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後藤徹氏の準備書面(10)ー解放を求めて必死の抗議を行っている者に対して,「5年でも10年でも」留まるよう言いながら監禁は否定する宮村氏

後藤徹氏の準備書面(10)を掲載する。被告宮村の準備書面(第2)に対する反論である。

宮村氏の言っていることがいかに矛盾しているかということを論拠をあげてまとめている。
関係者の陳述書の引用もあるので、適宜、リンクを貼っておいた。
準備書面(10)

平成24年4月10日

東京地方裁判所民事第12部 御中


原告訴訟代理人弁護士  福 本 修 也


本書面においては,被告宮村の準備書面(第2)に対する反論を行う。

第1 「第1」に対して
1 「1」に対して
 本件は,被告■<後藤徹氏の兄>らが被告宮村及び被告松永等の指揮監督の下,統一教会信者である原告を拉致監禁して脱会強要を行った事案であり,原告は,荻窪フラワーホーム804号室滞在中より被告宮村及び被告■<後藤徹氏の兄>等に対して法的手続をとる旨繰り返し警告し,現にこれを追行しているものである。被告宮村の言う「統一教会信者としての立場」において訴訟を提起しているものではない。
 また,被告宮村は,統一教会信者に対する拉致監禁を手段とした脱会強要を日常的に反復継続してきた者であり,他の事例に見られる被告宮村の手法は本件においても大いに参考となるものである。
 被告宮村は,原告が被告宮村と会うことを了承したと主張するが,監禁継続の驚異を背景とする承諾の強要によるものであり,また,被告宮村も原告が監禁下にあって自由な意思決定ができない状況下にあったことを熟知していたものであり,そのような承諾は無効である。しかも,原告は被告宮村が行った愚弄,脅迫,侮辱,非難,中傷,罵倒等を手段とする脱会強要を承諾したものではなく,被告宮村の行為の違法性が阻却される余地などない。
なお,被告宮村が荻窪フラワーホーム804号室を訪れた回数は,1998年1月ないし9月頃までの73回の他にも2001年2月の2回があり,合計75回である。監禁下にある原告のもとを75回も訪れて脱会強要を行うことが社会的に相当な行為であろうはずがない。

2 「2」に対して
 被告宮村は,OFの手記(甲24号証:175頁以下)によっても,信者OBを家族が監禁したという事実を述べたものであるとは到底認められないなどと主張し,被告宮村の共謀についても否定する。しかしながら,原告準備書面(4)(4頁~5頁)で述べた通り,OBの兄は同人の意に反してマンションの一室に連行され拘束されていた事実が明らかである。察するに,被告宮村は,親族が話し合いのため統一教会信者を一定の場所に身柄拘束しても監禁には当たらないとの特異な考えを持っているようである。
なお,『親は何を知るべきか』(甲24号証)には,確かに被告宮村の事前共謀の事実が具体的に記されているわけではない。しかしながら,同書において被告宮村が述べるところは,OBの親族等がOBを監禁していることを当然の前提とし,同人の意思を制圧す方向でOBと対話し,あるいは,OBの親族に対し本人の拘束を指示しているのであるから,事前共謀の事実は明らかである。しかも,同書によれば被告宮村はこのような違法な拘束連行を手段とした脱会強要について経験豊富な専門家として記されているのであり,同被告が拉致監禁,脱会強要を常習的に行ってきた事実は明らかである。
 なお,被告宮村は,部屋の中で暴れるOBを家族等が取り押さえ,翻意させた事実をもって監禁を正当化しようとする。しかしながら,同人の翻意は身体拘束を受けた中でのものであって,任意のものではなく,無効である。実際のところ,被告宮村は,いかに違法な拉致監禁,脱会強要を行ったとしても,信者が完全に脱会しさえすれば,信者から法的責任を追及される恐れはないとの悪質な発想によって,これまで同種犯罪行為を平然と反復継続してきたものである。したがって,,被告宮村は,自らが監禁した信者によって後日法的責任を追及されないようにするためにも,一度監禁した信者を脱会させるまでは絶対に解放しないのである。そしてそのような同被告の強固な方針こそが,原告においては実に12年5ヶ月間にも及ぶ監禁という結果を生むところとなったのである。

3 「3」について
被告宮村は,原告が同被告のことを「統一協会信者を脱会させるためには何年間であろうとも信者を監禁すべきだと考える異常な思想の持主」であると主張したことを否認し,OBに対し「5年でも10年でも整理がつくまでここにいなさい」と述べたのは(甲24号証189頁12行~13行),当時OBが精神的に混乱の極みにあって,考え方を整理しきれていなかったからだと弁明する。しかしながら,ここではOBは,「こんなことをして良いと思っているのか!訴えてやる!」とまで言って被告宮村に対して違法な拘束を抗議し(同号証2行~3行),「ここから出る!」と言って立ち上がったところを親族等に取り押さえられているのである(同号証13行~14行)。このように監禁からの解放を求めて必死の抗議を行っている者に対して,「5年でも10年でも」同所に留まるよう言うこと自体が異常なことであり,正に無期限の監禁意思の表明としか言いようがない。
 なお,身体拘束を受けたOBに対する「5年でも10年でも整理がつくまでここにいなさい」との発言は,拘束から解放する権限が自らにあることを前提とした発言である。したがって,,こうした発言からも,信者を解放するか否かの権限が信者の親族にあるわけではなく,被告宮村に専属している事実は明らかである。
被告宮村等は,「(3)」において「マインド・コントロールから本人がいつ解放されるか,それはどうしたら確認できるのか」については,本件原告の例を見ても容易でないことは明らかであると主張し,これを判断するのは家族であると主張する。しかしながら,被告宮村は,甲24号証で,「大事なことは,それ(信者のマインド・コントロールの程度)をあなたが判断することは,非常に危険だということです。これはもう,豊富な経験を持つカウンセラーに頼るしかありません」と述べ,「もう,あなたの手には負えない」とまで明言しているのである(同号証121頁)。また,「一般的な知識や常識で,本人の状態を見定めることは,かなり難しいことです。」(同号証122頁),「とても普通の人に太刀打ちできるはずがありません」「(カウンセラーに頼らなければ)結局果てしない不毛のいがみ合いが続くだけです」(同号証123頁)と述べ,専門家の「先生」に頼るしか途がないことを強調しているのである。さらに,その後に登場する4つのケーススタディ(同号証123~130頁)で具体例まで示して一般的な知識や常識(素人)では,信者を脱会させることが難しいことをことさら強調している。したがって,信者の脱会の判定(註:被告宮村の言う「マインド・コントロール」の解け具合の確認)は,専門的な知識と経験を持つ被告宮村等,脱会カウンセラーの専権であるというのが,被告宮村の確固とした思想であり,父兄等に対する指導なのである。当然のことながら,被告宮村に全幅の信頼をおいて相談に来る親族等も,その判断においては被告宮村の判断を絶対視するために,被告宮村からの許可が下りるまでは,信者を拘束し続けるのである。
本件においては,原告は監禁途中から偽装脱会を行ったものであるが,未だ被告宮村や被告松永から許可が出なかったために,被告■<後藤徹氏の兄>等においても原告の監禁を解かなかったのである。
被告宮村は,マインド・コントロールが解けたか否かの判断と監禁を解くこととは連動しないと主張する。しかしながら,信者の親族は信者が統一教会の信仰を持っていることを「マインド・コントロール」に陥っているものと捉え,それを解くことを目標に監禁説得を行うのであるから,「マインド・コントロール」が解けたとの判断がカウンセラーによってなされない限り,監禁を解くことなど到底あり得ないことである。

