンセリングを担当する牧師等カウンセラーによって、本当に考え方も、事実の推移についての評価もまちまちであって、決して一律に論じることはできないということです。なぜ、こうしなかったのかと聞くと色々な事情が出てきて、なるほどと思うことも多いのです。私は、弁護士は脱会カウンセリングに違法性があれば注意助言するべきであると考えています。しかし、軽々しくその内容に立ち入って安易に論評することは控えるべきだと考えてきました。脱会カウンセリングの態様はそれぞれの信者やその家族、そしてカウンセラーの個性や状況で本当に違うのです。一方当事者等の話だけで事実を決めつけて論評するのは誤っている、そう考えてきました。
宮村氏や日本基督教団の一部の牧師の方々との間に、意見の違いがあるのは事実だと思いますが、私はそれぞれの個性からくるものと考えて、そのような違いも尊重してきました。また、信者の家族たちによる牧師や宮村氏の活動の内容を批判する発言について、牧師や宮村氏から個人的に問いただしたこともありましたが、家族の話は牧師や宮村氏の活動や発言を歪曲していて、お互い誤解していることも多かったのです。
伊藤弁議士の話や米本氏の記憶として、私の話が 9、10頁に書かれていますが、その内容も全く事実に反します。私が伊藤弁議士に話をしたのは上記のとおりの認識について述べたのです。私の発言を米本氏か伊藤弁護士は著しく歪曲しています。
それにしても、10頁の末尾うしろの、宮村氏が高額事件を 「紀藤弁議士だけに回すということを行ってい」て、伊藤氏がこれに抗議めいたことを言ったという話は初耳です。少なくとも宮村氏が高額事件を紀藤弁護士に紹介した事実は知りませんし、紀藤弁護士だけに高額事件を紹介していた事実もないはずです。
何をもって高額とするか評価は分かれると思いますが、そもそも宮村氏が高額事件を弁護士に紹介したという事実自体、ないはずです。少なくとも誰のどんな事件なのか、事実なら明示していただきたい。
(5) 11頁に損害賠償請求手続のことがコメントされています。
11頁の「他の事件では認められないような請求も相手がカルト宗教だと安易に認められてしまう、という裁判所の傾向もあります」という記述は伊藤氏の発言とすれば明らかな事実誤認です。もし、伊藤氏が本当に発言したのであれば、とんでもない暴言です。私たちは、原告代理人として、訴訟の場で、信教の自由と人権侵害、消費者被害救済の限界がどこにあるのかということに常に配慮しつつ、宗教を契機・動機とした行為による被害救済はどこまで認められるべきかを論じつづけてきました。 「カルト宗教だと安易に認められてしまう」いう事実は明らかに誤りです。
しかも、我々は統一協会に損害賠償請求をするにあたって、末端で賠償資金を捻出するのではなく、文鮮明や統一協会本部に返金させよと要求しつづけてきました。
元信者Aさんの被害金は、 Aさんが所属していた地区組織で都合するのが統一協会内の不文律になっているようで、どうしてもその賠償資金が準備できないと、他の地区や本部から都合しているらしい(借りるのかもしれません)という実情が判ってきました。しかし、 Aさんがその賠償請求を控えると、その地区の信者の献金等の負担が軽くなることはありません。全ての信者は毎年、毎月、毎週、「摂理」という名称の「ノルマ」に追われて資金供出を迫られつづけています。 Aさんが賠償請求しないことで、 Aさんがもといた地区の資金繰りが多少とも楽になれば、その資金は本部や文鮮明のもとに献金されるか、新たな活動拠点をつくることに使われるのです。「依頼者の利益にはなっても、その負担を新たな被害者が負うことになる」という記述は、明らかに事実に反する事であり、米本氏の浅薄な認識を露呈しています。
そもそも、誰がどのカウンセラーと信頼関係があるかについて、全国弁連がとやかく言えることではありません。偶然、お願いした依頼者の件がうまく解決すれば、その後も、「あの弁護士さんならちゃんとやってくれるよ」 とその弁護士を紹介するのは、何の分野でもあることです。そこで対立があれば、「あの弁護士に頼んでもうまくいかなかった」と評され、それが他の弁護士にも伝わってしまうこともあります。
