スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--------(--)
 

米本和広氏の陳述書(3)-かつて「青春を返せ訴訟」の原告代理人だった弁護士激白!!!宮村氏の脱会活動は脱会活動に名を借りた金儲け。実態は拉致監禁だー

先日、驚くべき内容の陳述書を原告側から提出した。

この陳述書は、米本氏による、伊藤芳朗弁護士とのインタビューという形でつづられている。
伊藤弁護士はかつて「青春を返せ訴訟」で原告代理人だった人物である。
この中で、伊藤弁護士は、宮村氏の行状について様々なエピソードを交えながら語っている。
第9回口頭弁論の報告でも言及したとおり、反論困難な証拠群のひとつといえよう。
被告側が驚いたであろうことは想像に難くない。

かつて「青春を返せ訴訟」の原告代理人として、統一教会を相手に闘い、被害弁連(霊感商法被害救済担当弁護士連絡会)の弁護士として統一教会元信者から被害相談を受けてきた伊藤弁護士にとって、今回のインタビューに応じたということは、とても勇気あることだと思う。
伊藤弁護士はまさに真実の発見をゆるがせにしない"良心"をもった弁護士だといえる。

おそらく読者の皆さんは目が点になってしまうであろう。
が、しかし、目をしっかりと見開いてじっくりと読んでいただきたい。

なお、この陳述書はこちらから全文印刷もできます。(裁判所に提出した陳述書の写し 但し差し支えのある個人名に関してはイニシャル表記)




陳 述 書


2012年7月18日

東京地方裁判所民事12部御中

ルポライター米本和広
住所:島根県松江市西津田1-10-38

1.はじめに-陳述書の趣旨

(1)今回の裁判は、宮村峻氏や松永堡智氏、並びに原告の家族(兄弟姉妹)が原告を拉致監禁したかどうかが問われているものである。
 私は、統一教会信者の脱会方法として拉致監禁が常態化していることを、拙著『我らの不快な隣人』(甲30号証)で明らかにした。
宮村氏が常態的に拉致監禁に関与していることは、監禁体験者の小出浩久氏、TY氏、今回の原告・後藤徹氏などへの長時間インタビューで認識することができたが、その裏付けを取るために、宮村氏に直接インタビューしたのは短時間であった。(甲10号証甲46の1号証
 むろん、両者の言い分は真っ向から対立するもので、両者の取材だけであれば、拙著で「宮村氏が拉致監禁に深く関わっている」と書くことはできなかった。
 しかしながら、拙著ではニュース源は明かしていないが、宮村氏のことをよく知っている「反統一教会陣営」側にいる複数の人たちから宮村氏の暴力的な脱会方法のことを聞いたからこそ、断定的に「宮村氏は拉致監禁に深く関わっている」と書くことができたわけである。
 ところで、フリーであれ組織ジャーナリストであれ、記者として最も気をつけるのは、批判した相手から「事実無根」として名誉毀損で訴えられ、そして敗訴することである。
 私は、幸福の科学、ライフスペース、ワールドメイトから名誉毀損で訴えられたことがある。いずれも棄却判決だったが、3件も名誉毀損で訴えられた経験があるがゆえに、『我らの不快な隣人』を書くにあたっては細心の注意を払ったつもりである。
 もし宮村氏が私を名誉毀損で訴えるようなことがあったら、ニュースソースを明かしたうえで(むろん取材相手の許可を得たうえで)、全面的に争うつもりであった。しかし、宮村氏は提訴してこなかった。

(2)今回の裁判で、こと原告の宮村氏に対する請求で棄却判決が下されるとしたら、記者としての沽券に関わることである。
 そこで、「宮村氏が拉致監禁に深く関わっている」こと教えてくれた前述の複数のニュースソースの中で、とりわけ信頼性の高い人を説得し、インタビューをお願いした。以下に綴るのは、その人との一問一答である。

(3)インタビューしたのは、被告代理人たちも所属する「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の弁護士であり、1991年~1993年に元信者が統一教会を被告として提起した東京の「青春を返せ裁判」の原告の代理人を務めた伊藤芳朗氏である。この時、伊藤芳朗氏は、「青春を返せ裁判」原告であった本件被告、GT氏の代理人でもあった。

(4)伊藤弁護士のことを箇条書きで素描しておく。ただし、統一教会との関わりについては、インタビューと重複するので、省略する。
(イ)1960年生まれ、現在51歳。
(ロ)1984年司法試験に合格。1985年東大法学部卒。1987年弁護士登録(東京弁護士会)。現在、クレスト法律事務所所長。
(ハ)オウム真理教に殺害された坂本堤弁護士と司法修習が同期であったため、殺害直後の89年11月22日に「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」を立ち上げ、全国組織の事務局次長に就任。同時期にオウム被害対策弁護団に加わる。
(ニ)著書は『ボクが弁護士になった理由(わけ)』(教育史料出版会)、『論理的な思考方法を身につける本』(中経出版)、『少年Aの告白』(小学館)、『知らずに子どもを傷つける親たち』(河出書房新社)、『少年法』(アスペクト)。
(ホ)「日弁連子どもの権利委員会」元委員、「東京弁護士会・弁護士業務妨害対策特別委員会」現委員長。

(5)伊藤弁護士とのインタビューは一問一答形式で行う。それを補足する必要がある場合は、<>で示した。私の取材体験も必要最小限の範囲内で加えた。文中の()も陳述者である。長文にわたるので、読みやすいように適宜、中見出しを加えた。

2.伊藤芳朗弁護士の証言

(1) 統一教会問題と関わるようになった経緯

――4年前の2008年に取材させていただきました。重複する質問もあると思いますが今日(2012年7月7日)は改めていろいろお話を聞かせてください。
まず、統一教会に関わるようになった経緯を説明してください。