4 「4」に対して
(1)「(1)」に対して
 京都事件は,信者側が正当防衛に出たことに対し,裁判所が親族らによる信者監禁行為とその違法性を認定し,過剰防衛を認定したものである。

(2)「(2)」,「(3)」に対して
岡山事件は,実際に高山正治牧師が統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を日常的に反復継続していたために偶発的に起きた事件である。救出に向かった信者が,たまたま部屋を間違えたために,事件化したものに過ぎない。
なお,監禁されている最中の信者を解放するために救出に及んだ行為が刑事事件化したのはこの2件に限られ,これら以外に刑事事件はない。

(3)「(4)」に対して
京都事件は実際に信者に対する違法な監禁が行われていた事案であって,現場に向かった信者等は話し合いを妨害するために向かったのではなく,信者を救出する為に向かったものである。
岡山事件は,部屋を間違えたために刑事事件化したものであるが,平穏な話し合いが行われていたなら,妨害に行くことはあり得ない。

 5 「5」に対して
(1)「(1)」に対して
被告松永は,常時5カ所以上のマンションに統一教会信者を監禁させ,それらの場所を巡回しながら説得活動を行っていた(甲27号証「小出浩久陳述書」22頁15~16行)。このように被告松永のような脱会説得の専門家は,多い時には一度に5~6人の信者を受け持ち並行して監禁して脱会説得を行うのであり,被告宮村も同様に,最盛期には一度に複数の信者を担当し脱会説得を行っていたものである。荻窪フラワーホームは部屋の構造が監視に適しているため,被告宮村が好んで使用していたマンションであり,同じマンションに複数の信者を監禁した場合,移動の手間が省けることから,同マンションには他の階にも監禁用の部屋が用意され,常習的に用いられてきたものである。このような監禁用マンションの利用状況からも,信者の拉致監禁は個々の信者の親族が各自独断で行っているものではなく,被告宮村の指揮監督下で組織的・統一的に行われていることは明かである。
荻窪フラワーホーム804号室間取り図
<参考資料 後藤徹氏が監禁されていた荻窪フラワーホーム804号室間取り図>

(2)「(2)」に対して
被告宮村は,信者を監禁するなどの行為は控えるべきだと主張してきたなどと述べるが事実に反する。
甲24号証141頁の記述の主旨は,マインド・コントロールが「レベル3」状態まで至ると普通の親が必死に説得しようとしても徒労に終わり,本人からリーダーに報告され,事態はますます深刻になる,というものである。また,同号証の144頁には,救出カウンセリングのために「1.失敗は許されない」として,一度救出カウンセリングに失敗すると,
①本人が家族の反対の程度を知ってしまう,
②親せきや友人の誰が積極的に反対しているのか知られてしまう,
③係わっているカウンセラーが誰かなど知られてしまう,
④これら本人に知られた情報がグループの専門家に報告され,綿密な対策や手段が講じられる,
⑤その結果,救出が難しくなる,
と説明されている。
 ここで,被告宮村は,「本人に知られてしまうこと」が救出を難しくしてしまうと説いているが,上記から明らかなようにその理由は,グループのリーダーに報告され,綿密な対策や手段が講じられてしまうからであると言う。
 以上の被告宮村の主張から導き出される結論は,「救出を成功させるには,信者本人と所属グループの交流を遮断しなければならない」ということである。そのためには,信者を一室に監禁し,外部との交流を一切遮断する以外にないのである。

(3)「(3)」に対して
高澤守牧師とOKの事件については,高澤尋問調書(甲20号証の1,50頁~51頁)を見れば明らかである。また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,高澤と同様,監禁目的でフラワーホーム804号室の窓を施錠していたのであるから,本件と大いに関係がある。

6 「6」に対して
 被告宮村は,OBが部屋から脱出しようとして暴れるのを逆に阻止するよう指示しているものであり,特にOFに対しては,腕に噛みついてでも拘束するようにと述べ,暴行・傷害をも教唆しているものである(甲24号証188頁8行~10行)。一方,OBも監禁状態に置かれていたからこそ,その後に部屋に現れた被告宮村に対して「こんなことをしてよいと思っているのか!訴えてやる!」(189頁2行~3行)などと述べ,脱出を図って阻止されているのである(同号証13行~14行)。被告宮村による監禁,暴行・傷害の教唆,共謀の事実は明らかである。

7 「7」に対して
 被告宮村は,両親及び高澤牧師が監禁した信者から訴えられ敗訴した鳥取教会襲撃事件は明らかに行き過ぎであり,本件と全く関連性がないと主張する。しかしながら,同事件の被害者である富澤裕子の陳述書(甲51号証2頁23行~3頁6行)によると,1997年9月頃,東京での反統一教会の会議において,会議に参加しているメンバーから鳥取教会襲撃事件の件で高澤が非難をされた際,会議に同席していた宮村だけが,高澤の肩を持ち擁護したものである(「自分も同じことをしたであろう」)。
また,その後,被告宮村は,約1年間に亘り富澤裕子が高澤牧師らから監禁されていた期間中の1998年3月9日ころ,高澤牧師の依頼により大阪市内のマンションに高澤と共に訪れ,富澤に対して棄教強要を行い,意に反する脱会表明をさせるに至っている。また,その際,宮村は,当時監禁されていた富澤に「東京に,説得し始めて2年半になるヤツがいるが,言うことを聞かずに,いまだに抵抗している。後藤というヤツだ」と漏らし,当時の原告のことを告げているのである(甲51号証4頁20行~26行)。
 1998年3月と言えば,被告宮村が荻窪フラワーマンション804号室に頻繁に通って原告に対し脱会強要をしていた時期であり,本件と鳥取教会襲撃事件の被害者富澤に対する脱会強要とは同時並行で行われていたものである。

