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MK氏の陳述書(2)-竹を割ったようなさっぱりした性格だったYKさんがなぜこんな白々しい嘘を・・・・

YS氏に引き続き、MK氏の2つめの陳述書をご紹介しよう。
MK氏の先回の陳述書は、ご存知の通り、NI氏YK氏、そして、SJ氏によってボコボコに反論された。

お三方に反論されて、かえって闘志がわいたようだ。

ちなみに、MK氏本人に確認したところ、NI氏についてはあまりしゃべった記憶がない。YK氏については竹を割ったような性格でけっこう話しやすく好きだったとのこと。
よく知らない人から、私はあなたのことをよ~く知ってますといわれ批判されたり、竹を割ったようなさっぱりした人から、白々しい嘘をつかれ、MK氏はとても残念な気持ちになったという。
陳述書

MK

私が提出した陳述書に対し、NIさん及びYKさんが反論の陳述書を提出しましたが(乙ハ第13号証乙ハ第七号証の2)、これら陳述書には虚偽の記載があまりにも多いので以下反論します。
ここで、反論に先立ち、裁判所へのお願いを申し述べさせて頂きます。今年4月7日の日中に、被告宮村の関係者と思われる女性二人が私の留守中、自宅まで押しかけて来て私の弟に接触してきました。弟は、本裁判で陳述書(甲43号証)を提出しています。弟は、まさか自分の陳述書の関係者が突然訪問してくるなど思いもしなかったので、ひどく憤っています。と同時に被告宮村たちに監禁の指導を受け、実行したことに対する秘匿を守らなかったため、何か嫌がらせでもされるのではないかと不安がっています。これは正々堂々と事実を書いた人に対する悪質な嫌がらせであり、脅迫行為です。弟は正直にあった事を書くことで、監禁強制棄教問題に自分としてのけじめをつけ、そしてこれから一切関与させないでくれという約束で書いてくれたものです。勇気を出して真実を証言してくれた人に対する卑劣な行為に憤りを抑え切れません。以降、このようなことがなきように、裁判所から被告側への注意、勧告をお願いするものです。

第1、NIさんの陳述書(乙ハ第13号証)について
1 NIさんの陳述書の「2.救出活動について」について
(1)「(1)両親や家族の心配について」について
私が原理研究会に所属して活動していたことに関しNIさんは陳述書に「帰宅は夜遅くなり、授業中や仕事中は居眠りが多くなり、友達づきあいも悪くなります」(3頁1行~2行)と記していますが事実に反します。私は大学1年生の時に原理研究会に入りましたが、原理研究会は自宅から自転車で通える距離にあり(本書面添付資料.1)、毎晩午後9時くらいまで勉強して帰宅するので、決して遅くはなりませんでした。むしろバドミントンサークルで活動していた時の方が、午後11時に帰宅するなど、遙かに遅くに帰宅していました。このため、原理研究会にて活動していたために授業に支障を来したことはなく、授業中はきちんとノートをとり、4年次に提出した卒業論文も十分な勉強時間を取って提出しています。今も自宅に大学時代のノート、そして卒業論文があります。また私は大学1年から3年になるまでバドミントンサークルを続けていましたので、友達も沢山いましたし、友達づきあいが悪くなることなどありませんでした。

また、NIさんの陳述書には「実家にもめったに戻らず、貯金もなくなってしまい、知らせてきた住所には住んでいる気配がないとなれば、家族が心配するのは当然です」(3頁3行~4行)と記されています。私は大学2年の6月に原理研究会の学生寮に入りましたが、そこは自宅から自転車で5分の距離であり、両親も寮には来ています。貯金もなくなるどころか、私は株の売買をしていた母親に少額ですがお金を貸していました。それは原理研究会に入ってからも同じでした。私が母親からお金を返してもらったのは、1992年の合同結婚式の時です。それまでは私が親にお金を貸していたのであって、私が両親、弟からお金を借りたことは1度もありません。また、私は、原理研究会に入ったのちにも両親に自分の住所を知らせていました。NIさんの陳述書には全く反対のことが書かれているのです。
また、NIさんの陳述書には、「両親は心配して、本人に話をしたり、実家に連れ戻そうとしますが、ほとんどは失敗に終わります。両親や家族はほとほと困って相談にやってくるのです」(3頁5~6行)と記されています。しかし、私の場合、実際には家族が統一教会のことについて深く話をしようとしたことは一切ありませでした。初めてそのような話をしたのは、私を監禁したマンションにおいてです。

