後藤徹氏の準備書面(9)ー日本同盟基督教団の準備書面に対する反論
先回に引き続き、後藤徹氏の準備書面を掲載する。今回は日本同盟基督教団の準備書面に対する反論である。
当準備書面では, 被吉日本同盟基督教団 (被告法人) の2012年2月16日付準備書面に対する認否・反論を行う。
第1 被告法人の主張に対する認否
1.「1」,「2」及び 「3」は不知。
2.「4」中, 個別教会が礼拝堂や計大地を取得・処介するに際し被告法人の理事長の承認が必要との主張を認め, 新津福昔教会の会堂建設時の話が甲29号証においてて歪曲されながら記載されているとの主張を否認し、その余は不知。
3.「5」中, 被告法人が所属の教職者に対して研修会を行うとの主張及び所属牧師に対して教職資格の停止・剥奪といった処分を行うとの主張を認め,被告法人と所属牧師との指揮監督関係を否定する主張を否認し,その余は不知。
第2 原告の主張
被告法人は, 「宗教の教義をひろめ, 儀式行事を行い, 及び信者を教化育成すること」を主たる目的とするところの 「宗教法人」(宗教法人法2条柱書), その職務を執行する所属牧師に対して当然のことながら指揮監督をすべき立場にあるのであって, そうであればこそ被告法人は,試験等を通して牧師等の教職資格者を認定し(前記被告準備書面 「2」),教職資格者の異動や牧師の辞任には被告法人本部への申出を要求し, 教職資格者の人事については被告法人本部の運営の中心であるところの理事会(同 「1」) がこれを調整し(同 「3」), 個別教会の礼拝堂や境内地の取得・処分に理事長の承認が必要である旨規定し, 更に, 違法・不当な行為や教義から逸脱した行為を行った所属牧師に対して教職資格の停止・剥奪といった処分を行っているものである (同 「5」)。
被告法人の主張によれば, 被告法人所属牧師には数年で異動する牧師もいる反面, 被吉松永が1971年4月以来41年間にわたって新津キリスト教会の牧師を勤めてきたというのであり, これは, 被吉松永が新潟を拠点に統一教会に対する反対活動及び統一教会信者に対する拉致監禁を手段とした脱会強要活動を行ってきたという特殊性に被告法人が配慮し、こうした活動を援助・助長するためであったと考えられる。被吉松永の統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要活動については, 出版・報道を通じて長年指摘されてきた事実であり, 被告法人においてこれを知らなかったとする抗弁は成り立たない。本来であれば, 被告法人はこうした違法・不当な活動を禁止し, 被吉松永に対して教職資格の停止・剥奪といった処分を行ってしかるべき義務があったものである。ところが, 被告法人は, かえってこれを放置し, 長年人事を行わずに同被告の違法活動の便宜を図り続けてきたその責任は重大であり, 被告法人の被吉松永に対する選任・監督上の注意義務違反は明らかである。
なお, 被告法人は随所に法人規則に基づくとみられる主張を行っている
が, 被告法人の法人規則を証拠として提出すべきである。
準備書面 (9)
東京地方裁判所民事第1 2部 御中
平成24年4月10日
原告訴訟代理人弁護士 福本修也
当準備書面では, 被吉日本同盟基督教団 (被告法人) の2012年2月16日付準備書面に対する認否・反論を行う。
記
第1 被告法人の主張に対する認否
1.「1」,「2」及び 「3」は不知。
2.「4」中, 個別教会が礼拝堂や計大地を取得・処介するに際し被告法人の理事長の承認が必要との主張を認め, 新津福昔教会の会堂建設時の話が甲29号証においてて歪曲されながら記載されているとの主張を否認し、その余は不知。
3.「5」中, 被告法人が所属の教職者に対して研修会を行うとの主張及び所属牧師に対して教職資格の停止・剥奪といった処分を行うとの主張を認め,被告法人と所属牧師との指揮監督関係を否定する主張を否認し,その余は不知。
第2 原告の主張
被告法人は, 「宗教の教義をひろめ, 儀式行事を行い, 及び信者を教化育成すること」を主たる目的とするところの 「宗教法人」(宗教法人法2条柱書), その職務を執行する所属牧師に対して当然のことながら指揮監督をすべき立場にあるのであって, そうであればこそ被告法人は,試験等を通して牧師等の教職資格者を認定し(前記被告準備書面 「2」),教職資格者の異動や牧師の辞任には被告法人本部への申出を要求し, 教職資格者の人事については被告法人本部の運営の中心であるところの理事会(同 「1」) がこれを調整し(同 「3」), 個別教会の礼拝堂や境内地の取得・処分に理事長の承認が必要である旨規定し, 更に, 違法・不当な行為や教義から逸脱した行為を行った所属牧師に対して教職資格の停止・剥奪といった処分を行っているものである (同 「5」)。