8 「8」に対して
 原告が3回のハンガーストライキを行った理由は,統一教会信者としての信仰を固めるためではなく,監禁に対する抗議として行ったものであった。
被告宮村は原告が断食していることを当時被告■<後藤徹氏の兄>から聞いていたと主張するが,当時も被告宮村は被告■<後藤徹氏の兄>等から原告の様子について逐一報告を受け,指揮指導していたものである。被告宮村は,OBに対して「十日くらい断食してみろ」と言っているが,これは,どんなに過酷な断食をもって監禁に抗議しても絶対に監禁からは解放しないとの脅迫に他ならず,この点からも監禁の首謀者が宮村であり,同被告が信者を解放すると否との決定権を握っていた事実が明らかである(甲24号証191頁7行)。

第2 「第2」に対して
1 「1」については,既に原告準備書面(5)の「第1」「1」「(1)」(1頁)で論じた通りである。

2 「2」に対して
 YSの陳述書(甲34)は,自身が体験した事実を陳述したものであり,虚偽ではない。YSの陳述書(甲34)を虚偽と批判するNI陳述書(乙ハ第13号証)の方こそ虚偽であり,原告が1回目の拉致監禁から逃走後,被告宮村は,原告に対する脱会説得に執念を燃やし,2回目の拉致監禁による脱会説得の機会を虎視眈々と狙っていたものである。

3 「3」に対して
 被告宮村は被告■<後藤徹氏の兄>に対し脱会説得を行った事実を否定する。しかしながら,被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書(乙イ第10号証)4頁によると,1987年初旬,神戸のアパートで説得を受けている最中,被告宮村が来訪し被告宮村から統一教会の草創期のことなど,資料を交えて生々しい内容を詳しく聞かされ,この時被告宮村から聞かされた話により,被告■<後藤徹氏の兄>は統一教会と決別する決意をしたという。したがって,被告宮村は被告■<後藤徹氏の兄>の脱会説得に直接かかわっている。
 また,被告宮村は,被告■<後藤徹氏の兄>が被告宮村の行う脱会説得には余り関与していないという。しかしながら,被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書によると,被告■<後藤徹氏の兄>は,被告宮村から脱会説得を受けた際,被告宮村から,荻窪栄光教会で統一教会の問題を整理することを勧められ,その勧めに従い,1987年の6月ないし7月頃から荻窪に住み,毎日荻窪栄光教会に通ったという。そして,水茎会の集会にも参加し,統一教会信者家族に自身の体験を話し,家族と話し合いをしている信者にも自身の体験談を話したという。また,被告■<後藤徹氏の兄>がタップに就職して以降についても,被告宮村が関与した監禁下での脱会説得活動の現場に現れ,棄教強要に加担するなど,宮村と共に脱会説得活動をしているのである(甲47号証HY陳述書9頁21行,甲50号証TY陳述書3頁25行)。
既述の通り,�被告■<後藤徹氏の兄>の脱会説得に被告宮村が関わり,被告■<後藤徹氏の兄>は被告宮村の説得により脱会したこと,③被告■<後藤徹氏の兄>は,被告宮村の勧めで荻窪に住み荻窪栄光教会に通い水茎会の集会に参加し被告宮村と共に統一教会信者の脱会説得活動を行ったこと,③被告■<後藤徹氏の兄>は被告宮村が経営する会社「タップ」の従業員になり,被告宮村と生活圏を共にしていたこと,④原告の1回目の脱会説得,及び,被告■<後藤徹氏の妹>の脱会説得を担当したのが被告宮村であったこと,⑤YSの目撃証言(甲34号証9頁),⑥原告が保谷の実家で拉致されたとき庭に潜んでいた男がタップの社員であったことなどから,本件における被告宮村の関与と指揮監督は疑い余地がない。

4 「4」に対して
被告宮村と被告松永の連携については準備書面(8)の「第2」「1」「(1)」を援用する。
 被告宮村は,TF(甲36号証)や小出浩久(甲27号証)の各陳述書に虚偽が多いと述べる。しかしながら,TFや小出浩久の陳述書は,自身の体験に基づき陳述したものであり真実を記したものである。特に小出の陳述書に関して言えば,同人の救出のため東京地裁に提出された人身保護請求書(甲32号証)や1996年に同人が記した書籍(甲29号証)が現存しており,被告宮村と被告松永との連携及び共謀に関する小出陳述書の記載には客観性が認められる。もとより被告宮村においては,被告松永も被告宮村と同様の監禁を手段とした脱会強要を反復継続して行う人物であるとの認識があったからこそ,小出を被告松永に託したのであり,被告松永においても,被告宮村の手口を熟知した上で,人身請求が出されている小出を敢えて引き取り,同人に対する拉致監禁,脱会強要を継続したのである。
 原告に対する拉致監禁,脱会強要も,このような両被告間の連携に基づき行われたものである。
 被告宮村は,HCのノート(甲44号証)や小出浩久のノートのコピー(甲45号証)の内容については,被告宮村には全く関係がないと主張しつつ,これらのノートの記述が被告松永の「拉致監禁,脱会強要の指導内容」だとする原告主張を否定する。

ノート1
<参考資料 甲44号証 ノートの一部>
親族が統一教会信者の身体を一定の部屋等に拘束して行う脱会説得を拉致監禁に当たらないとする被告宮村の考えからすれば,上記ノートに記された程度では,未だ拉致監禁には値しないとの主張と思われるが,いかに子といえ,成人の身体を拘束することは逮捕監禁に他ならず,統一教会信者の親が信者に対して行う場合に関しては許されるなどという道理は存在しない。