伊藤 弁護士になった87年に、日弁連から統一教会の被害相談をやるので手伝ってくれと言われたのがきっかけでした。被害者発掘のいわゆる110番活動です。
 日弁連会館に出向くと、霊石愛好会のおばさんたち(統一教会の婦人教会員)が会館をぐるりと囲んでロックアウトしていた。相談者を会館に入れないようにするためです。
 相談会場で電話を取ると無言電話。終日、無言電話の嵐で、相談電話をほとんど受け付けることができませんでした。
 その後、110番活動を中心的に担っていた山口広弁護士(今回の裁判の被告代理人)や東澤靖弁護士から「被害弁連(全国弁連の東京地区の組織)を手伝ってくれないか」とリクルートされました。それに応じた一人が私でした。
 それ以降、被害弁連のメンバーとなって、被害者の相談に応じたり、統一教会の元信者からの献金返還請求の業務を行うようになりました。
 といっても、統一教会の問題にはそれほど熱心なほうではなく、被害弁連から回されてきた事件をこなすといった程度でした。
私が弁護士になったのは、非行少年の問題をやりたかったからです。弁護士になる前から日弁連の少年法改正対策本部に出入りしていまして、弁護士になると同時に、東京弁護士会の少年法改正対策、今の子どもの人権と少年法に関する特別委員会に所属し、一年目から非行事件をバリバリやっていました。それに、89年に坂本弁護士一家の殺害事件が起き、オウムの問題にも取り組まなければならなかったし。

――東京の「青春を返せ裁判」では原告の代理人をやられていますが、それはどういう経緯からでしたか。

<1991年4月、元信者のWK氏を団長として、40名の元信者が統一協会を被告として損害賠償を求める「青春を返せ裁判」を提起した(東京地裁平成3年(ワ)4103事件)。その後、同年6月に12名の原告が、また、1993年4月に7名の原告が同様の事件を提起し(東京地裁平成3年(ワ)7603号事件、東京地裁平成5年(ワ)6903事件)、原告数は合計59名にのぼった>

伊藤 90年のことだったと思いますが、青春を返せ訴訟をやるので手伝ってくれないかと頼まれたからです。
 それまでは、被害弁連の集まりなどにはあまり参加していなかったのですが、いいよということで、原告の代理人になった。私が担当したのT君とNさんでした。
私が次第に統一教会問題にどっぷりつかるようになったのは、原告たちや、原告ではないけれど、統一教会に献金等の返還請求をした元青年信者から入信の経緯を聞くと、家族関係が満たされていないという非行少年たちと共通するものがあったからです。ある種の寂しさがあり、統一教会がそれを満たすような形で、入信させていく。それで統一教会問題にのめり込むようになっていったわけです。
青春を返せ訴訟は91年から始まりましたが、その頃になると私はコアな弁護士の一人になっていました。山口広弁護士、飯田正剛弁護士、渡辺博弁護士、紀藤正樹弁護士と私がコアなメンバーで、弁護団会議には毎回出席し、意見を述べるようになりました。

――今も被害弁連、全国弁連で活動しているのですか?

 所属はしていますが、2004年にホーム・オブ・ハートの事件を担当するようになって以来、会合には出ていません。ホーム・オブ・ハートという団体が「児童虐待をした」ということで、被害弁連の紀藤正樹弁護士が何人かのメンバーを児童福祉法違反・監禁で刑事告発したのですが、私はたまたま顧問先の会社社長からの依頼で被告発人側の弁護人を務めたのです。そして、実際に調べてみると、告発された側は児童虐待など違法なことは何もしていなかったのです。現に、被告発人全員が「嫌疑なし」(一件のみ「嫌疑不十分」)で不起訴処分になっています。(後日,紀藤弁護士が告訴した名誉棄損事件も「嫌疑なし」で不起訴となっています。)「嫌疑なし」ということで,告発人側のでっち上げだったことが検察の調べでも明らかになったわけです。ただ、私はほとんど担当していませんが、民事訴訟では、「カルト宗教だと負け」という裁判所の枠組みたいなものがあって、ことごとく敗訴してしまいました。それで、ホーム・オブ・ハートが悪いことをしていたような印象だけが世間に残ってしまったのですが、私はこの事件を担当したことには一点の曇りもないと今でも思っています。
ところが、私がホーム・オブ・ハートの被告発人側の弁護人になった途端に、紀藤弁護士が根回しをして、私が被害弁連の会合に参加できないようにしたのです。ある日私が被害弁連の定例会に出向いたところ、代表の伊藤和夫弁護士が私を別室に連れて行き、「総意だから君はしばらく出て貰っては困る」と言われたのです。私が、「理由を言って下さい」というと、「君はホーム・オブ・ハートに関わったから」ということでした。「私の言い分を聞いて下さい」と言っても、「いや、聞く必要はない」の一点張りでした。それ以来、被害弁連の会合には参加していません。何人か私を擁護してくれた弁護士さん達もいたそうですが、「紀藤さんがどうしても伊藤さんを出席させることは許さないというので,仕方がなかった。」ということでした。紀藤弁護士とはそれまでにも路線対立がありましたので、私をパージする格好の口実だったと思います。
統一教会案件を担当したのもこの頃が最後になりました。

(2) 宮村氏と知り合った経緯

――宮村峻氏とはいつぐらいから知り合いになるのですか。

伊藤 青春を返せの第一次訴訟が91年。歌手の桜田淳子さんが合同結婚式に参加することがわかった92年から報道合戦が始まります。バトンミントンの徳田敦子さん、新体操の山崎浩子さん・・・。週刊誌は毎週、テレビ局は全局が毎日ワイドショーで取り上げるといったすさまじい報道合戦でした。
この頃に、被害弁連内でクローズアップされたのが宮村峻氏です。
当時のテレビ局は、統一教会を脱会した元信者を出演させたいと必死でした。それに応えたのが宮村氏でした。彼は自分が脱会させた元信者をどんどんテレビ局に供給しました。また、テレビ局は、被害事件を解説する弁護士も必要でした。それに対しても、宮村氏は緊密な関係にあった紀藤正樹弁護士(被告代理人山口貴士弁護士が所属するリンク法律事務所所長)を紹介していました。そのうちに報道に火がつくと、紀藤弁護士一人では手が足りなくなり、私や渡辺博弁護士など何人かが穴埋めするような形で、テレビに出演しました。

――つまり、手配師のようなことをしていた。

伊藤 まあ今から考えると、そういうことになりますが、すさまじい報道によって、統一教会は苦境に立たされたわけですから、被害弁連からすると、宮村氏はヒーローでしたよ。
 先の質問に答えると、報道合戦の渦中に、宮村氏を紹介されたわけです。
(3)拉致監禁・強制棄教問題