1993年2月に私が韓国で所帯を持つため渡韓した後、私の夫に会うため両親が韓国に来たり、韓国で開催された日本人向け修練会(泊まりがけの勉強会)に母が参加したことがありましたが、後日母から聞いたところでは、どちらも宮村に相談し、宮村から私の警戒を解くために行ったらいいとアドバイスを受けたため、本当は行きたくないところを無理に韓国に行ったとのことでした。このことを私が先の陳述書に書いたところ(甲11号証3頁9行~14行)、NIさんは陳述書で「宮村さんは家族が乗り気でないのに無理やり何かをさせることはありません。お母さんは韓国には行きたくないけれど、何年も会うことができない娘の顔を見たくて、はるばる韓国に出かけて行ったのだと思います」(9頁12行~17行)などと反論を書いています。しかしこれは、おかしな反論としか言いようがありません。NIさんが宮村や私の母に問い合わせた結果を陳述書に書くならまだしも、ここではNIさんは完全な当て推量を書いているからです。実際にも、母親は当時私が韓国にいた93年2月から96年1月までの約3年の間に2回、韓国に来ており、「何年も会うことができない」どころか、母親は会おうと思えばいつでも会える状況にあったのです。そして96年2月に監禁マンションの中で母が私に、「別に統一教会の修練会に行きたくて行ったわけでは全くない」と言い、宮村から行くように言われたから行ったと述べたことは、紛れもない事実です。実際にこの場面に居合わせたわけでもないNIさんに、この出来事を否定する資格はないはずです。
ちなみに、この時母親はパノラマ用の24枚撮りカメラを持ってきていましたが、現像した写真は、途中の写真が10数枚も抜けていました。これらの写真はどれも、修練会の内容とは関係ない、修練会に参加している人々の様子を撮影したものでした。
後から母に聞いたことですが、家族は私を一回目の監禁から解放した後、すぐに今度は日本基督教団新宿西教会に通い始めたそうです。しかし家族は、そのことを当時の私には一切秘密にしていました。新宿西教会では、「水茎会」という統一教会信者の子供の脱会を望む信者父兄が参加する集会を行っていましたが、水茎会では、「水茎会に通っていることを子供に気づかれないように」という指導をしています。子供が親を警戒して近寄らなくなれば拉致監禁して脱会説得をすることが難しくなるからです。このため上記修練会当時、母は、私に宮村や水茎会のことは一切口にしませんでした。母親は、宮村から指導を受けていることを私に悟られないよう細心の注意を払っていたのです。私に知れれば、将来私を監禁して説得する道が閉ざされてしまうからです。

(2)「(2)心や精神の自由の素晴らしさ」について
NIさんの陳述書には「統一教会の信仰を捨てた人は、交通事故にあったり、結婚して子供が産まれても障害児だったりして、絶対に幸福にはなれないと教え込まれています。また、あの世に行っても『なぜ統一教会をやめたのか』と先祖から永遠に責められるそうです。このような話を聞かされるため、信者にとっては統一教会を脱会することは恐怖なのです」(3頁11行~15行)とあります。私は実際に統一教会をやめました。統一教会にだまされたと思って当時やめたのです。しかしここに書かれているような恐怖心は全くありませんでした。なぜなら、「統一教会の信仰を捨てた人は、交通事故にあったり、結婚して子供が産まれても障害児だったりして、絶対に幸福にはなれないと教え込まれ」たことはないからです。
また、NIさんの陳述書はこう続きます。「さらに、『拉致監禁』に対しても強い恐怖感を植え付けられます。私の時には『反対牧師の素顔』という小冊子やビデオを見せられました」(3頁16行~17行)とあります。私も同じ「反対牧師の素顔」というビデオを見ました。しかし、このビデオだけでは何の恐怖心も関心も持ちません。また、小冊子は言うに及ばずです。それどころか、ビデオを見ても、自分とは全く関係のないことだと思いました。自分とは関係がないと思ったために、1990年の夏、家族の嘘を見抜けずいとも簡単に監禁をされてしまったのですが。ビデオや小冊子で恐怖心が起こるわけではなく、自分自身が監禁されてみて、初めてその恐怖を知るというのが実情です。