5 「5」に対して
 被告宮村は甲24号証のOF(信者OBの妹)の手記には拉致監禁,脱会強要がなされたとか,それを宮村が指導推奨したなどという事実は記されていないと主張するが,この点については前述の通りである。
 また,被告宮村は,OBについてなされた家族の行動は,家族間で対話を取り戻すための言動として許容される範囲内のものと主張するが,成人信者を本人の意思に反して拘束するなど許されるはずはなく,被告宮村の主張は信教の自由や人身の自由を著しく無視した主張である。まして,被告宮村のような全くの第三者が,統一教会信者を拘束するのは当たり前と言わんばかりに,信者に噛みつくことまで具体的に例示して身体拘束を指導するなど許されるはずはない。被告宮村のこうした人権感覚の欠如こそが,本件原告における12年5ヶ月に亘る拉致監禁,脱会強要の被害をもたらしたのである。
 被告宮村は,MM(甲43号証)及びTY(甲18号証)の各書面の記載について事実を偽っていると主張する。
 しかしながら,MMはMKに対する拉致監禁・脱会強要に加担した側の人物であり,統一教会とは関係が無く,原告に義理立てすべき立場にはない。したがって,同人の陳述書には客観性があり,その内容は否定のしようがない。また,TYについては,本件が発覚するよりも遙か以前に同人は手記を書き,それが書籍になっており(甲18号証),同書籍との関係からも,その客観性が担保されている。
 被告宮村はNKの例を引き合いに出すが,特に宮村の拉致監禁・脱会強要によって脱会した元信者は拉致監禁の事実を否定する傾向にあり,NKも例外ではないものと考えられる。真に自由意思によってマンションに入ったなら,それは旅行先のホテルにおける話し合い同様,10日間程も家族と口をきかないようにするなどあり得ない。

6 「6」~「11」についてはこれまで原告が繰り返し述べてきた通りである。
第3 「第3」に対して
1 「1」ないし「3」に対して
 原告は,被告宮村の行状に基づき同被告が家族に拉致監禁を指導してきた「脱会家」であると主張しているものであり,殊更に悪意に満ちた誹謗中傷を繰り返しているものではない。
 被告宮村が行うところの「統一協会信者との話し合い」とは,信者の人格を破壊してまで信仰を破壊するという行為であって,単なる助言と話し合いを行っているというものではなく,信者の家族を指示・指導し共謀することによって信者を拉致監禁し,脱会を強要しているものである。

2 「4」に対して
 (1)「(1)」に対して
 判決のあった事実は認め,「ウ」の第2段,「霊感商法の手口」「大金を献金させることを企図して」の部分は否認し,その余は不知。

 (2)「(2)」に対して
「ア」は不知。
「イ」の第1段は不知,第2段は否認。
「ウ」は不知。

(3)「(3)」に対して
「オ」は否認し他は不知。
なお,販売にたずさわる者が統一教会信者である場合,顧客を伝道したいと欲しても不自然ではなく,それ自体は非難に価しない。

(4)「(4)」に対して
  「ア」は「悪質極まりない」を否認しその余は不知。
  「イ」は「法的には違法な手口でお金を払わせる」の部分は否認,その余は不知。
  「ウ」は不知。
「エ」は否認。

(5)「(5)」について
  判決の存在は認めるが,原告が被告宮村らに監禁された1987年及び1995年にはこれら事件は起きていない。

 3 「5」に対して
 (1)「(1)」に対して
  被告宮村の内心については不知であるが,その理由とする内容はいずれも否認する。

  (2)「(2)」は否認する
   「第1」について,統一教会の活動が人権侵害等や被害もたらすわけではなく,また,被告宮村が「正確な知識」を持っているものでもない。
「第2」について,家族を指揮して信者を拉致監禁させているのは被告宮村であり,監禁された信者に対して脱会強要を行うのも同被告である。家族は警察の追及を交わすための隠れ蓑である。
「第3」について,監禁説得は「話し合い」(②)ではあり得ない。また,監禁中に被告宮村らから一方的に与えられる偏った情報によってなされるものであって正確さを欠き,信者の自由意思も尊重されておらず,「正確な情報による信者自らの判断」(③)などできない状況下で行われる。そして,被告宮村が脱会者に対して行うのは,統一教会を敵対視して反統一教会活動を行うよう扇動することであって,「自律のための助言」(④)ではない。

4 「6」に対して
 (1)「(1)」は否認ないし不知。
信者の家族の状況は個々別々であり,一概に論じられるものではない。被告宮村は,「信者を脱会させなければ大変なことになる」などと殊更不安を煽り,信者の家族をして信者に対する拉致監禁へと駆り立てているものである。

(2)「(2)」に対して
   「統一協会=文鮮明のための人生を選択させられている」の部分を否認し,その余は不知。

(3)「(3)」に対して
  「信者らは,教え込みのため,例え現行法に反することをなし,あるいは社会的に強く批判されているとしても,自分は正しいことをしていると思わされている」の部分は否認。

(4)「(4)」に対して
  「相当の期間を要する」の部分は認める。そもそも信者の自由意思に反して行われる脱会強要である以上,時間がかかるのは当然である。
  「家族と信者とが話し合うことができる基盤が形成」の部分は,否認。監禁中にはまともな話し合いは成立しない。

 5 「7」は否認。
被告宮村は,統一教会の教義の内容や統一教会の活動の実態,文鮮明師の実態などについて,「正確な情報」を提供できる人物などではない。

 6 「8」について
   第1段は,「承諾した場合」の部分は否認。被告宮村の言う「承諾」は拉致監禁状況下のものであって,真正な承諾ではない。また,そもそも被告宮村は,監禁中の信者の承諾を得ずに監禁場所に現れるのであって,信者の承諾など尊重されてはいない。
   第2段は否認。被告宮村は脱会させることが目的であり,同被告が展開する批判には一方的なものが多い。

 7 「9」は否認する。
(1)「(1)」に対して
信者が脱会するとしたら,長期監禁によって心身共に衰弱し疲弊した中で被告宮村から一方的な話だけを聞かされ続けるからである。また,信者は統一教会においては自由意思によって活動しているものであり,組織の指示にしたがって,行動しているものではない。
被告宮村は,統一教会内部における心情的なつながりを放棄するには相当な決意が要ると主張する。だとすれば統一教会信者が自宅以外の特殊な場での脱会説得に応じるわけはないのであって,信者の意思に反した拉致監禁が行われている事実は明らかである。

  (2)「(2)」に対して
 統一教会では全てアベルが傘下の信者を統括するとか,厳密な管理が行われているとの主張はいずれも否認し,その余は不知。

 8 「10」に対して
 (1)「(1)」について,詳細は不知。
森山は,統一教会信者を拘束して脱会説得していたものであり(甲59号証),被告宮村は森山が行うところの信者の身体を拘束して行う脱会説得の手法を学び,継承し,これを主体的に行うようになったものである。