――拉致監禁を媒介とする脱会方法の存在に、いつ頃から気付かれましたか。

伊藤 元信者の話を聞くうちに統一教会問題にどっぷりつかるようになっていった。このことは先に話しましたが、数十人から話を聞くうちに「なんだか変だなあ。やめるプロセスが変だなあ」と思うようになりました。
 誰だかは言えませんが、今でもはっきり覚えていることがあります。元信者のその女性は、宮村氏の指導で、自分は親兄弟によって拉致監禁された、あのときの悔しさだけは忘れないと、話していたことです。
 そんな話がぽつぽつと聞かれるようになって、宮村氏が常習的にやっている脱会説得の手法は、法的に逮捕監禁に当たるものであることが次第にわかってきました。
例えば、現役の統一教会信者を車のバンで後ろから尾行し、スキを見て捕まえて、無理矢理車に連れ込んで、そのまま事前に用意したマンション等の一室に連行して監禁し、信仰を失うまで外に出さない、という方法です。
これは、法的には明らかに逮捕監禁罪にあたる違法行為です。
拉致し監禁するバリュエーションはそれぞれですが、拉致され、マンションに監禁され、脱会するまで解放されないという点で、元信者の話はいずれも同じでした。
しかも、こういう逮捕監禁をするときには、宮村氏や、宮村氏の意を酌んだ元信者の家族(子どもの脱会に成功した親たち)が現役信者の親族らに事細かく指示してやらせるけれども、宮村氏は直接には関わらないようにしていました。
警察への対応も、マニュアル化されていて、警察が関わってくるようなことが発生したら、これは「親子の話し合いだ」と突っぱねろ、と。
親子の話し合いだと言われると、警察はどうしても民事不介入の原則から、踏み込むようなことはできませんからね。

<この証言は、私の取材とも合致する。脱会説得者たちは相談にやってきた信者家族にまず勉強会で勉強するように指示する。勉強会に参加していく過程で、家族・親族の間で「保護(拉致監禁)説得」の意志が固まると、脱会説得者と個別の相談となる。マンションは4、5階以上、監禁中の食料など事細かに指示するのは、経験者である元信者の親であることが多い。つまり、脱会説得者に逮捕監禁の罪が及ばないように配慮されている。拉致の過程や監禁説得の過程で、警察などに問われると、「親子の話し合いである」と釈明する。いずれも判で押したように同じである>

――具体的に宮村氏が関与した拉致監禁事例で、特に酷いと感じられたものはありますか?

伊藤 暴力的な事件はいくつも聞きましたが、人身保護請求が出されて慌てて居場所を移したという話は聞いたことがあります。

――担当されたT君とNさんの場合、どうだったのですか。

伊藤 T君は自主脱会者です。Nさんの場合、新潟の松永牧師さん(今回の裁判の被告)がメインで、宮村氏がサブという形で、1980年代後半に説得されたと記憶しています。青春裁判は1991年に訴え提起していますが、準備を始めたのは1990年からで、原告は殆どが1980年代後半に脱会した人達でした。あの頃は、宮村氏と松永牧師が組みになってやっていたはずです。

――組になってやっていたというと、具体的にはどういう関わりだったのですか?

伊藤 色々なパターンがありましたが、宮村氏の手配で拉致監禁を行い、監禁中の信者に対してさんざん罵って、信者が脱会すると言明した後、松永牧師が担当するといったパターンが多かったと聞いています。

――宮村氏のやり方に疑問を持たれたのは、伊藤弁護士だけでしたか。

伊藤 被害弁連ではヒーローみたいになっていましたが、脱会に関わる牧師さん達らからは相当に疎まれていました。80年代終わり頃に荻窪栄光教会を追い出された頃から、「何故あんな男を仲間に加えているんだ」という話はずっとあったようです。人目を憚ることもなく堂々と宮村氏と付き合っていた牧師は松永牧師ぐらいでした。他にも神戸の高澤牧師とか、宮村氏とつきあっていた牧師はいたと思いますが、表だっての付き合いではなかったです。日本基督教団(プロテスタントの国内の組織では最大教団。86年以降、教団あげて「統一教会員の救出」に取り組んでいた)の牧師さんの中にも、宮村氏のことをよく思っていない人たちがいて、そういう人たちに話を聞くと、「あれはやりすぎだ」とか「私は宮村氏がやるようなことまでは家族にやらせていない」とか、そんな話が聞こえてきました。それで、宮村氏のやり方は信者への扱いが乱暴であることがはっきりしてきました。

――その牧師さんの名前は?

伊藤 杉本牧師、川崎牧師や吉田牧師だったと思いますが。

<杉本誠氏は、愛知県岡崎市の西尾教会の牧師。山崎浩子さんの脱会説得に成功した牧師として有名になった。川崎経子氏は、この当時、山梨県都留市の谷村教会の牧師。その後、長野県小諸市に開設された「いのちの家」の所長。吉田好里氏は、日本基督教団に所属する新松戸幸谷教会の牧師。1999年、現役教会員・今利理絵さんが戸塚教会牧師の黒鳥栄氏と当時大田八幡教会牧師の清水与志雄氏を相手取って、拉致監禁を訴因とする損害賠償を請求する民事裁判を提起した。それに対抗するために、日本基督教団の牧師が中心となって「黒鳥・清水両牧師を支援する会」が組織された。吉田牧師は同会の事務局長を務めた>

――どちらにも取材したことがありますが、杉本牧師は「宮村氏の保護(拉致監禁)説得は乱暴すぎる。ぼくの場合は、できるだけ信者を傷つけないように、場所は民宿の1階か2階で行っている。むろん玄関、窓に中から外に出られないような鍵はかけない。宮村は南京錠だから」
と話していました。
川崎牧師は乱暴さに加え、宮村氏の女性問題のことも非難していた。
それで、思い出したのですが、前に取材したとき、女性問題のことも話されていましたね。

伊藤 TYさん(「青春を返せ」裁判の原告)の父親が宮村氏の家に乗り込み、「娘の脱会は頼んだけど、あんたに娘を情婦にしてくれと頼んだ覚えはない」と怒鳴り込んだという話でしたね。
私が被害弁連に関わるようになった頃か、それ以前の話です。被害弁連や元信者の間では有名な話でした。父親が怒鳴り込んだとき、宮村氏の家に元信者がいたもんだから、噂はあっと言う間に広がったようです。

――前にも聞きましたが、TYさんは山口広弁護士がやっている全国弁連で、そこの事務職員をやっているSさんと同一人物でしたよね。これは宮村氏にも確認したことですが。

伊藤 ええ、そうです。今でも全国弁連で事務をされているかは存じあげませんが。

――ところで、宮村氏が違法性の強い脱会方法をとっていることに、被害弁連で声をあげられたことはありますか。おそらく、表立ってなされたことはなかったと思います。当時は、統一教会と闘うことがメインで、内部問題を公にすると、内部矛盾が噴き出し、組織がガタガタになる。杉本牧師が個人的に宮村氏の暴力性のことを私に話しても、それを公の場で問題にしなかったのも、そういう理由があったからだと思います。

伊藤 それもありますし、元信者の要求は損害賠償請求です。悔しい思いとか屈辱的な思いはあっても、脱会の方法を問題にする人はいませんでしたから。そうした理由に加え、元信者から拉致監禁の話は聞いても、私が直接、拉致監禁の現場を見たわけではないことが大きい。

――では、一切、口にしなかった?