少なくとも、私にとって、霊感商法の被害回復の交渉や訴訟は大変な負担です。被害者から事実経過を聴取して、これを通知書としてまとめあげ、統一協会側に送付するまで、そして、その後交渉を重ねることは大変な負担です。
米本氏はその手続について全く理解していません。
(6)いわゆる 「東京青春を返せ訴訟」の内情らしきことを伊藤氏が語ったとして、12、 1 3、14頁に種々書かれていますが、あまりに事実に反しておりますし、原告団の内情を誤って伝えるものになっています。
原告団と弁護団の内情について述べるべきではないと思いますが、ひとつだけはっきり言えることがあります。それは裁判の取下げについてのいきさつです。
原告のかなりの方々は、早く裁判を終わらせてほしいと希望されました。
一方で、判決までがんばるべきだという原告も相当数いました。弁護団ではさんざん議論し、原告団とも論議を重ねて和解することに方針を固めました。この方針確定を待てずに裁判を取り下げた方々もいましたし、一方、裁判を中心的に担ってきた原告の中には弁護団と原告の多くが被告統一協会と和解して、その裁判を終結させるようなことは納得できないとして、そんな和解をするくらいなら裁判自体を取り下げるという方々も数名いました。このような裁判の帰趨をめぐる討議は弁護団と個々の原告ですすめたものであり、宮村氏の意向は全く関係ありません。弁護団と原告団の方々とが話し合って、和解で終わったのが東京地裁に係属した青春を返せ裁判でした。しかし、原告の皆さんと弁護団とで、 1991年 4月4日の提訴から 1999年 3月3日の裁判上の和解に至るまでの記録やその成果を書籍に残そうと話し合い、『青春を奪った統一協会』という 546頁の本を2000年10月に緑風出版から発刊することができました。
多くの元信者や私は、この刊行が、その後の全国各地の青春を返せ裁判や東京の違法伝道訴訟で勝訴を勝ち取っていく大きな下支えとなったと評価しています。
12頁のマインドコントロールについての議論も全く不正確です。伊藤氏がどう主張したかくわしい記憶はありませんが、少なくとも宮村氏が 「マインドコントロール自体が違法だと主張して」、それに賛同しない伊藤氏と議論した事実は知りません。今となっては 「マインドコントロール自体が違法だと主張」する人はいませんし、「違法な目的に対する手段として悪用されること」で違法になるという論者もいません。いずれにしても重要なのは信者として違法行為であっても、これをなすべきことと信じ込んで行なうようになる過程の評価ですが、そこに至る目的、手段、結果を総合的に判断するべきだという点は全国弁連の弁護士の共通認識になっていると思います。
(7) 12、13、14、15頁に、宮村氏がかかわる水議会やその会計のこと、全国弁連との関係などについて書かれていますが、これも著しく事実に反しています。少なくとも、伊藤弁護士が事実や推論で語ることはできないはずです。
宮村氏が水茎会を主宰している (12頁)と何を根拠に言っているのか。
私は水茎会の運営を担ってきた熱心なお父さん達から熱い思いを何回も聞いています。
自分の子が統一協会信者になってしまい、わが子を精神病患者と同一視してしまったり、韓国人に支配されるなんて許せんと叫んだり、悲嘆にくれて冷静に話せなかったりして、「こんな両親なら、子も統一協会に逃避したくなるのかもしれない」と思うような親もいます。そんな親に限って、あっちこっちの牧師等のカウンセラーや弁護士のもとに相談して、あることないことを話すのです。そんな親が信者であるわが子と話し合ってよい結果になるはずがないので、担当カウンセラーの方々が 「もっとよく勉強してから信者であるお子さんと話し合うようにした方がいい」と助言するのは当然です。それでもわが子と、 いつどこで、どんな話し合いをするかを決めるのは親だと聞いています。