(2)「(2)」は否認
被告宮村は,「水茎会」にて元信者やその家族を指揮監督して統一教会信者の脱会説得に当たっており,被告宮村がいつ誰を監禁し,誰の部屋に行くかなど全て被告宮村が決定して行ってきたものであって,元信者もその家族も被告宮村を神格化し,その指示に絶対的に従ってきたものである。
  元信者の父親であるSH(乙ハ8の3)やMM(乙ハ12の3)は被告宮村の指示に絶対的に社長従ってきた者達であり,その陳述に信憑性はない。

第4 「第4」に対して
1 「1」は認める。但し,相談内容は,被告■<後藤徹氏の兄>等3人の子らを統一教会から脱会させたいというものである。

2 「2」は認める。

3 「3」に対して
 第1段は,「宮村の話を聞きたいと言っている」の部分を否認し,その余は認める。原告は,京王プラザホテルに呼び出され監禁された際,「宮村の話を聞きたい」などと言っていない。なお,被告■<後藤徹氏の兄>等と被告宮村とは,予め原告を監禁することを打ち合わせ,監禁のための物的準備を整えた上で原告を京王プラザホテルに呼び出したものである。
 第2段,第3段は認める。但し,原告は,監禁から逃れるために偽装脱会をしていたものであり,実際に脱会していたわけではない。

4 「4」に対して
 (1)「(1)」に対して,不正確なので否認する。
 「ホーム」は統一教会の施設ではなく信徒会の施設であり,「ブロック」,「地区」,「支部」といった組織は統一教会の組織ではなく信徒会の組織である。
 (2)「(2)」に対して,「宮村と話し合ってやめる気になった」以下を否認し,その余は認める。この頃,原告が被告■<後藤徹氏の妹>と会った際,被告宮村と話し合ってやめる気になったなどとは話していない。原告は,監禁中信仰を失ったことは一度もなく,「確かめたいこと」があって統一教会に戻ったのではない。

 5 「5」に対して
 「■<後藤徹氏の兄>も宮村も原告の脱会等について話し合うことはなかった」の部分を否認し,その余は認める。被告■<後藤徹氏の兄>はタップ就職後も被告宮村が統一教会信者に対して行う拉致監禁・脱会強要の手伝いをしており,その中で原告に対する拉致監禁・脱会強要についても謀議を行っていたものである。

6 「6」に対して
 「助言者」以下は否認し,その余は認める。原告はこの頃,水茎会にて被告宮村が父兄らに対して拉致監禁による脱会強要の指導をしている場面を目撃している。また原告はこの頃,被告宮村によって荻窪近辺のマンションに連れて行かれ,脱会強要の場に同席している。

7 「7」は,「水茎会は一旦休眠状態になった」との部分は不知であり,その余は認める。

 8 「8」は「■<後藤徹氏の妹>が話を聞きたいと言っている」の部分を否認し,その余は不知。
1998年の2月頃,原告が被告宮村から聞いたところによると,被告■<後藤徹氏の妹>はマンションに連れて来られた後,押入れに立てこもって被告宮村との面談を拒否したということであり,被告■<後藤徹氏の妹>は,自分の意思で荻窪のマンションに行ったのではなく,保谷の実家で被告■<後藤徹氏の兄>ら家族に拉致されてマンションに監禁されたことは間違いない。

9 「9」は認める。ただし,被告松永及び同宮村が関与した脱会説得である限り,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の脱会説得も同被告の自由が確保された環境でなされたことはあり得ない。被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,被告松永等と共謀した親族らに拉致監禁され,脱会したものである。

10 「10」に対して
(1)「(1)」に対して
 新潟での脱会説得につき,被告宮村が事後承諾したとの主張を否認し,その余は不知。新潟での脱会説得の決定には被告宮村及び被告松永も関与していたものである。即ち,原告に対する第1回目の拉致監禁が被告宮村によって行われたことは既に統一教会側に伝わっていたため,一旦は新潟で原告に対する脱会説得を行うが,最終的には原告を東京に連行し,東京のマンションにて被告宮村が脱会説得を行い,原告の脱会に関する最終確認を行うという計画のもと,本件は始まっているのであり,実際にもその通り実行されたものである。即ち,被告宮村は統一教会信者に対する脱会説得に強い執念とプライドをもって取り組んでいるものであるところ,原告に対する荻窪における第1回目の拉致監禁・脱会強要に失敗したことの無念が引きずっており,何としてでも原告を自分の手で完全に脱会させたいとの執念を燃やし続けて来た人物であるところ(甲34号証:YS陳述書9頁11行~25行),本件はその執念を計画に移したものに他ならない。新潟のパレスマンション多門607号室にて既に原告が脱会届及び反省文を書き,被告松永が同室に通わなくなって以降も,いたずらに原告に対する監禁が継続した背景には,こうした計画があったためである。
なお,保谷市の実家から新潟のパレスマンション多門まで原告を連行するに際して,被告宮村はタップの従業員を派遣して協力を行っている。

(2)「(2)」に対して
不正確なので否認する。青年支部は信徒会の組織であって,荒川教会傘下にはない。乙ハ10号証の添付資料は,正確ではない。Iらトレーニング生について,家族等から拉致監禁,脱会強要の被害に遭わないための指導をしたことはあるが,話し合いで脱会しないよう指導したことはない。そもそもトレーニング生が家族との平穏な話し合いで脱会することなど当時の原告においては考えもつかないことであった。