伊藤 コアな弁護士との打ち合わせの場だったか、個人的な場だったかは忘れましたが、山口広弁護士には「宮村氏のやり方は問題だよ」と疑問をぶつけたことがありました。そうしたら、山口さんはこう言うのですよ。
「伊藤さん、ぼくたちは信者が辞めた後のことに関わればいいから。辞める前のことに一切関わっちゃいけない」
彼はそうしか言わない。狡いと思いましたね。

――山口広弁護士は、宮村氏が拉致監禁説得をしていることを知っていましたか。

伊藤 もちろん!です。

<これも私の体験と重なる。私は2000年から2年間ほど、南山大学の渡邉学宗教学教授と、オウム真理教の元信者の3人で「カルト学習会」を主催してきた。参加者は10数人から30人。メンバーは新聞記者、出版社の編集者、元カルトメンバー、カルトに関心のある若者など多士済々であった。
 山口広弁護士は常連参加者だった。
 ある日の勉強会のテーマは「保護(拉致監禁)説得」の是非についてであった。
 このテーマを選んだのは、当時、エホバの証人の信者が拉致監禁されたとバプテスマ連盟の草刈牧師を訴え、牧師が敗訴した事件があったからだ。
 そのときに、私は山口弁護士に質問した。
「ヨーロッパのように、カウンセラーが直接カルト信者に会って脱会説得するのではなく、信者を説得する家族をサポートするようにすべきではないか」
 これに対して、山口弁護士はにべもなかった。
苦い顔をしながら、「効率が悪いよ」。
効率が悪いという意味は、家族だけで脱会説得するのであれば(つまり家族の話し合い)、時間がかかり過ぎる。保護(拉致監禁)説得のほうが脱会のスピードは早いという意味である>

――先ほど、宮村氏が荻窪栄光教会を追い出された頃から、「何故あんな男を仲間に加えているんだ」という話が牧師達の間にあったということでしたが、宮村氏も参加するような、拉致監禁に関わる全国の牧師達の会合のようなものはあったのでしょうか。「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」という名称の集まりがあったようなんですが。

伊藤 だいたいそんな名前だったと思いますが、牧師達が集まって会合をもっていたのは知っています。ただ、我々弁護士らは脱会説得活動には関わらない方がいいと山口広弁護士から言われていたので、参加したことは一切ありません。今から考えると,後藤さんの事例のような犯罪的行為に弁護士が荷担するわけにはいかないということだったのでしょう。

(4)その他宮村氏の問題点

――乱暴な脱会のやり方以外に、宮村氏を意識されるようなことがありましたか。

伊藤 統一教会信者らの中には多額の献金をする人がいますが、宮村氏のような脱会説得の専門家によって脱会した後には、統一教会に対して損害賠償請求をするようになります。裁判所もこの手の事件では原告を勝訴させることが殆どですが、中には億単位の事件もありました。
宮村氏はこうした高額事件を特定の弁護士だけに、具体的な名前をあげれば紀藤正樹弁護士ですが、紀藤弁護士だけに回すということを行っていました。
しかし、我々は運動体としてやっていたので、こうした事件は全部一回、全国弁連に上げて配分すべきだし、一部の弁護士だけが潤っても後継者は育たないことから、私は抗議したこともありましたが、宮村氏はこうした主張には一切お構いなしでした。

――弁護士が潤うとは?

伊藤 損害賠償請求で勝訴すると、弁護士報酬が発生します。示談交渉が妥結してもそうです。
そのことを「潤う」と表現したのですが、問題は次のことにあります。
すなわち、弁護士報酬を含め献金などの返還金が戻ってくるということは、統一教会はそのお金を工面するために、また新たにお金を集めなければならない。献金されたものは日本でプールされるわけではなく、海外に送金されてしまっているからです。つまり、損害賠償金を勝ち取れば、新たな被害者を生むことにつながっていく。そのことが最大の問題なのです。
被害弁連の業務が相談だけならいいのですが、損害賠償請求に関わってくると、どうしても矛盾が生じてくる。他の事件では認められないような請求も相手がカルト宗教だと安易に認められてしまう、という裁判所の傾向もありますが、統一教会側もお人好しなので、まともに争えば認められないような請求も全額和解で支払ってしまう。これでは依頼人の利益にはなっても、その負担を新たな被害者が負うことになるわけです。
こうした矛盾に悩みながら活動していけばまだしも、弁護士の間に収入が稼げるという意識が生まれてくる。私が被害弁連に関わるようになった頃には、そうした「稼げる」という雰囲気がすでにありました。
内部で議論もありましたよ。
「ほんとうに被害を出したくないのだったら、そういう事件の引き受け方はおかしいじゃないのか」
「こちらの被害を回復しようとしたら、また新たな被害を生んでしまう。このやり方はおかしいじゃないのか」
 でも、こういう根本的なことには、山口広さんは絶対にメスを入れない弁護士なんです。まあまあ、なあなあで、事を荒立てない。
 そのため、こうしたやり方はおかしいと批判して被害弁連を辞めた弁護士もいました。
 話を戻すと、高額の返還請求事件を宮村氏が紀藤弁護士だけに回せば、被害弁連は組織的に歪になっていきます。しかし、先ほど話したように、私が抗議をしても、宮村氏は知らん顔だった。