もとより、宮村氏の家のお金の事情や水茎会の会計内容を、そのことに直接かかわりのない弁護士が聞くことはありません。「宮村さんに会計報告を求めた方がいい」と伊藤氏に言われた記憶はありませんし、仮にそんな意見が出たら、どうして人の財布をのぞく必要があるのかと言うでしょう。少なくとも「毎月 300万円くらいの金額を宮村氏は得ている」いう伊藤弁護士の推論は聞いていません。「こんなに多くの元信者の協力で脱会に至ったし、自分も何回も話し合いのために足を運んだのに、脱会してしまうと会費も払わないし、交通費さえも出してくれない」という非常識な信者の親たちがいる実情について、私は水茎会の方々から何回か聞いています。
(8) 15,16、17頁にJT弁議士のことが書かれています。うつ病で自殺されたJ弁護士のことについて、とのような記述まですることは許せない思いです。
J弁護士の業績や彼がさわやかな性格で真摯に取り組んでこられたことについて誰もが高く評価し、彼の死を心から悼み、追悼してきました。そのJ弁護士との真偽をまじえたプライパシーを暴いてまで、宮村氏をことさらに誹謗しようとするとの文章に、米本氏の、目的のために手段を選ばない常軌を逸した性向があらわれています。
(9)全国弁連の長きにわたる活動の中で、本当に尊敬すべきさ全国各地の弁護士の方々や統一協会問題に取り組んでこられた牧師等カクンセラーの方々、そして元信者や家族の方々と触れあい、長きにわたって苦労を共にすることができたことは何にもかえがたい私にとっての宝です。
そのような全国弁連の活動によって培ってきた成果を、米本氏の言説でおとしめられることは、私にとっては容認できないことです。
以上
2012-10-06(Sat)
トラックバック
決めつけないで。
山口広弁護士には、献金返金請求でお世話になりました。
山口広弁護士とのやり取りの中で、私の入信、献金、物品購入の動機は聞かれた記憶がありません。
どういう言葉と経緯があって、お金を支払ったのか、物を購入したかは、返金請求には重要なはずなのに、山口広弁護士はただ、被害額、名目を書くように言われました。
購入した物品を見ることもなかったです。
一度はごねた統一教会でしたが、結局応じました。
私は献金返金請求には、疑問がありました。マインドコントロールされていたにしろ、自分の意思でしたからです。ただ、祝福の渡航費と貸したお金だけを返してもらえばよかったです。
それでも返金請求したのは、色々事情があったわけで・・最終的には貰えるお金なら貰っておこう!という邪な気持ちからです。
他の元信者とどの位会話したかわかりませんが、私は2.3回位打ち合わせに行ったのみ。話す内容も献金のことのみ。
それで、私の性格がわかりましたか?
真面目で人の話しを信じ込みやすい、って、信者はこういう人って決めつけてませんか?
山口広弁護士とのやり取りの中で、私の入信、献金、物品購入の動機は聞かれた記憶がありません。
どういう言葉と経緯があって、お金を支払ったのか、物を購入したかは、返金請求には重要なはずなのに、山口広弁護士はただ、被害額、名目を書くように言われました。
購入した物品を見ることもなかったです。
一度はごねた統一教会でしたが、結局応じました。
私は献金返金請求には、疑問がありました。マインドコントロールされていたにしろ、自分の意思でしたからです。ただ、祝福の渡航費と貸したお金だけを返してもらえばよかったです。
それでも返金請求したのは、色々事情があったわけで・・最終的には貰えるお金なら貰っておこう!という邪な気持ちからです。
他の元信者とどの位会話したかわかりませんが、私は2.3回位打ち合わせに行ったのみ。話す内容も献金のことのみ。
それで、私の性格がわかりましたか?
真面目で人の話しを信じ込みやすい、って、信者はこういう人って決めつけてませんか?
…はず、って?