被告法人の主張によれば, 被告法人所属牧師には数年で異動する牧師もいる反面, 被吉松永が1971年4月以来41年間にわたって新津キリスト教会の牧師を勤めてきたというのであり, これは, 被吉松永が新潟を拠点に統一教会に対する反対活動及び統一教会信者に対する拉致監禁を手段とした脱会強要活動を行ってきたという特殊性に被告法人が配慮し、こうした活動を援助・助長するためであったと考えられる。被吉松永の統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要活動については, 出版・報道を通じて長年指摘されてきた事実であり, 被告法人においてこれを知らなかったとする抗弁は成り立たない。本来であれば, 被告法人はこうした違法・不当な活動を禁止し, 被吉松永に対して教職資格の停止・剥奪といった処分を行ってしかるべき義務があったものである。ところが, 被告法人は, かえってこれを放置し, 長年人事を行わずに同被告の違法活動の便宜を図り続けてきたその責任は重大であり, 被告法人の被吉松永に対する選任・監督上の注意義務違反は明らかである。
なお, 被告法人は随所に法人規則に基づくとみられる主張を行っている
が, 被告法人の法人規則を証拠として提出すべきである。
以上
2012-07-20(Fri)
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異動できない
<被告法人所属牧師には数年で異動する牧師もいる反面, 被吉松永が1971年4月以来41年間にわたって新津キリスト教会の牧師を勤めてきたというのであり, これは, 被吉松永が新潟を拠点に統一教会に対する反対活動及び統一教会信者に対する拉致監禁を手段とした脱会強要活動を行ってきたという特殊性に被告法人が配慮し、こうした活動を援助・助長するためであったと考えられる>
全くその通りだと思います。
41年間にわたって異動なし、しかも信者の半数が元統一教会信者-。日本同盟基督教団の幹部は100%、松永牧師が拉致監禁による強制改宗をしていることを知っていて、その“実績”を評価して、人事異動しないのでしょう。
信者を獲得し、しかも異端にだまされ迷っている子羊を救い出している、となれば、評価こそすれ、異動させる理由がないのでしょう。松永牧師も新津で甘い汁を吸っていたわけで、人事異動を希望するはずもなく、その“実績”から、特別扱いされたのでしょう。
日本基督教団にしろ、日本同盟基督教団にしろ、これまで「拉致監禁」に対する見解を公言していません(少なくとも私は聞いたことがありません)。どいつもこいつも「家族の相談にのっているだけ」というスタンスで、内心は異端から改宗させることができるなら、拉致監禁でもなんでもOKだ。
ラブホテルに行っている牧師も解雇できない。指導力も人権感覚もない。
この裁判を機に、腐りきった基督教団が改心して、キリストの愛を伝える団体に立ち返ってくれることを祈ってやみません。
全くその通りだと思います。
41年間にわたって異動なし、しかも信者の半数が元統一教会信者-。日本同盟基督教団の幹部は100%、松永牧師が拉致監禁による強制改宗をしていることを知っていて、その“実績”を評価して、人事異動しないのでしょう。
信者を獲得し、しかも異端にだまされ迷っている子羊を救い出している、となれば、評価こそすれ、異動させる理由がないのでしょう。松永牧師も新津で甘い汁を吸っていたわけで、人事異動を希望するはずもなく、その“実績”から、特別扱いされたのでしょう。
日本基督教団にしろ、日本同盟基督教団にしろ、これまで「拉致監禁」に対する見解を公言していません(少なくとも私は聞いたことがありません)。どいつもこいつも「家族の相談にのっているだけ」というスタンスで、内心は異端から改宗させることができるなら、拉致監禁でもなんでもOKだ。
ラブホテルに行っている牧師も解雇できない。指導力も人権感覚もない。
この裁判を機に、腐りきった基督教団が改心して、キリストの愛を伝える団体に立ち返ってくれることを祈ってやみません。
松永と日本同盟基督教団は信仰告白を!(上)
松永牧師(新津福音キリスト教会)と日本同盟基督教団との関係がよくわからなかった。
一般的には包括法人と被包括法人との関係だと思われるが、それは宗教法人法上の建前であって、関係の実態はよくわからない。
だから、原告代理人も「不知」を連発し、末尾にこう書いている。
<なお, 被告法人は随所に法人規則に基づくとみられる主張を行っているが, 被告法人の法人規則を証拠として提出すべきである>
話は横道にそれるが、拉致監禁問題の取材を始めてから、次の疑問が解くことができないでいた。
教会は誰のものか
牧師のものか、信徒のものか、はたまた包括法人のものか。