――宮村氏を意識されるようになった要因はまだありますか。

伊藤 前にも触れましたが、1991年4月、元信者のWK氏を団長として、40名の元信者が統一協会を被告として損害賠償を求める「青春を返せ裁判」を提起しました。原告数は1次から3次訴訟まで含めると、合計59名にのぼりました。山口広弁護士は原告代理人の代表的存在で、私は弁護団の事務局長を務めました。
原告となった元信者らは、宮村氏が脱会説得させた人達が一番多く、40人くらいいました。だから、口さがない人たちは「これは青春を返せ訴訟ではなく、宮村訴訟」だと揶揄していた。
1994年1月だったと記憶するのですが、「青春を返せ裁判」の原告団と弁護団とが共同で伊豆で合宿を行いました。このとき私は原告側の主張を構成する上でのひとつの理論的な試案として、「マインド・コントロール」自体は違法ではなく、「マインド・コントロール」が違法な目的に対する手段として悪用されることによって行われて初めて違法になるという構成を提案しました。
この試案は合宿の場では概ね受け入れられた感があったのですが、「マインド・コントロール」自体が違法だと主張していた宮村氏にとっては、多くの元信者から神格化されていた手前もあってか、私の存在が許せないものとなっていったようです。この頃から、宮村氏の私に対する個人的攻撃が始まりました。このため、私も宮村という人物について強い関心を持たざるを得なくなりました。

――宮村氏のことを調べられたわけですね。

伊藤 そうです。
 宮村氏は水茎会という、統一協会信者の脱会を希望する父兄らの会を主宰し、毎週父兄らを集めて勉強会と称して集まりをもっていました。勉強会と言っても、脱会者やその父兄の体験談を聞くというのがメインのようですが、父兄らは自分の子弟に対する脱会説得が行なわれるまで最低でも3年、多くは5~6年この勉強会に通うことが要請されました。この間の会費は月1万円くらいでした。しかも子どもの脱会に成功した後も、毎月5000円くらいの支援金を無期限に支払う慣習があったようです。あくまで慣習ですから、強制ではなく、5000円ではなく、1000円とか3000円の人もいたようですし、ある程度付き合って終わりにした父兄もいました。
 このことを調べるきっかけになったのは、「いつまで謝礼金を払い続ければいいのか」と、溜め息をつきながら、ある元信者の母親が私に話したことです。
何人かの父母から話を聞きました。
ある父母は「まだまだ勉強が足りないと、最低でも5年間を待たせるんです。毎月1万円、5年間で60万円も払うのです。脱会に成功しても協賛金といった名目でお金を払わなければならない」という。
その結果、先に話したようなことが判明したわけです。
水茎OB会振込用紙

<参考資料:甲12号証。脱会に成功した父兄に送られる水茎OB会の会費納入お願い文と振込用紙 全文はこちらから>

当時概算した結果、大体毎月300万円くらいの金額を宮村氏は得ていることがわかりました。内訳は、これから脱会説得を行う順番待ちの人が200人で、毎月200万円。残りの100万円が支援金、謝礼金です。
会計報告がなされていないこともわかりました。
日本基督教団のような宗教団体が献金を募るならまだ理解できますが、宗教家ではなく、会社(株式会社タップ)の社長に過ぎない宮村氏がこうした大金を手中にすることは理解できませんでした。
今回の裁判の原告の兄、GT君は青春を返せ訴訟の原告であり、当時、宮村氏の会社に勤めていました。それで、彼に「どんな会社なのか、どんな業務をしているのか」と質問したことがある。ところが、口ごもって、きちんと説明してくれませんでした。
宮村氏にはどうにも不透明なことが多すぎるという印象を持ちました。
そうしたことから、宮村氏への不信感は決定的になりました。
それで、私は山口広弁護士に対して、
「一緒に(反統一教会)運動をする上で、会計が不明朗だと後々問題になるかも知れないから、宮村さんに会計報告を求めた方がいいのではないか」
と話し、会計報告を求めました。
そうしたところ、宮村氏の私に対する攻撃が激しさを増すようになりました。それも、宮村氏が直接私に対して攻撃するのではなく、原告団の中で最も宮村氏の言いなりになってしまった元信者らを使っての攻撃でした。たとえば、こうした元信者らは、「伊藤弁護士を弁護団から外してもらわないと、自分達はやめる」と言い出し、私が何か事務連絡をする度に、それに対して猛抗議をするようになりました。
また、原告団の連絡網を私が作成して配布したところ、ある元信者が、「個人名を勝手に書いてばら撒いた」と言った批判をしてきました。原告団を結成して裁判闘争を共闘している以上、原告団全員の名前が分かってることは当たり前のことですが、いくら説明しても、「弁護士としてあるまじき行為だ」といった抗議を一々私の事務所に電話や文書でして来たり、「伊藤弁護士はおかしなことをしている」といったことを頻繁に言いふらしたわけです。
そこで私は、これ以上私が「青春を返せ裁判」に関わると裁判全体にとってマイナスになると判断し、原告らの代理人を辞任することにしました。オウム騒動の前でしたので1994年のことです。
辞任すると同時に、原告全員に宮村氏のことを糾弾する内容の文章を送りました。
このとき私を支持してくれた何人かの原告らは、宮村氏のやり方に抗議して訴えを取り下げ、共に裁判から撤退しました。担当していたT君やNさんを含め約10人はいたように記憶しています。

――裁判の途中で、訴えを取り下げた原告は17人にのぼります。

伊藤 先にも話したように、「伊藤弁護士を弁護団から外してもらわないと、自分達はやめる」と言って、実際にやめた人もいます。また、私とは関係なく、宮村氏と衝突して裁判から離れた人もいたはずです。