続いて、NIさんの陳述書には「それには、反対する家族によって鎖で柱につながれて逃げないようにされている信者や、薬を注射されて精神病院に入れられる信者が描かれており、自分もこんなことをされたらどうしようと恐怖で一杯になりました。実際は、そのようなことは全くありませんでした」(3頁11行~15行)とあります。しかし、私は実際に監禁され鎖に繋がれたという統一教会信者のNMさんに会って話を聞きましたし、その方のことは、当時朝日新聞の記事(本書添付資料.2)にも取り上げられたことがありました。また、私は、精神病院に入れられて薬を注射された統一教会信者のOTさんとIJさんと実際にお会いして話を聞いています。OTさんは、監禁を巡って民事裁判を起こし勝訴していますし、同様に精神病院に監禁された統一教会信者のMHさんも同じ民事裁判で勝訴しています(東京地裁昭和55年(ワ)第3384号事件、甲87の1号証)。また、上記IJさんとMHさんの場合、人身保護請求を裁判所が認め、監禁から解放されています(甲87の2号証、甲87の3号証)。NIさんが言うビデオや小冊子を見ても恐怖は感じませんでしたが、直接ご本人たちに会って話を聞いてみると、さすがに驚きました。
NIさんが言っている「実際は、そのようなことは全くありませんでした」というのは、事実を無視した書き方です。

NIさんの陳述書には、「統一教会は、信者が簡単にやめないようにするために、このようなデマを教え込んでいるのだと思います」(3頁20行~22行)と書かれていますが、実際には「鎖につながれた人」も「精神病院に入れられた信者」もいます。NIさんにとっては、自分が知らないことは全て「デマ」なのでしょうか。あるいは、宮村が「そんなことはデマだ」と言ったら全てデマになるのでしょうか?宮村らは監禁中の統一教会信者に対して、「自分の頭で考えていない」と言いますが、この言葉は今のNIさんにこそぴったり当てはまるのではないでしょうか?
NIさんの陳述書には「交番の前を通るたびに、信者の時はびくびくしながら通っていたなあと思い出します」(3頁23行~24行)とありますが、私はびくびくして交番の前を通ったことは一度もありません。なお、交番の前を反感を持って通ったことはあります。それは、私が1990年に西荻窪のマンションで1回目の監禁をされた時、大声で助けを求めたところ、近所の人の通報で警官が玄関先まで来たのに、助けを呼んだ本人の状況を確認することもせず、両親の説明を聞いてそのまま引き返してしまったからです(甲11号証2頁10行~)。その時私は、玄関から見えない奥の部屋で声を出せないように弟に口と体を押さえつけられていました。そのことがあってから、日本の警察は人権感覚が非常に薄いと痛感し、以来警察に対する不信感は消えません。
NIさんの陳述書には「自分で自由に考えて、自分の責任において行動できるということが、こんなにうれしいことだとは思いませんでした。心の自由、精神の自由を満喫しています」(3頁25行~4頁2行)とあります。私は「統一教会に騙された」と思って統一教会の信仰を捨てた時、非常な不安を覚えました。今まで持っていた価値観をなくした状態になってしまったからです。そしてそこからもう一度新たに自分を再構築していく作業は一苦労でした。そして会社に勤め、自分で全責任を持って生活することの大変さを再認識しました。NIさんが言うような「心の自由、精神の自由を満喫」するどころではありませんでした。