こんな疑問が浮かんだのは、実に単純な事実からである。
横浜市の戸塚教会は長年、黒鳥栄と姉が牧師をやっている。岡崎市の西尾教会の杉本牧師もそうである。外形からすれば、親の代からの世襲である。
これに対して、清水与志雄牧師は滋賀県→群馬県→愛知県→埼玉県と、次から次へと異動し、まるでフーテンの寅さんである。竹迫牧師も豊田牧師もそうである。
この比較から考えるに、教会は教会の土地を手当てし、教会を建設した者ではないかということである。実に資本主義的である。(もっともキリスト教そのものが資本主義と照応する関係にあるようだが)
多額のお金を出して戸塚教会を建設したのは黒鳥栄の父親である。西尾教会の場合も杉本誠の父親である。だから、彼らの包括法人である日本基督教団は彼らが牧師で居続けることを容認する。ないし容認せざるを得ないのだ。実に資本的主義的、教会は金を出した人のものになる!ということだ。
もし日本基督教団が、黒鳥や杉本を別の教会への異動を命じ、「新天地で布教せよ」と言ったら、裁判闘争になるかもしれない。
一般的には包括法人と被包括法人との関係だと思われるが、それは宗教法人法上の建前であって、関係の実態はよくわからない。
だから、原告代理人も「不知」を連発し、末尾にこう書いている。
<なお, 被告法人は随所に法人規則に基づくとみられる主張を行っているが, 被告法人の法人規則を証拠として提出すべきである>
話は横道にそれるが、拉致監禁問題の取材を始めてから、次の疑問が解くことができないでいた。
教会は誰のものか
牧師のものか、信徒のものか、はたまた包括法人のものか。
こんな疑問が浮かんだのは、実に単純な事実からである。
横浜市の戸塚教会は長年、黒鳥栄と姉が牧師をやっている。岡崎市の西尾教会の杉本牧師もそうである。外形からすれば、親の代からの世襲である。
これに対して、清水与志雄牧師は滋賀県→群馬県→愛知県→埼玉県と、次から次へと異動し、まるでフーテンの寅さんである。竹迫牧師も豊田牧師もそうである。
この比較から考えるに、教会は教会の土地を手当てし、教会を建設した者ではないかということである。実に資本主義的である。(もっともキリスト教そのものが資本主義と照応する関係にあるようだが)
多額のお金を出して戸塚教会を建設したのは黒鳥栄の父親である。西尾教会の場合も杉本誠の父親である。だから、彼らの包括法人である日本基督教団は彼らが牧師で居続けることを容認する。ないし容認せざるを得ないのだ。実に資本的主義的、教会は金を出した人のものになる!ということだ。
もし日本基督教団が、黒鳥や杉本を別の教会への異動を命じ、「新天地で布教せよ」と言ったら、裁判闘争になるかもしれない。
松永と日本同盟基督教団は信仰告白を!(下)
((「上」は日本語として変なところがあるが、どうか御寛恕を)
では、新津福音キリスト教会の場合はどうか。
参考になるのは同教会のホームページである。
http://niitsu.moo.jp/church.html
これによれば、草創期(1950年~)はスウェーデン人のハンス・マグヌソン、アメリカ人ヘギー夫妻、りース夫妻などによって担われた。
そして、発展の礎は大滝信也氏によって築かれた。
(サイトの引用はじめ)
64年、それまでは正式な牧師のいなかった当教会でしたが、柏崎聖書学院を卒業したばかりの大滝信也師を初代牧師として招聘することができました。この頃の教会財政はとても苦しいものでしたので、大滝師は新聞配達の仕事をしながら牧会してくださいました。68年には、64坪の小さな教会堂を建て、少ない人数ながらも神様を礼拝し、讃美の歌をうたう固定した1つの場所を持つことができるようになりました。
(引用終わり)
そして、こう綴られている。
71年、大滝師の離任にともない、2代目の牧師を迎える必要に迫られます。その時に着任したのが、現在まで長きにわたり牧会してくださっている松永堡智師だったのです。記録によれば、この時代の日曜礼拝の出席者は約15名、祈り会は約5名だったといいます。
71年着任だから、松永は40年以上にわたって、この教会に君臨していることになる。
同盟基督教団からすれば、<よく貧乏寺で頑張って来られたのぉ>という気分だろう。
さて、本題。続けての記述である。
このような宣教(教会形成)を続けていく中で、教会に集う人々は少しずつ増えていきます。途中、会堂を増築しますが、80年代半ばには、新しい土地に新しい大きな会堂を建設する必要を痛切に感じることになります。…そのような流れの中で94年、長い月日、財的工面を必要としましたが、神様は祈りに応えてくださり、同秋葉区(旧新津市)内の山谷町に新会堂を建てることができたのです。これが現在の会堂です。
この会堂移転新築の金は、同盟基督教団が提供したわけではない。みんな松永先生が集めたものである。どこから?