待ってました~~~。
記事の更新、心から感謝いたします。
<…だったと考えられます>
<…ようです>
<…とは考えられません>
<…はずです>
<…と思います>
<…だと聞いています>
<記憶はありません>
山口広弁護士の「意見書」は反論になってませんね。
たぶん、こうじゃないか、みたいな“感想”“意見”の羅列です。
よほど、分が悪いんでしょう。
一応、反論しておかないと、拉致監禁を認めたことになるんで、しかたなく、思いつくままに文章にした、って感じですね。
山口弁護士は、<全国弁連は…各弁護士の言動を拘束するような団体や組織ではありません>と言いながら、伊藤弁護士については<明らかな事実誤認><とんでもない暴言>と、発言そのものを否定しています。矛盾もいいとこです。
頭の中がコテコテの反統一思想で凝り固まっているので、もはや冷静・客観的に見聞きしたものを正直に証言する、ってことは、できない(やらない)ですね~、山口弁護士は。
記事の更新、心から感謝いたします。
<…だったと考えられます>
<…ようです>
<…とは考えられません>
<…はずです>
<…と思います>
<…だと聞いています>
<記憶はありません>
山口広弁護士の「意見書」は反論になってませんね。
たぶん、こうじゃないか、みたいな“感想”“意見”の羅列です。
よほど、分が悪いんでしょう。
一応、反論しておかないと、拉致監禁を認めたことになるんで、しかたなく、思いつくままに文章にした、って感じですね。
山口弁護士は、<全国弁連は…各弁護士の言動を拘束するような団体や組織ではありません>と言いながら、伊藤弁護士については<明らかな事実誤認><とんでもない暴言>と、発言そのものを否定しています。矛盾もいいとこです。
頭の中がコテコテの反統一思想で凝り固まっているので、もはや冷静・客観的に見聞きしたものを正直に証言する、ってことは、できない(やらない)ですね~、山口弁護士は。
記憶障害にはまだ早すぎッ
意見書のポイントは、冒頭の数行にある。
<25年間にもわたる全国弁連の活動の一時期、その活動の一端に関わったことのある伊藤芳朗弁議士から聞いたこととして、米本和広氏の陳述書 (甲107)が提出されました>
「聞いたこととして」
なかなか含意ある言葉である。「聞いたかどうか疑わしい」という意味が含まれているからだ。これを、「聞いたことはないはず」と書いた場合はどうなるのか。その後にそれを覆すような証拠を私が提出すれば、山口広弁護士の、今回の意見書はもとより、これまでのすべての主張(準備書面)が信用性の点で総崩れになってしまう。
それゆえ、かなり工夫した表現だと思いましたとさ。
意見書の構造はこうなっている。甲107は伊藤弁護士から聞いたかどうか疑わしいもので、米本の意図的・恣意的な言説ではないのか。
では、米本の言説は正しいのかとなるわけで、結局のところ、私への個人攻撃と相成るのである。
<米本氏ついて、思い込みが激しく、自分が一度描いたストーリーに執着しすぎて、事実関係を冷静かつ公平に見て論評することが出来ない性格であり、その性格が災いして、社会に重大な害悪をもたらしていると、私は考えています。
米本氏は、自分が思い込んだことを絶対視して、客観的な事実を無視し、他の人の迷惑や被害者の心情に配慮せず、社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしていると評価しています>
ヒェ~、バタン、死んだ。
この一文を読まれた方は、米本はなんと偏頗的な性格の持ち主と思われるだろう。山口氏の狙いは、裁判官にそのような心証を植えつけようとしているのである。意見書ゆえ、陳述書と違って、証拠価値はさほどにはないが、それでも、裁判官の頭に「米本という人は思い込みが激しいのか」ということがインプットされる。
※裁判員制度が導入されようとしたとき、識者は裁判員が新聞記事に影響されないか心配する声があがっていた。そのことを想起すればいい。
山口氏は意見書が裁判官に何らかの影響を与えることを狙って、書いたものなのである。
彼のことを真実を追及するリーガルプロフェッショナルではなく、勝つためなら何だってする裁判ゲームの達人と評したことがあるが、今回の意見書がまさにそうである。恐るべし、山口。
ヒェ~、バタンと死んだのだが、何だかオカシイぞと思い、生き返りましたとさ。
その1・私は、南山大学の宗教学の教授と元オウム信者の3人で、カルト学習会を催していた。確か2000年から2年間にわたって月1回。山口氏は常連出席者だった。
勉強のあとは懇親会。彼とはよく席を隣にして、杯を交わしながら、情報交換し、談笑した。
山口さんは「社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしていると評価している」私と、よくぞ、杯を交わし、情報交換されていたものだ。まさにひぇ~である。
その2・彼が私のことを最初に評価したのは、2004年末のことだったと記憶する。
水面下で行われていた拉致監禁のことを私が暴露したのは、2004年11月号の月刊『現代』で発表した「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」だった。
反統一教会にとって衝撃的なルポだったらしく、山口氏は『全国弁連通信』で「お粗末な米本論文」と酷評した。
このコラム書評については小生のブログ「弁護士山口氏のコラムを評す!」(カテゴリー)で詳述したので省略するが、末尾近くに、こう書かれている。
「彼のジャーナリストとしての根性やこれまでの業績については高く評価していた。しかし、たいへん残念だが、この論文についてはそうコメントするしかない」
ひぇ~!