11 「11」は否認する
 被告宮村は1995年6,7月以降1997 (平成9)年4月頃,原告の両親が同被告を訪ねるまで,同被告は原告と家族との話し合いのことには全くかかわっていないなどと主張する。
 しかしながら,被告宮村が経営する株式会社タップは従業員10人以下の零細企業であり,その従業員である被告■<後藤徹氏の兄>及びもう一名の従業員が原告に対する拉致監禁,脱会強要を開始するに際して,また開始後において,一切知らされていないなどということは絶対にあり得ない。特に,被告宮村は被告■<後藤徹氏の兄>及び被告■<後藤徹氏の妹>のみならず,原告に対する第1回目の拉致監禁・脱会強要にも関わった脱会強要の専門家であり,原告の逃走後も原告に対する脱会強要に執念を燃やし続けていた人物であったのであり,最終的には被告宮村が原告に対する脱会強要を完結することが当初より計画されていたものである以上,当然のことながら同被告は原告の状況に関して逐一被告■<後藤徹氏の兄>等より報告を受けていたものである。
 特に被告■<後藤徹氏の兄>は,原告を新潟のパレスマンション多門で監禁中には,新潟と東京を頻繁に往復し,原告に対する脱会強要に当たりつつ,被告宮村の元でタップにおける業務をも行っていたものであり,東京からの連行の際には会社を休んでまで原告の脱会説得に当たっていたのであるから,当然のことながら,事前事後に被告宮村と共謀しつつ,状況を逐一被告宮村に報告すると同時に,宮村の判断及び指示を受け,これを被告■<後藤徹氏の妹>らに伝達しつつ,原告に対する監禁を継続していたものである。
 被告宮村は,1997年4月頃,原告の父■<後藤徹氏の父>から,「肝臓ガン末期で医者から余命3ヶ月と言われているが,話し合い途中の原告と家族が普通に対話ができる状態になく手伝いをしてほしい」と頼まれたなどと主張する。しかしながら,原告は1995年12月には脱会届け及び反省文を書き,完全に脱会者として振る舞っていたものであり,両親等とは普通に話し合っていたものである。したがって,,1997年4月に至って故■<後藤徹氏の父>が「原告と家族が普通に対話ができる状態になく手伝いをしてほしい」などと言うことは絶対にあり得ないのである。したがって,上記主張は,�最終的には原告を東京のマンションに監禁して被告宮村の手で脱会を確認するとの計画及び②被告■<後藤徹氏の兄>が新潟と東京を行き来して原告の状況を被告宮村に報告し同被告の指示を被告■<後藤徹氏の妹>らに伝えていた事実の両者を隠蔽するための作り話に他ならない。

12 「12」に対して,被告宮村が故■<後藤徹氏の父>の葬儀に参列したとの主張を認め,その余は否認する。
被告宮村は,同年12月末頃,初めて被告■<後藤徹氏の兄>から改めて依頼を受け,それまでは,原告はじめ家族の状況に関心がなかったかのごとく述べているが,このような主張は,1997年4月頃,故■<後藤徹氏の父>が,がんで余命3ヶ月であることを告白し,原告の脱会説得を懇願したとの先の被告宮村の主張とも矛盾するものである。仮に余命3ヶ月の人間からこのような依頼を受けたとしたら,「救出カウンセラー」である被告宮村が,当該信者及びその家族の状況に関心を持たないはずはないからである。のみならず,原告は一度被告宮村が脱会説得に失敗している人物であり,しかも原告の兄の被告■<後藤徹氏の兄>は被告宮村の会社の従業員である。したがって,,被告宮村は最大の関心をもって,原告の動向について報告を受け,指示を下していたものであり,上記主張もまた,�原告に対する脱会強要を完結するという当初からの計画及び②被告■<後藤徹氏の兄>が逐一原告の状況を報告し被告宮村の指示を受けていた事実の両者を隠蔽するための作り話に他ならない。
なお,一般の脱会説得においてすら,被告宮村のような脱会強要の専門家は,信者の居場所や状況,家族の状況など逐一報告を受けて,脱会強要の計画を立てるものである。

13 「13」に対して
 (1)「(1)」は認める。
被告宮村は,1998年1月から10月頃まで804号室を73回訪れ,原告に対し監禁下での脱会説得を行った(回数と時間帯は争いなし)。被告宮村は,この後,しばらく804号室を訪れなかったが,2001年2月に2回訪れ,監禁に対し抗議する原告に対し,暴力を振るっている。

 (2)「(2)」は否認する。
804号室で行われたことは「話し合い」などというものではなく,原告は,監禁状態下,被告宮村,元信者及び被告■<後藤徹氏の兄>等家族の合計7~13人もの者達に取り囲まれ,統一教会やその教理及び教祖に対する非難,中傷,罵倒等を受け続けたものであり,原告が受けた精神的苦痛は言語に絶するものがある。

(3)「(3)」は否認する。
原告は,「文鮮明師がメシアと認められない」など絶対に言っていない。被告宮村や被告■<後藤徹氏の兄>ら家族・元信者ら統一教会に反対する人々に非難され続けられながらも,文鮮明師がメシアであり,統一教会の教理が真理であることは,一貫して主張し続けたのである。また,被告宮村が,この頃より804号室に訪れなくなった本当の理由は,訴えられるのを恐れたためと思われる。また,既述のおとり被告宮村は,2001年2月にも2回804号室を訪れ,監禁に対し抗議する原告に対し,暴力を振るった。

(4)「(4)」は否認する。
被告宮村は,804号室の玄関の南京錠に気づき,被告■<後藤徹氏の兄>に必要ない旨話したと述べているが,これは,被告宮村自身の指揮・命令・監督により監禁,すなわち,ドアチェーンに南京錠をつけていたことを隠蔽するための虚偽証言である。過去,宮村関与の下,脱会説得を受けた統一教会信者で,監禁されずに脱会説得を受けたものはいない。その方法は,特に玄関においては,鎖や南京錠等で施錠し,内側から出られないようにする。(甲11「MK陳述書」3頁最下行・7頁18行目・4頁31行目,甲27「小出浩久陳述書」4頁6行目,甲34「YS陳述書」6頁15行目,甲35「YY陳述書」7頁15行目・甲47「HY陳述書」6頁下から3行目・甲50「TY陳述書」3頁19行目)さらに,宮村の指導の下で姉のMKを拉致監禁したMMも原告と同じ荻窪フラワーホーム5階の一室に自身が監禁目的で防犯チェーンに南京錠を掛けたことを告白している(甲43MM陳述書2頁下から5行目)。これらを見れば,被告宮村が監禁目的で玄関を鎖と南京錠等で施錠するように統一教会信者家族に指導していることは,間違いない。
また,被告宮村が1月~9月ごろまで73回に亘って訪れた中で,クレセント錠に気づいてないなどというが,あり得ない。被告宮村は,1982年から統一教会信者に対する脱会説得活動を始め,16年もの(1998年当時)経験をもち,1997年には,『親は何を知るべきか』と題する信者奪還のための指南本の中核部分を執筆するまでになった,老練な自称「救出カウンセラー」である。その被告宮村が,被告■<後藤徹氏の兄>らでさえ配慮した窓の施錠状況をチェックしていないはずがない。また,被告宮村は,ヘビースモーカーであり,監禁状態で密閉された部屋でもお構いなく煙草をふかしていた。フラワーホーム804号室の奥の部屋も,被告宮村が来ると煙草の煙のため,よく空気が白くなったほどである。当時,1月~9月まで,季節は冬から春,そして夏が過ぎ秋にさしかかるころまで被告宮村は頻繁に804号室を訪れていた。普通の常識がある人物であるならば,部屋の空気が白くなるほど煙草を吸えば,同室の人達に配慮して,真冬でもない限り換気のために窓を少し開けるくらいの考えを持つものである。しかるに,被告宮村は,一度も換気に気を払うことはなかった。これは,被告宮村が,すでに804号室の窓が施錠され,開かないようになっているということを十分知っていたからに他ならない。