これについては、小出さんの『人さらいからの脱出』に書いてある。小出さんのご両親たち、強制脱会でお世話になった父兄たちも支払っているのである。
同盟基督教団は金を出さない。だから、教会は金を捻出した人の者になるのである。
包括法人と被包括法人との関係は、結局のところ、マネーの関係ではないのか、ということである。
金を出せない牧師の教会だったら、包括法人の発言力が強くなり(統一教会の教会長さんと同じように、あっちに行け、こっちに行けと言われて・・)、教会の土地費用と建設費を捻出した牧師(牧師の父親、祖父であれ)には、どうぞ御髄に教会運営を。
要は、単純資本の論理である。
松永さんと包括法人との関係はすとんと、符に落ちるのである。
(追記)前掲のサイトを丁寧に読んでもらいたい。松永が次に迎え入れた小池牧師、そして松永牧師(同性)のことが書かれている。
小池牧師のプロフィールには元統一教会のことが書かれていない!年若き松永牧師のプロフィールには松永老牧師との関係が記されていない。
ドラキュラの館を探るのには、勇気がいる。少々、恐いのである。
勇気ある読者は調べてくれ。
では、新津福音キリスト教会の場合はどうか。
参考になるのは同教会のホームページである。
http://niitsu.moo.jp/church.html
これによれば、草創期(1950年~)はスウェーデン人のハンス・マグヌソン、アメリカ人ヘギー夫妻、りース夫妻などによって担われた。
そして、発展の礎は大滝信也氏によって築かれた。
(サイトの引用はじめ)
64年、それまでは正式な牧師のいなかった当教会でしたが、柏崎聖書学院を卒業したばかりの大滝信也師を初代牧師として招聘することができました。この頃の教会財政はとても苦しいものでしたので、大滝師は新聞配達の仕事をしながら牧会してくださいました。68年には、64坪の小さな教会堂を建て、少ない人数ながらも神様を礼拝し、讃美の歌をうたう固定した1つの場所を持つことができるようになりました。
(引用終わり)
そして、こう綴られている。
71年、大滝師の離任にともない、2代目の牧師を迎える必要に迫られます。その時に着任したのが、現在まで長きにわたり牧会してくださっている松永堡智師だったのです。記録によれば、この時代の日曜礼拝の出席者は約15名、祈り会は約5名だったといいます。
71年着任だから、松永は40年以上にわたって、この教会に君臨していることになる。
同盟基督教団からすれば、<よく貧乏寺で頑張って来られたのぉ>という気分だろう。
さて、本題。続けての記述である。
このような宣教(教会形成)を続けていく中で、教会に集う人々は少しずつ増えていきます。途中、会堂を増築しますが、80年代半ばには、新しい土地に新しい大きな会堂を建設する必要を痛切に感じることになります。…そのような流れの中で94年、長い月日、財的工面を必要としましたが、神様は祈りに応えてくださり、同秋葉区(旧新津市)内の山谷町に新会堂を建てることができたのです。これが現在の会堂です。
この会堂移転新築の金は、同盟基督教団が提供したわけではない。みんな松永先生が集めたものである。どこから?
これについては、小出さんの『人さらいからの脱出』に書いてある。小出さんのご両親たち、強制脱会でお世話になった父兄たちも支払っているのである。
同盟基督教団は金を出さない。だから、教会は金を捻出した人の者になるのである。
包括法人と被包括法人との関係は、結局のところ、マネーの関係ではないのか、ということである。
金を出せない牧師の教会だったら、包括法人の発言力が強くなり(統一教会の教会長さんと同じように、あっちに行け、こっちに行けと言われて・・)、教会の土地費用と建設費を捻出した牧師(牧師の父親、祖父であれ)には、どうぞ御髄に教会運営を。
要は、単純資本の論理である。
松永さんと包括法人との関係はすとんと、符に落ちるのである。
(追記)前掲のサイトを丁寧に読んでもらいたい。松永が次に迎え入れた小池牧師、そして松永牧師(同性)のことが書かれている。
小池牧師のプロフィールには元統一教会のことが書かれていない!年若き松永牧師のプロフィールには松永老牧師との関係が記されていない。
ドラキュラの館を探るのには、勇気がいる。少々、恐いのである。
勇気ある読者は調べてくれ。
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