2 NIさんの陳述書の「5.甲第11号証MKの陳述書について」について
NIさんの陳述書には「ご両親は宗教嫌いで反対したのではなく、MKさんが自宅を出て原研の学舎で生活するようになり、大学の休みにもめったに実家に戻らず、たまに戻ってくれば異常に食べてぐうぐう寝てしまい、非常に疲れている様子を見て心を痛め、心配していろいろ調べるようになったのだと聞いていました」(8頁22行~25行)とあります。しかし、母親が私を心配した原因は「異常に食べてぐうぐう寝ている」とか、「非常に疲れた姿」によるのではありません。心配の原因は長期の修練会です。それは母親本人から聞いています。私が入った原理研究会の寮(学舎)は家から自転車で5分のところです(本書面添付資料.1)。ですから親は歩いて寮まで来て、寮の見学をし、責任者にもあいさつをしているのです。また寝に帰っていたわけでもありません。バドミントンサークルで活動していた1年時の方がよほど疲れて家で寝ていました。NIさんは本当に私のことを知っているのでしょうか。なぜNIさんが反論の陳述書を書いたのか理解できません。
続けてNIさんの陳述書には「私はMK本人ともご両親ともよく話をしているので、甲11の虚偽もよく判ります」(9頁3行~4行)とありますが、私はNIさんとほとんど話をしていません。このような嘘があると、もはやこの陳述書はNIさんではない別の人が書いているとしか思えません。さらに、嘘を端的に表しているのが次の箇所です。同頁の18行から21行には、「甲11の3頁にMKさんがお父さんに叩かれたという記述がありますが、私も当時MKさん本人からその話を聞いて同情した記憶があります。MKさんは家から出たくなかったので、家具にしがみついていたら、お父さんに殴られたと話していました」とあります。しかし、いったい誰のことを言っているのでしょうか?私は、家具にしがみついて叩かれたのではありませんし、そのような話をNIさんにしたこともありません。私が叩かれたのは、土下座したときに叩かれたのです。これはすでに提出している私の陳述書にもはっきり書いています(甲11号証3頁20行~25行)。私はマンションに1996年の2月から1998年の9月まで滞在させられました。大まかな計算でも約960日前後になりますが、NIさんと話した記憶があるのは2回だけです。2回くらいしか話したことのない人に関して、なぜこのように「よく話している」「よく判ります」などと書けるのでしょうか?しかも、私についての記述が事実と全く異なっています。これでは、NIさん以外の人が書いているとしか思えません。
なお、父親に引っ叩かれたことに関して付け加えると、私は一度として父親に叩かれたことはありませんでした。それが、監禁現場に連れて行かれる時、生まれて初めて叩かれたのです。この父親の行為がどうしても不自然で理解できませんでした。父親は短気ですが、子どもに手を上げることは決してしない人でした。しかも私が土下座して謝った行為に対して、いったい何の理由で父親が娘を叩かなければならなかったのか、どう考えても父親の意志から出てきた行動とは思えませんでした。ところが最近、他の宮村の被害者の陳述書を読んで驚きました。そこには「すると私の父親が『宮村さん、私が殴ります。』と言って拳で私の顔を殴りました。私はそれまで父には殴られたことがなかったので、ショックでした。娘を殴ったことのないその時の父の態度はぎこちなく、やらされているかのようでした。父親が私を殴る姿を見ながら薄ら笑いを浮かべる宮村の態度に、これは宮村が指示していたのだと思いました」(HY陳述書、甲47号証、9頁2行~6行)とあったのです。それで私は合点が行きました。やはり父親の純粋な意志ではなく、宮村の教育による行動だったのだと確信できたのです。だとすれば、NIさんの陳述書で何故敢えて、私が家具にしがみついたので叩かれた、などと事実をすり替えなければならないのか分かる気がします。即ち、宮村の指示による行動であったがゆえの不自然さを少しでも払拭したかったということだと思います。

またNIさんの陳述書には「さらに、TBSの番組で収録したインタビューの編集についてですが、社外の人間である宮村さんがカットしろと言ってその通りになることはあり得ないことです。TBSの責任において編集し放映しているのです」(9頁7行~9行)とあります。普通に考えればその通りです。私もそう思います。しかし宮村は不遜な態度でそのように言うのですから、こちらも驚きます。監禁現場で監禁されている当人だけでなく親、親族までをも上から見下ろすような言動をする宮村の発言としては、いたって普通のことではないでしょうか。
続いてNIさんの陳述書には「監禁専用部屋というのは存在しません。監禁用に改造した部屋という意味なのでしょうか。普通のマンションを両親が借りるだけです」(9頁24行~26行)とありますが、これも嘘です。荻窪フラワーホームの部屋代を私の家族は払っていました。しかしその部屋は違う人の名義で借りられているものを、また借りしていたのです。実際に私をそこに閉じ込め、ずっと一緒に生活をともにしていた弟は、その部屋は水茎会の方で用意してくれていたと言っています。当事者がはっきり言っていることを、NIさんは何の根拠をもって反論するのでしょうか。
NIさんは陳述書で、「マンションのドアには通常防犯用のチェーンと錠があるはずです。私の自宅の玄関ドアにもチェーンと2つの錠がついています。チェーンの音がカチャカチャいうので、特殊な鍵がついていて逃げられないようにしているんだと妄想してしまったのでしょうか」などと述べています(9頁26行~10頁3行)。しかし、南京錠を実際に手に取って開け閉めしてドアを開閉していた、当の本人である私の弟が述べていることを、何を敢えて妄想などと書いているのでしょうか。嘘を貫き通さなければならない苦しい弁解の様子が感じられます。
次にNIさんの陳述書には「『宮村は私の髪の毛を掴んで流しまで私を連れて行き、水を流し始めました』とありますが、宮村さんが今まで説得中の信者の髪の毛を掴んでどこかへ連れて行くのは、見たことも聞いたこともありません」(10頁4行~6行)とあります。その現場にいなかったNIさんが断言できることではありません。宮村が私の後ろ髪を掴んで台所に連れて行き、流し台に頭を突っ込んだのを見て知っているのは、その場にいた宮村、それをされた本人(MK)、そしてそれを同じ部屋で目撃した私の家族です。NIさんが言及できる内容ではありません。ただでさえ私についてよく知らないNIさんが、見たわけでもない事実についてここまで断言する理由は何なのでしょうか。自ら、陳述書の信頼性を落としているようなものです。
NIさんの陳述書には「宮村(ママ)や元信者がMKさんや原研の会長や教祖の悪口を言い続けるので心が傷ついたようなことが、何度も書かれていますが、統一教会の教祖や信者の言動を世間の常識や良識から見てどうなのか自分自身で考えて判断するという作業のなかで、「馬鹿」という単語にしかひっかからなかったとしたら、その認識の低さに、残念に思うばかりです。何度も言いますが、私たち元信者は悪口に傷ついたり、共感したりして、統一教会を脱会したわけではないのです」(10頁11行~15行)とあります。確かに監禁説得の内容に口汚い悪口はたくさん出て来ますが、それが「信仰を棄てる」ことに直結しているわけではありません。私が脱会したのは文鮮明氏の悪口でもその息子、孝進氏の悪口でもありません。しかし監禁下での口汚い悪口による精神的な圧迫感とストレスは日常生活のそれとはまったく質が違います。「『馬鹿』という単語にしかひっかからなかっとしたら」とあるように、宮村の説得は『馬鹿』を始めとした、口汚い言葉が多く出てきます。被監禁者に対する蔑みの態度や、信仰の母体である統一教会や教祖を辱める言葉は、この上なく被監禁者の神経を逆なでし、ストレスを与えるのです。神経に触ることを閉じ込められた空間の中で継続して聞かされるのですから拷問に近いものとなります。その中で嘘をつかれれば、いや応もなく頭に入ってしまいます。嘘と口汚い悪口はセットになっています。本当に異様な体験でした。