「彼は、社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしているジャーナリスト」と書くべきでしたね、山口さんちの広さん。
その3・<彼がジャーナリス卜としてよりも、カルト反対運動家的立場で取り組んだことがある、ヤマギシ会及びライフスペースといったカルト的団体の被害者の会の運営においても、彼は、反対運動に熱心に取り組んでいた方々が展開していた運動のあり方等について、自分と異なる意見を持つ人々を許容することが出来ず、激しい批判をあびせ、反対活動を結果として分裂させたり、疲弊させたりしました>
ふむふむ、なるほど。
私がヤマギシ会やライフスペースに関わったのは、いずれも2000年以前の話である。
それなのに、「反カルト運動を疲弊させてしまった」私が、主催者の一人となったカルト学習会に、山口さんはなぜ、参加されたのでしょうか。
またそれのに、どうして、2004年の「お粗末な米本論文」で「彼のジャーナリストとしての根性やこれまでの業績については高く評価していた」と書かれたのでしょうか。クスッ
ついでに言っておけば、ライフスペースのことは知らねど
(初耳、具体的事実を教えてくだされ。そうしていただけたら、当時の記憶が蘇るはず)、
ヤマギシ会への反対運動(「ヤマギシを考える全国ネットワーク」)の勢いを削いだのは事実である。
彼らは、自分たちの被害性を訴えるだけで、加害性(ヤマギシの子への虐待のこと)をまるで問題にしなかった。
そこで、祖父母と一緒に、97年に「ヤマギシの子どもを救う会」を立ち上げた。
この会結成が一つのきっかけとなって、ヤマギシ村(集団農場)で虐待を受けていた2000人以上の子どもが解放された。
「救う会」には、“本家本元”の「全国ネットワーク」の元事務局長たちも集ってきた。元事務局長たちは、激しく攻撃を受け、組織からパージされた。
山口氏が間違っているのは、アプリオリに「反カルト運動は正しいことをしている」と思い込んでいることだ。
私のルポがきっかけとなって、「福永法源の被害者の会」が生まれたが、その会の幹部が会の資金(寄付金)を私的流用したことがあった。
私はそのことを糾弾した。
反カルト運動のすべてが正しいなんてことはあり得ないのだ。
そうそう、だんだんと思い出してきましたとさ。
東京・四谷で開催した「救う会の結成式」には、反統一の浅見定雄さんや山口さんたちにスピーチしてもらった。反カルト運動を疲弊させた別運動体に、山口さんは参加されていたのですよ。まだ記憶障害になるのには若すぎる。
ついでに言っておけば、1970年~80年代の東大左翼気分の諸氏は、ヤマギシ会を心情的に支持する人が多く
(見田宗介さんなど「思想の科学」のメンバー。これとは別系統で、当時の左翼運動に大きな影響を与えた「公害原論」の宇井純もいた)、
山口氏もそうしたうちの一人だったようで、結成式のスピーチで、トンチンカンなことに、ヤマギシ会を支持するようなことをしゃべっていた。
あとで、浅見さんから「どうしてあんな人を呼んだのか」と詰問された。懐かしい思い出です。
やや枝葉のことになるが、次の一文は噴飯モノである。
<少なくとも、私にとって、霊感商法の被害回復の交渉や訴訟は大変な負担です。被害者から事実経過を聴取して、これを通知書としてまとめあげ、統一協会側に送付するまで、そして、その後交渉を重ねることは大変な負担です。
米本氏はその手続について全く理解していません>
山口氏はここで2つのこと、裁判と示談交渉とを、意図的に混同させている。
損害賠償請求訴訟は通常の、決して特殊ではなくごく一般的な民事裁判である。多くの弁護士が手がけているが、弁護士から「大変な負担」なんて、聞いたことがない。
損害賠償事件には医療過誤訴訟とか交通事故にともなう訴訟とか、あるいは朝鮮人の戦前・戦中の強制労働の賃金返還訴訟とかいろいろあるが、立証の点で、献金等返還訴訟はきわめて負担の少ない裁判である。
訴訟のことはともかく、示談交渉となると、実に楽チンな弁護活動である。
裁判にしろ示談交渉にしろ、大変なのは原告(元信者)である。一体、統一教会にどれだけの献金をしたのか、どれだけの物品を購入したのか、明確にしなければならないからだ。通帳から統一教会の口座に振り込んでいたのなら一目瞭然だが、手持ちの財布(現金)から手渡しで、献金、物品購入をした場合、金額がはっきりしないからだ。
弁護士は依頼者に「被害額を特定せよ」というだけ。その間、面談することはない。