(5)全国弁連から宮村氏を排斥

――そのあとはどうされたのですか。

伊藤 「青春を返せ裁判」からは身を引いたものの、私はその後も全国弁連の活動を続けました。そして、宮村氏の活動の実態を多くの人達に知らせて、人々が宮村氏の悪行に巻き込まれないようにしないといけないとの衝動に駆られたことから、
「宮村氏の脱会活動が、脱会活動に名を借りた金儲けであり、実態は拉致監禁であり、棄教の強要に過ぎない」
ということを、知り合いの弁護士や日本基督教団の牧師など、脱会活動に関与している人達や統一教会信者らの父兄に話しました。
金の臭いがふんぷんとする。脱会のやり方が乱暴で、違法性が強い。信者の家族が私たちを頼ってきた場合、クリーンじゃない人物を紹介したら紹介責任を負わなければならない。
時を同じくして、日本基督教団の牧師さんたちからも声があがるようになりました。
宮村氏は法外なお金を取っている、やり方があまりにも乱暴だ。自分たちも宮村氏と同じように見られてしまう。あんな人物を同じ運動体に入れるべきではない。
そして、私は先に述べた被害弁連のコアなメンバー、山口、飯田、渡邉、紀藤の4人の弁護士に、全国弁連から宮村氏を排斥すべきだと提案しました。94年中のことだったと思います。
全国弁連に父兄から相談があった場合、脱会説得者として宮村氏を紹介しない。宮村氏には全国弁連の弁護士を紹介しない。
宮村氏ととりわけ懇意にしていた紀藤弁護士も消極的だっただろうけど、賛成しました。「宮村との付き合いはやめただろうね」と確認すると、「全然」と言って付き合いを否定した。その結果、私が全国弁連を辞めた2005年までは、宮村氏を全国弁連から締め出すことができました。
もっとも、紀藤正樹弁護士だけは宮村氏と付き合い、宮村氏から紹介される事件を引き受けていたようです。彼が「宮村氏と付き合っていない」というのは嘘だったわけです。
残念なことに、私が辞めた後、宮村氏は再度全国弁連と関わるようになったようです。

<弁連レベルではなく、個人的に付き合っていたのは紀藤弁護士ばかりではない。
私のところに、統一教会信者の妻を持つ夫から、「妻を脱会させたい。ついては脱会説得者を紹介してくれないか」という相談があった。2000年頃のことである。それで、山口広弁護士に相談して欲しいと、山口氏の連絡先を教えた。
しばらくしてから、その夫から連絡があった。
「宮村氏を紹介されました。妻の本箱に小出浩久氏の『ひとさらかいの脱出』、TY氏の『監禁250日/証言「脱会屋」の全て』があり、妻はそれらを読んで、宮村氏を毛嫌いしていました。だから、宮村氏に会った瞬間、逃げ出すと思います。宮村氏じゃあ、ダメです」
 この頃、私は宮村氏が全国弁連から排斥されていたことを知らなかった。伊藤弁護士の証言を聞いて、全国弁連の方針に反して、同組織の代表的存在である山口広弁護士が水面下で宮村氏と連携していることを知った>

(6)宮村氏の支配的性格

――それにしても、宮村氏は胡散臭い人ですねえ。今でも記憶に残っているエピソードはありますか。

伊藤 自殺したJ弁護士のことを思い出します。私と同期だったJ先生は、東京青春を返せ裁判の弁護団の一人でしたが、真面目な形で元信者だった女性と付き合っていました。
 ところが、その女性はたまたま宮村氏が脱会説得した人で、宮村氏の腹心の部下みたいな子だった。TYさんではありませんよ。
 どういう経緯があったかわかりませんが、彼は精神的におかしくなって、仕事もできないような状態になりました。
 彼の名誉のために言っておきますが、彼は独身でした。だから、彼女との関係は不倫ではありません。彼は真面目に結婚を考えていたと思います。
 Jさんから直接聞いたことがありますが、宮村氏が自分たちの交際に反対し,俺たちの関係をつぶしにかかっている、と。

――少々わかりにくい話です。J弁護士とその女性が愛し合っているのであれば、その関係に宮村氏が介在しようとしてもできないのではないでしょうか。

伊藤 宮村氏のことを知らないから、そうした疑問が出るのは当然のことです。
 宮村氏はとにもかくにも支配的な人です。
 それゆえ、宮村氏の手によって脱会した元信者たちは2つのタイプに分かれます。
1つは、宮村氏の支配を受け続ける人、つまり神格化された宮村氏に依存する人たちです。そうした人たちは、宮村氏の意に絶対に背かない。
もう1つは、宮村氏の支配を嫌がり、彼を毛嫌いするようになるタイプです。
 J先生と付き合っていた女性は、前者のタイプでした。だから、その女性は宮村氏の影響を受けて、J先生との間で、何らかのトラブルになったのではないかと思います。
 被害弁連のメンバーだって、こうしたことは推測できていたはずです。
 J先生が亡くなったあと、そうした自殺の背景をおぼろげながらに知りながら素知らぬふりをして、被害弁連の弁護士たちが平然と「お墓参りに行こう」と呼びかけてくる。
 さすがに、私は頭にきて、「ふざけるな、あなたたちは、Jさんが何のためにこんなに追い詰められたのか分かっているだろ」みたいなことを皆に書き送りました。

――とても興味深い話です。J弁護士とその女性が愛し合っていたとしても、その女性はJさんより宮村氏の影響力のほうが強い。恋愛至上主義的な私からすると、理解しにくいところもありますが、オウム真理教の麻原を中心とした人間関係を思い起こせば、あり得る話かもしれません。
 宮村氏の支配的な性格に関することですが、青春を返せの原告・GTさん(本件裁判の被告)と宮村氏との関係はどうだったのでしょうか。

伊藤 まあ、仲がいいとかといったレベルではなく、宮村氏から顎(あご)で使われていましたね。決して、宮村氏に反発するようなことはなく、従順そのものでした。男が男に顎で使われているのを目の当たりにすると、気持ちいいものではありませんでした。

――具体的なエピソードはありますか。

伊藤 あの頃はまだ携帯がありませんでしたから、宮村氏がGTさんに「お前、このことを誰々に伝えてこい」と命令すると、すぐに「ハイ」と言って飛び出していった。ものすごく頭ごなしでした。「あれ持ってこい」と言われると、すぐに従う。宮村氏のパシリのように使われ、とてもかわいそうな印象でした。だから、今でも記憶に残っています。
 
(7)後藤徹氏の事件への宮村氏の関与

――ところで、今回、後藤徹さんの提訴事件で疑問が浮かぶのですが、なぜ、後藤さんは荻窪のマンションに監禁されてから、10年以上も解放されなかったのかということです。
 宮村氏が頻繁に説得にやってきたのは9ヶ月間だけです。
 それなのに、徹さんの家族は宮村氏が説得に来なくなってからも、彼を解放しなかった。これがすごく不思議なのです。西東京市に実家がある。それなのに、10万円前後の家賃を払い続け、荻窪のマンションに家族でい続ける。奇怪な話というしかない。
 宮村氏から後藤徹を解放するなよと言われ、宮村氏の指示に従順に従うという兄のGTさんたちが、その命令に忠実に従ったのではないか。どう思われますか。