(5)「(5)」に対して
 被告宮村が元信者を連れて来訪した事実,及び被告宮村が来訪しない時にも元信者が来訪した事実を認め,その余は否認する。
被告宮村がいつどの元信者を同伴するかは全て被告宮村が判断し指示しているものであり,被告宮村が訪問しない時にどの元信者がいつ訪問するかも含め,被告宮村の許可なしに元信者が勝手に行うことは許されていない(甲11号証MK陳述書6頁27行~7頁2行)。また被告宮村は,監禁されている信者に精神的に揺さぶりをかけるために元信者を同伴するのであって,今日は信者を怒らせる方向で行くなど,予めシナリオを打ち合わせて監禁部屋に臨むのである(甲34号証YS陳述書7頁16行~24行)。
 本件においては,被告宮村は多勢に無勢の原告を精神的に圧迫するために元信者を同行させるのであって,被告宮村が連れてきた元信者によって原告は罵詈雑言を浴びせられ,時には緑茶を顔面に浴びせかけられるなどの虐待を受けている(甲9号証原告陳述書19頁24行~26行)。
被告宮村はYKSHといった元信者の陳述書を提出するが,これら元信者等は被告宮村を神格化し盲従している者達であって,自身の脱会時に拉致監禁などされていなかったなどと虚偽の陳述を行うなど,全く信憑性はない。

(6)「(6)」に対して
第1段は否認する。この点については,これまで繰り返し主張してきた通りである(原告準備書面(1)の「第3」「1」「②」(4頁~5頁),原告陳述書(甲9号証18頁~19頁)。
第2段について,被告松永の来訪のいきさつについては不知であり,その余は認める。
14 「14」に対して
第1段は否認。既述の通り,被告宮村は2001年2月に2回フラワーホーム804号室を訪れ,原告と会っている。
第2段は不知。
第3段は否認。原告準備書面(4)「第2」「4」(16頁)で述べた通り,被告■<後藤徹氏の兄>らは,被告宮村の許可が出たので原告を解放したのであり,被告宮村が,被告■<後藤徹氏の兄>らが原告を解放した後にそのことを知ったということはあり得ない。加えて言えば,被告■<後藤徹氏の兄>等は監禁資金が底をつき,監禁継続が不可能となったために原告を解放したと見られるのであって,そうした事情でも無い限り,信仰を持ったままの統一教会信者を被告宮村が解放することはあり得ない。特に本件のような場合,原告を解放すれば,後日,被告宮村らが原告から訴えられることは十分予想できたはずだからである。即ち,仮に被告■<後藤徹氏の兄>等に資金的余力があれば,原告は今尚荻窪フラワーホーム804号室に監禁されていたものと言えるのである。

15 「15」は否認する。

16 「16」は否認する。
2000年2月中旬頃,米本和広が被告宮村の自宅を写真撮影した事実,及びこのとき米本と被告宮村とが会話した事実を認め,その余を否認する。
 米本は統一教会のおかかえジャーナリストなどではなく,拉致監禁、脱会強要問題以外では統一教会に対して批判的なスタンスを現在も維持しているものである。即ち,統一教会に批判的でありながら,拉致監禁,脱会強要問題については,正義の観点から断じて放任できないというのが米本のスタンスである。
 被告宮村が米本を警戒していたのは事実であるが,揚げ足をとられないような対応をしたわけではなく,保身のため事実を隠蔽する発言をしたものである。そうであればこそ,被告■<後藤徹氏の兄>等が行った拉致監禁に対する自身の共謀の事実については触れず,全て被告■<後藤徹氏の兄>ら原告の家族がやったものとの返答を行っているのである。
 米本は,被告宮村との会話後すぐに荻窪駅付近の喫茶店で取材メモを作成しており,陳述書に記された被告宮村との会話は同被告の口調を含めきわめて正確に再現されている(甲46号証の1:3頁2行~4行)。

以 上


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2012-08-08(Wed)
 

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“解放”を知っていた? 

全面的に同感です。
ただ、一点、違うのではないか、と思うところがあります。

<被告■<後藤徹氏の兄>らは,被告宮村の許可が出たので原告を解放したのであり,被告宮村が,被告■<後藤徹氏の兄>らが原告を解放した後にそのことを知ったということはあり得ない。加えて言えば,被告■<後藤徹氏の兄>等は監禁資金が底をつき,監禁継続が不可能となったために原告を解放したと見られるのであって,そうした事情でも無い限り,信仰を持ったままの統一教会信者を被告宮村が解放することはあり得ない。特に本件のような場合,原告を解放すれば,後日,被告宮村らが原告から訴えられることは十分予想できたはずだからである>

「宮村が,被告■<後藤徹氏の兄>らが原告を解放した後にそのことを知ったということはあり得ない」とありますが、被告■が原告を解放することを宮村は事前に知っていて、それを承諾したのでしょうか…。

「原告を解放すれば,後日,被告宮村らが原告から訴えられることは十分予想できたはず」なので、宮村が解放を承諾するはずがない。仮に、その解放が、本当の意味の解放ではなく、脅しのつもりで一時的に外に放り出す行為であるとしても、宮村がその場にいないとすると、承諾するはずはないと思います。
だから、宮村は「原告を解放した後にそのことを知った」のではないでしょうか。

被告■は、資金が底をつき、精神的にも限界で、つい血気に走り、「お前の顔なんか見たくない」とばかりに、原告を外に突きだしたのではないでしょうか。
どうせ、宮村は「出すな」と言うに決まっている。だから、宮村に許可をもらわないで、衝動的に、被告■が原告を解放(外に放り出す)したのではないかと思います。
2012-08-09 08:52 | みんな | URL   [ 編集 ]

Re: “解放”を知っていた? 