『我らの不快な隣人』に登場した宿谷麻子さんは、特定するのに、PTSDに苦しんでいたこともあったが、約1年間かかっている。
元信者が被害とされる金額を特定すると、全国弁連の弁護士たちは、フォーマット化された通知書に金額を書き込むだけ。
あとは電話で、統一教会側の弁護士と交渉し、返還の金額を決める。だいたい請求金額の半分強で妥結と相成る。
宿谷さんが山口弁護士と面談したのはたったの2回である。
だから、統一教会相手の示談交渉は実に楽チンで、弁護士にとって「おいしい仕事」なのである。それだからこそ、伊藤弁護士は全国弁連の活動は「金儲け」仕事になっていると批判したのである。
裁判官が示談交渉の実際を知らないことをいいことに、まあ、好き勝手放題に書いているのだ。
<25年間にもわたる全国弁連の活動の一時期、その活動の一端に関わったことのある伊藤芳朗弁議士から聞いたこととして、米本和広氏の陳述書 (甲107)が提出されました>
「聞いたこととして」
なかなか含意ある言葉である。「聞いたかどうか疑わしい」という意味が含まれているからだ。これを、「聞いたことはないはず」と書いた場合はどうなるのか。その後にそれを覆すような証拠を私が提出すれば、山口広弁護士の、今回の意見書はもとより、これまでのすべての主張(準備書面)が信用性の点で総崩れになってしまう。
それゆえ、かなり工夫した表現だと思いましたとさ。
意見書の構造はこうなっている。甲107は伊藤弁護士から聞いたかどうか疑わしいもので、米本の意図的・恣意的な言説ではないのか。
では、米本の言説は正しいのかとなるわけで、結局のところ、私への個人攻撃と相成るのである。
<米本氏ついて、思い込みが激しく、自分が一度描いたストーリーに執着しすぎて、事実関係を冷静かつ公平に見て論評することが出来ない性格であり、その性格が災いして、社会に重大な害悪をもたらしていると、私は考えています。
米本氏は、自分が思い込んだことを絶対視して、客観的な事実を無視し、他の人の迷惑や被害者の心情に配慮せず、社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしていると評価しています>
ヒェ~、バタン、死んだ。
この一文を読まれた方は、米本はなんと偏頗的な性格の持ち主と思われるだろう。山口氏の狙いは、裁判官にそのような心証を植えつけようとしているのである。意見書ゆえ、陳述書と違って、証拠価値はさほどにはないが、それでも、裁判官の頭に「米本という人は思い込みが激しいのか」ということがインプットされる。
※裁判員制度が導入されようとしたとき、識者は裁判員が新聞記事に影響されないか心配する声があがっていた。そのことを想起すればいい。
山口氏は意見書が裁判官に何らかの影響を与えることを狙って、書いたものなのである。
彼のことを真実を追及するリーガルプロフェッショナルではなく、勝つためなら何だってする裁判ゲームの達人と評したことがあるが、今回の意見書がまさにそうである。恐るべし、山口。
ヒェ~、バタンと死んだのだが、何だかオカシイぞと思い、生き返りましたとさ。
その1・私は、南山大学の宗教学の教授と元オウム信者の3人で、カルト学習会を催していた。確か2000年から2年間にわたって月1回。山口氏は常連出席者だった。
勉強のあとは懇親会。彼とはよく席を隣にして、杯を交わしながら、情報交換し、談笑した。
山口さんは「社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしていると評価している」私と、よくぞ、杯を交わし、情報交換されていたものだ。まさにひぇ~である。
その2・彼が私のことを最初に評価したのは、2004年末のことだったと記憶する。
水面下で行われていた拉致監禁のことを私が暴露したのは、2004年11月号の月刊『現代』で発表した「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」だった。
反統一教会にとって衝撃的なルポだったらしく、山口氏は『全国弁連通信』で「お粗末な米本論文」と酷評した。
このコラム書評については小生のブログ「弁護士山口氏のコラムを評す!」(カテゴリー)で詳述したので省略するが、末尾近くに、こう書かれている。
「彼のジャーナリストとしての根性やこれまでの業績については高く評価していた。しかし、たいへん残念だが、この論文についてはそうコメントするしかない」
ひぇ~!