伊藤 そうだと思いますよ。
宮村氏が脱会説得した元信者は2つのタイプに分かれますが、従順派は宮村氏の指示に逆らうことなく従います。だから、宮村氏がGTさんに「弟を出すなよ」と言えば、間違いなくそれに従います。
 実は、後藤徹さんが拉致監禁されてから1年半か2年後のことですが、日本基督教団の牧師さんから「宮村さんがある信者を拉致し、1年半だか2年だったか、ずっと監禁している」と聞いたことがあります。
 思わず、「それ、犯罪じゃないですか。信じられない話ですね」と口にしたことがあります。
 その信者が後藤徹さんだったことを、徹さんが告訴したことで知りました。
 牧師さんなど他の脱会説得者ならともかく、宮村氏なら長期間の監禁はあり得る話です。「信じられる話」です。

――それにしても、どうして宮村氏は長期間にわたって解放しないように、GTさんたちに指示したのでしょうか。

伊藤 それは、解放したら、脱会説得に失敗したことが広く知られてしまう。それを怖がったのでしょう。
 宮村氏は「俺は、失敗したことなどない」と吹聴していたと記憶しています。自分の手にかかれば絶対に大丈夫だ(脱会させることができる)みたいなことを言っていたし、そのために、それこそ5年間も教育と称して、月1万円を取り続けているわけですからね。
それがどうも脱会させられなかったこともあるらしいという噂が父兄の間に広まれば、神格化されていた宮村氏のイメージ像が崩れるじゃないですか。

――私は、監禁中に後藤徹さんが宮村氏らに、「訴えてやる」と叫んでいたことが原因しているのかと思います。つまり、解放すると刑事・民事事件で訴えられる。それが怖くて、宮村氏は徹さんをマンションに留め置いたのではないか。

伊藤 それも大いにありますね。なにしろ犯罪なんだから。

――最後の質問です。後藤徹さんが刑事告訴したとき、刑事さんから事情聴取されませんでしたか。

伊藤 警視庁の刑事がこの事務所にきましたよ。それで後藤さんの刑事告訴のことを知ったわけです。
聴取は2時間ぐらいだったか、これまで話してきたような内容のことを洗いざらい話しました。
 宮村氏のやり方を体験している元信者を紹介してくれないかと、刑事に頼まれました。それで付き合いのある数人の元信者に声をかけましたが、みんな「宮村さんが恐い」としり込みをしました。
告訴事件にかなり熱心に取り組んでいるような刑事さんだったので、あとで東京地検が不起訴処分にしたと聞いて、なぜなのかと理解できませんでした。

――ところで、刑事から供述調書を取られましたか。

伊藤 いいえ、取られませんでした。

(追記)今回提出する陳述書は、伊藤芳朗弁護士にチェックを受けたものです。

拉致監禁撲滅のため
応援のクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村



2012-07-31(Tue)
 
「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の弁護士である伊藤芳朗弁護士激白!!
陳述書として提出された米本氏による、伊藤芳朗弁護士とのインタビューが掲載されていましたので紹介します。 「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の弁護士である伊藤芳朗弁護士が宮村峻氏はもちろん、紀藤正樹弁護士、山口広弁護士らについて語っている。 宮村峻氏について...
[拉致監禁をなくす会]  2012-08-01 10:15

コメントの投稿

非公開コメント

伊藤弁護士のこと 

オウム報道の時、よくワイドショーに出演されてた事を覚えております。たしか、弁護士になってなかったら、たこ焼きやになりたかった。と、コメントしてたのが印象に残っています。しかし、宮村氏は問題ですね。評判の悪さ。乱暴な言動 独占欲の強さ 金にまつわる不透明さ 弁護士達もズルイ彼の違法性 拉致監禁を知りながら...統一教会の違法性が認められた判決 なんてコメントを出しますが、宮村氏の違法性には目をつむるのですか?今回の伊藤芳郎弁護士の勇気男気に敬意を示すと共に、是々非々の立場の大切さを痛感いたしました。
2012-07-31 06:54 | 小川寿夫 | URL   [ 編集 ]

なんと勇気のある弁護士 

宮村氏のまわりには、水茎会の父兄も合わせ宮村氏の機嫌を伺う人々が多いが、
なんと潔く清廉な弁護士なのだろうか。

嘘で塗り固められた監禁実行者たちの、宮村氏を始めとした元信者や監禁実行者の親たちよ!
伊藤弁護士の爪の垢でもせんじてよ~~く飲んでほしい。

わる知恵と嘘がまかり通ってきた拉致監禁グループに、良心の呵責という人間らしさの一部分でもよみがえられることを願うばかりである。
2012-07-31 10:20 | kiy | URL   [ 編集 ]

仰天スクープ! 

仰天、衝撃スクープ!!!、ですね。びっくりです。

統一教会サイドからすると「反対派弁護士」の一人ですからねぇ、伊藤芳朗弁護士は。
弁護士は「反対派」に限らず、みんな(福本弁護士を除いて)、統一教会を利する発言はしない、拉致監禁問題はタブー視する、とばかり思いこんでいましたので、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
弁護士に対する見方が変わったのと同時に、勝訴間違いなし、との確信を得ました。

<当時概算した結果、大体毎月300万円くらいの金額を宮村氏は得ていることがわかりました>
<宮村氏の脱会活動が、脱会活動に名を借りた金儲けであり、実態は拉致監禁であり、棄教の強要に過ぎない>

このブロクの紹介文に「反論困難な重い証拠群」という表現がありましたが、正にその通り。反論のしようがありませんね。
「監禁などなかった」というウソはもはや通用しませんよ。

それにしても、宮村がここまで鬼だったとは思いませんでしたね。
徹さんを解放したら、脱会説得に失敗したことが広く知られてしまうし、訴えられかねない。だから、宮村は、従順派のGTさん(本件裁判の被告)に「弟を出すなよ」と下命、GTさんはこれに従った―。

恐ろしい。もはやサイコ・ホラーの世界です。

しかも、この犯罪を隠蔽しているのが、山口広、紀藤正樹、山口貴士弁護士だ、と。
この連中を処罰しない限り、拉致監禁はなくならない、という思いを強くしました。

追伸。米本さんの尽力、伊藤芳朗弁護士の勇気に心から敬服し、感謝いたします。
2012-07-31 19:18 | みんな | URL   [ 編集 ]

紀藤正樹弁護士の仮面を剥ぐ 2 (続編) 