 みんなさんの意見に、やや不同意です。
 私は、後藤さんを追放したのは、宮村氏の許可を受けてのことだったと推測しています。以下、アットランダムに。

理由その1・伊藤弁護士はこう話していた。http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-112.html
<宮村氏はとにもかくにも支配的な人です。
 それゆえ、宮村氏の手によって脱会した元信者たちは2つのタイプに分かれます。
1つは、宮村氏の支配を受け続ける人、つまり神格化された宮村氏に依存する人たちです。そうした人たちは、宮村氏の意に絶対に背かない。
もう1つは、宮村氏の支配を嫌がり、彼を毛嫌いするようになるタイプです>
 

 宮村氏と後藤兄との関係について。
<まあ、仲がいいとかといったレベルではなく、宮村氏から顎(あご)で使われていましたね。決して、宮村氏に反発するようなことはなく、従順そのものでした。男が男に顎で使われているのを目の当たりにすると、気持ちいいものではありませんでした>
<あの頃はまだ携帯がありませんでしたから、宮村氏がGTさんに「お前、このことを誰々に伝えてこい」と命令すると、すぐに「ハイ」と言って飛び出していった。ものすごく頭ごなしでした。「あれ持ってこい」と言われると、すぐに従う。宮村氏のパシリのように使われ、とてもかわいそうな印象でした。だから、今でも記憶に残っています>

 このように、後藤兄は宮村氏の指示が絶対的だったわけです。
2012-08-09 16:42 | 米本 | URL   [ 編集 ]

Re: “解放”を知っていた?(続) 

 理由その2・後藤さんが追放された2、3日後に宮村氏と会ったとき、彼は後藤さんが断食していたこと、追放されたことも知っていた。
「精神的にも限界で、つい血気に走り」、追い出したあと、宮村氏に事後報告したということはあり得ますが。

理由その3・仄聞情報ですが、宮村氏は後藤さんが追放され、ヨロヨロと青梅街道を歩いていく姿を、マンションの横から密かに見ていたという。

 みんなさんの分析には説得力があります。

<「原告を解放すれば,後日,被告宮村らが原告から訴えられることは十分予想できたはず」なので、宮村が解放を承諾するはずがない>

 私もこの点が大いなる謎でした。
 ただ、監禁を維持する後藤家の資金が枯渇した。宮村氏は自分が訴えられないために、その経済支援までするだろうか。そうした疑問も生まれます。

 後藤家が「宮村先生、私たちは資金的にも限界です。もう徹を追い出したいのですが」とお伺いを立てたとき、彼は「俺が資金援助をするから、そのままの状態を維持しろ」と言うかどうか。

 みんなさんと私の間違いは、宮村氏が徹さんの監禁状態を解かなかったのは、訴えられるのが恐かったからというものです。

 伊藤弁護士の見方によって、この認識は覆りました。
2012-08-09 17:32 | 米本 | URL   [ 編集 ]

Re: “解放”を知っていた?(続々) 

伊藤弁護士はこのことについて、こう分析していました。

――それにしても、どうして宮村氏は長期間にわたって解放しないように、GTさんたちに指示したのでしょうか。

伊藤 それは、解放したら、脱会説得に失敗したことが広く知られてしまう。それを怖がったのでしょう。
 宮村氏は「俺は、失敗したことなどない」と吹聴していたと記憶しています。自分の手にかかれば絶対に大丈夫だ(脱会させることができる)みたいなことを言っていたし、そのために、それこそ5年間も教育と称して、月1万円を取り続けているわけですからね。
 それがどうも脱会させられなかったこともあるらしいという噂が父兄の間に広まれば、神格化されていた宮村氏のイメージ像が崩れるじゃないですか。


 伊藤さんのこの分析は、身近で宮村氏のことを見てきた人の証言ゆえに、とても重要だと思うようになっています。

 小出さんと鳥海さんは単行本で、宮村氏の強制脱会のことを暴いています。
 これらを読めば、宮村氏は脱会説得に失敗したこともあったんだということがわかります。

 しかし、宮村氏は信者家族にこううそぶいたはず。

「あれらの本の出版元は、統一教会系の光言社ですよ。嘘ばっかり書いてあるんだから」

 このように説明すれば、信者家族は「ガッテン、ガッテン」です。
 ちなみに、私も読む前はそのように思っていましたから。

 今回の提訴も同じようにやっているのです。

 すなわち、後藤徹の訴えは統一教会の拉致監禁キャンペーンの一環としてあり、原告及び原告側の陳述書は統一教会の意向に沿って書かされたもの。そう言うしかないのです。

 昔からの宮村パターンと同じだし、そう主張しないと彼の統合性が失われてしまうからです。1234567
2012-08-09 18:01 | 米本 | URL   [ 編集 ]

Re: “解放”を知っていた?(オシマイ続々) 

なぜ、瑣末とも思えるようなことを、長々と書いているのか。

 宮村氏と他の脱会説得者とを比較して、つい考えてしまいます。

 戸塚教会の黒鳥氏、行田教会の清水氏、札幌のパスカル氏、神戸真教会の高澤氏、倉敷めぐみキリスト教会の高山氏などなどと、つい比較してしまう。

「支配力が強い」という点では共通するのだけど、宮村氏のそれは異常に強いということです。

 それゆえ、宮村氏の支配下にある信者&信者家族は、異常に、忠誠心を示すということなのです。

 話を元に戻せば、宮村氏の許可なく、徹さんを追放するなんてことはあり得ない。そう思うゆえに長々と書いてしまったという次第です。

 宮村氏は、反統一&監禁実践派諸君とは少しばかり違うのです。
2012-08-09 18:13 | 米本 | URL   [ 編集 ]

資金難 

<伊藤弁護士の見方によって、この認識は覆りました>
<伊藤 それは、解放したら、脱会説得に失敗したことが広く知られてしまう。それを怖がったのでしょう>(米本さんのコメントより)

要するに、
監禁を維持する後藤家の資金が枯渇→宮村は自分が訴えられる可能性を恐れはしたものの、経済支援まではできない(やりたくない)→徹さんに対する脱会説得の失敗は例外中の例外として説明がつく→「解放してもいいぞ」→兄が徹さんを解放(突き出す)
ってことでしょうか。

そう言われれば、それもありですね。

殴る側が殴り疲れて、殴られる側が勝った、みたいな感じで、12年に及ぶ監禁・棄教強要に徹さんの信仰が勝った、ってことですね。

納得です。
2012-08-10 08:30 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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