「彼は、社会に誤った情報、片寄った考え方をまき散らしているジャーナリスト」と書くべきでしたね、山口さんちの広さん。
その3・<彼がジャーナリス卜としてよりも、カルト反対運動家的立場で取り組んだことがある、ヤマギシ会及びライフスペースといったカルト的団体の被害者の会の運営においても、彼は、反対運動に熱心に取り組んでいた方々が展開していた運動のあり方等について、自分と異なる意見を持つ人々を許容することが出来ず、激しい批判をあびせ、反対活動を結果として分裂させたり、疲弊させたりしました>
ふむふむ、なるほど。
私がヤマギシ会やライフスペースに関わったのは、いずれも2000年以前の話である。
それなのに、「反カルト運動を疲弊させてしまった」私が、主催者の一人となったカルト学習会に、山口さんはなぜ、参加されたのでしょうか。
またそれのに、どうして、2004年の「お粗末な米本論文」で「彼のジャーナリストとしての根性やこれまでの業績については高く評価していた」と書かれたのでしょうか。クスッ
ついでに言っておけば、ライフスペースのことは知らねど
(初耳、具体的事実を教えてくだされ。そうしていただけたら、当時の記憶が蘇るはず)、
ヤマギシ会への反対運動(「ヤマギシを考える全国ネットワーク」)の勢いを削いだのは事実である。
彼らは、自分たちの被害性を訴えるだけで、加害性(ヤマギシの子への虐待のこと)をまるで問題にしなかった。
そこで、祖父母と一緒に、97年に「ヤマギシの子どもを救う会」を立ち上げた。
この会結成が一つのきっかけとなって、ヤマギシ村(集団農場)で虐待を受けていた2000人以上の子どもが解放された。
「救う会」には、“本家本元”の「全国ネットワーク」の元事務局長たちも集ってきた。元事務局長たちは、激しく攻撃を受け、組織からパージされた。
山口氏が間違っているのは、アプリオリに「反カルト運動は正しいことをしている」と思い込んでいることだ。
私のルポがきっかけとなって、「福永法源の被害者の会」が生まれたが、その会の幹部が会の資金(寄付金)を私的流用したことがあった。
私はそのことを糾弾した。
反カルト運動のすべてが正しいなんてことはあり得ないのだ。
そうそう、だんだんと思い出してきましたとさ。
東京・四谷で開催した「救う会の結成式」には、反統一の浅見定雄さんや山口さんたちにスピーチしてもらった。反カルト運動を疲弊させた別運動体に、山口さんは参加されていたのですよ。まだ記憶障害になるのには若すぎる。
ついでに言っておけば、1970年~80年代の東大左翼気分の諸氏は、ヤマギシ会を心情的に支持する人が多く
(見田宗介さんなど「思想の科学」のメンバー。これとは別系統で、当時の左翼運動に大きな影響を与えた「公害原論」の宇井純もいた)、
山口氏もそうしたうちの一人だったようで、結成式のスピーチで、トンチンカンなことに、ヤマギシ会を支持するようなことをしゃべっていた。
あとで、浅見さんから「どうしてあんな人を呼んだのか」と詰問された。懐かしい思い出です。
やや枝葉のことになるが、次の一文は噴飯モノである。
<少なくとも、私にとって、霊感商法の被害回復の交渉や訴訟は大変な負担です。被害者から事実経過を聴取して、これを通知書としてまとめあげ、統一協会側に送付するまで、そして、その後交渉を重ねることは大変な負担です。
米本氏はその手続について全く理解していません>
山口氏はここで2つのこと、裁判と示談交渉とを、意図的に混同させている。