米本さん、陳述書の作成ありがとうございます。

陳述書内の、紀藤正樹弁護士に関する記述をもとに、私のブログで、「藤正樹弁護士の仮面を剥ぐ 2 (続編)」をアップしました。この証言・陳述書なくして、書くことはできませんでした。

紀藤弁護士は、違法行為(拉致監禁)の事実を知りながら、その結果、生じてきた訴訟・損害賠償請求により潤ってきたと、彼の身近なところから証言が出たということでしょう。
2012-08-01 00:26 | Yoshi Fujiwara | URL   [ 編集 ]

伊藤さんのこと(思い出話) 

 伊藤芳朗さんにその昔、密かに感謝したことを書いておく。

 1990年代中頃から、私はユートピアを目指す団体と世間から思われていた(朝日も中央公論もそう書いていた)ヤマギシ会のことを取材していた。
 この団体のことを正確に把握するにはかなりの時間を要した。いくつかの雑誌に記事を書くことによって、次第に認識が深まっていった。
 その結果、ヤマギシ会の問題の本質は、ヤマギシズム学園に預けられた子どもの虐待にあることがわかった。(『洗脳の楽園』『カルトの子』)

 図式はこうである。
 親はいい気分でユートピアの夢にひたり、子どもは虐待を受け密かに助けを求めている。この親子の激しいギャップを認識しているのは一部の祖父母だけ。

 時が経過して、祖父母が中心となって「ヤマギシの子どもを救う会」が1997年に設立された。設立総会には、浅見定雄さんや山口広弁護士が弁士として、スピーチしてくれた。このときの模様はフジテレビなどが放映した。

 会のメンバーは、設立総会の直前に、日弁連に「ヤマギシ会の子どもの人権救済」の申し立てを行った。

 しばらくして、日弁連は「ヤマギシ会の子どもの人権救済申し立て事件委員会」(メンバーは9人の弁護士)を組織した。
 この委員会から事情聴取するということで、呼び出しがあった。私も会の祖父母に請われて、参加した。

 私たちのメンバーは、祖父母たちと2人の元ヤマギシスト(親)それに私の合計10人ぐらい。事情聴取したのは8人の弁護士(1人は欠席)だった。この中に、テレビで顔を知っていた伊藤芳朗さんがいたのである。

 それから1年以上が経過したと記憶しているのだが、日弁連は調査の結果、ヤマギシ会の子どもは人権侵害を受けていると認定し、同会に改善するように「勧告」命令を下した(新聞記事になった)。子どもたちが幸せに暮らしていると長年にわたって喧伝されていたヤマギシズム学園で、人権侵害が行われていることが白日の下ににさらされたのだ。祖父母たちと大喜びしたことを昨日のように思い出す。

 ヤマギシズム学園(24時間の監獄といってもいい)には、当時2000人以上の5~18歳の子どもたちが“収容”されていた。
 それが1999年に、一斉にと表現していいほどに解放された(子どもは親元に引き取られた)。 そして20年以上続いていた「ヤマギシズム学園」は解体した。
 解放・解体の要因はいくつかあるが、日弁連の勧告がその一つであったのは間違いない。

 今回のインタビューで、あのとき密かに伊藤さんたちに感謝したときの気持ちが蘇った。

【参考記事】http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-78.html#more 
2012-08-01 11:14 | 米本 | URL   [ 編集 ]

暗闇の中の光 

一連の拉致監禁事件の裁判のほとんどは、統一教会側の主張がなかなか認めていただける事が少ない中、この伊藤弁護士の陳述は、暗闇の中に光を見出した感を得ました。
正義は、ドラマや小説の中にしかないのかと思っていましたが、良心に従い正義を貫こうとする人は必ずいると確信できました。
私も伊藤弁護士に心から感謝いたします。
2012-08-01 11:50 | 悩める信者 | URL   [ 編集 ]

伊藤弁護士に感謝 

現役弁護士の立場で宮村の悪行を暴く為正義を貫く良心をもたれた弁護士が日本にいたことに感動すると共に、もしこの裁判で後藤氏が負ける様な事があれば、日本の司法を信じられません。
2012-08-02 00:24 | yumi | URL   [ 編集 ]

伊藤弁護士と米本氏へ感謝 

<例えば、現役の統一教会信者を車のバンで後ろから尾行し、スキを見て捕まえて、無理矢理車に連れ込んで、そのまま事前に用意したマンション等の一室に連行して監禁し、信仰を失うまで外に出さない、という方法です>
<これは、法的には明らかに逮捕監禁罪にあたる違法行為です>

すごい。弁護士の鏡です。弁護士ーある意味では、ストレスの多い職業だと思います。初志と職業意識を貫徹しておられることに敬意を表します。Y弁護士やK弁護士はおカネと権力にぐらついたのでしょうか。
即座に、逮捕監禁罪と言い切れるところが、本当にすごいです。
被告側のウソばかりで、事実を歪曲する陳述書とは、天地の差です。
いよいよ、最終幕に近づいたようです。世話役のみなさん、関係者の方々、たくさんの陳述書に時間、エネルギーを費やしてくださり、感謝します。
2012-08-04 13:33 | 灯 | URL   [ 編集 ]

統一教会が朝日新聞社に抗議文 

統一教会が朝日新聞社に抗議文を送付したようです。http://www.ucjp.org/?p=13207 抗議文中に当ブログの記事の内容が引用されているため、参考までにお知らせいたします。なお、抗議文に引用されている米本和広氏の陳述書の写しはこちらからダウンロードできます。
https://docs.google.com/file/d/0Byakoj_ZH6VjQzJNQ0RVZWZRQWc/edit
なお、差し障りのある個人名は記事と同様、イニシャル表記となっておりますので、ご了承ください。
2012-09-08 09:25 | 管理人 | URL   [ 編集 ]

(補足)統一教会が朝日新聞社に抗議文 

昨日、統一教会から朝日新聞社へ抗議文が送付されたことをお知らせしましたが、当会が統一教会の見解を支持しているわけではありません。あくまでも抗議文の中に当ブログの記事が引用されていたため、参考までにお知らせしただけです。
よろしくお願いいたします。

2012-09-09 18:49 | 管理人 | URL   [ 編集 ]

アクセスカウンター
プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

応援のクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓

にほんブログ村
重要なお知らせ

当ブログはリンクフリーです。
 

最新記事
最新のコメント
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。