損害賠償請求訴訟は通常の、決して特殊ではなくごく一般的な民事裁判である。多くの弁護士が手がけているが、弁護士から「大変な負担」なんて、聞いたことがない。
損害賠償事件には医療過誤訴訟とか交通事故にともなう訴訟とか、あるいは朝鮮人の戦前・戦中の強制労働の賃金返還訴訟とかいろいろあるが、立証の点で、献金等返還訴訟はきわめて負担の少ない裁判である。
訴訟のことはともかく、示談交渉となると、実に楽チンな弁護活動である。
裁判にしろ示談交渉にしろ、大変なのは原告(元信者)である。一体、統一教会にどれだけの献金をしたのか、どれだけの物品を購入したのか、明確にしなければならないからだ。通帳から統一教会の口座に振り込んでいたのなら一目瞭然だが、手持ちの財布(現金)から手渡しで、献金、物品購入をした場合、金額がはっきりしないからだ。
弁護士は依頼者に「被害額を特定せよ」というだけ。その間、面談することはない。
『我らの不快な隣人』に登場した宿谷麻子さんは、特定するのに、PTSDに苦しんでいたこともあったが、約1年間かかっている。
元信者が被害とされる金額を特定すると、全国弁連の弁護士たちは、フォーマット化された通知書に金額を書き込むだけ。
あとは電話で、統一教会側の弁護士と交渉し、返還の金額を決める。だいたい請求金額の半分強で妥結と相成る。
宿谷さんが山口弁護士と面談したのはたったの2回である。
だから、統一教会相手の示談交渉は実に楽チンで、弁護士にとって「おいしい仕事」なのである。それだからこそ、伊藤弁護士は全国弁連の活動は「金儲け」仕事になっていると批判したのである。
裁判官が示談交渉の実際を知らないことをいいことに、まあ、好き勝手放題に書いているのだ。
物書きVS弁護士
昔ね
ある人が呟いてたの。
弁護士は詐欺師
物書きは落書き
落書きを必死に消そうとする詐欺師。
広おじ様が腕捲りして、ハチマキして、和広坊っちゃんの落書きを必死にデッキブラシでゴシゴシ消している。
あっ、洒落よ
洒落。
ある人が呟いてたの。
弁護士は詐欺師
物書きは落書き
落書きを必死に消そうとする詐欺師。
広おじ様が腕捲りして、ハチマキして、和広坊っちゃんの落書きを必死にデッキブラシでゴシゴシ消している。
あっ、洒落よ
洒落。
Re:物書きVS弁護士
詐欺師と落書き坊との対決。なるほど。「たかしのリカちゃん人形」の指摘は、面白かった。
ところで、落書きと言われてもしかたがないような間違いを、「記憶障害にはまだ早すぎッ」で、してしまった。
<意見書ゆえ、陳述書と違って、証拠価値はさほどにはない>
これは間違いでした。間違いを指摘された方から寄せられたメール文を貼り付けておきます。
陳述書→自分の体験を陳述するもの
意見書→弁護士、医者、学者などの専門家が意見を陳述するもので、通常、第3者的立場からのもの。
両文書に裁判所が重視する優劣はなく単に文書の形式の違いである。
ところで、落書きと言われてもしかたがないような間違いを、「記憶障害にはまだ早すぎッ」で、してしまった。
<意見書ゆえ、陳述書と違って、証拠価値はさほどにはない>
これは間違いでした。間違いを指摘された方から寄せられたメール文を貼り付けておきます。
陳述書→自分の体験を陳述するもの
意見書→弁護士、医者、学者などの専門家が意見を陳述するもので、通常、第3者的立場からのもの。
両文書に裁判所が重視する優劣はなく単に文書の形式の違いである。
コメントの投稿