NIさんの陳述書には「スタッフが宮村(ママ)と連絡を取り合って脱会活動をしているという陳述がでてきます。これには笑ってしまいます。統一教会や原研で信者がやっていることそのままを宮村さんたちもやっていると決めつけて書いているからです。残念ながら、スタッフが毎日話をする相手を決められて、その結果を宮村さんに電話報告をするということはありません。また、スタッフと呼ばれる人もいません。元信者は全く自由に行動し、自由に発言しております。統一教会とは全くちがうのです」(10頁16行~22行)とあります。まずスタッフと書いたのはNIさんのような元信者で拉致監禁説得の手伝いをしている人のことをこう書きました。私の弟はこの人たちのことを、普段の会話では「向こうの人たち」と言いますが、それは宮村のスタッフにほかなりません。そして、スタッフが宮村と連絡を取り合いつつ宮村の指示で動いていることは、私自身が目撃したことです。

続いてNIさんの陳述書には「特に原研出身の人は、なぜか自分はすぐにも仕事がバリバリできると思い込んでいる傾向が強いようです。実際にはうまくいかず、落ち込んだり、虚勢を張ったりして苦労する場合が多く、MKさんもそれで苦労したのではないかと思います。新しい友達もできなかったようです」(10頁26行~3行)とあります。私はこの記述の「新しい友達もできなかったようです」という言葉の意味が最初理解できませんでした。私は信仰を失い、そのまま軟禁状態にあった1997年から、監視役の両親とともに新宿西教会に通っていました。そこの信徒さんで特に親しく交流させていただいた人がいます。また統一教会から脱会した人で同年輩の女性とも親しく話をしていました。ですので、「新しい友達もできなかった」という文章が何を指摘しているのか理解できなかったのです。しかしよくよく考えると、NIさんのいう「友達」というのは、ある一定の人々を指していることに気づきました。宮村の脱会説得を受けた後、彼のまわりで監禁説得のお手伝いをしている元信者達です。彼らは統一教会信徒が監禁されている部屋に行き、いかに統一原理が間違っているかを説明し、「自分は間違いに気づいてやめた」と証言します。私の部屋にももちろんこの「元信者の人たち」は来ました。最初は宮村と一緒に来ましたが、私が信仰を棄てた後は、宮村抜きで訪問して来るようになり、自分が「マインド・コントロールされていた」と言い、自分達のことを自虐的に話します。宮村と一緒にいる時も「あの時は本当におまえ馬鹿だったよな」と宮村に言われると「そうですね。へへへ」と苦笑いするのです。私はマンションに監禁されていた当時から、彼らとはあまり「友達」になりたくないと思っていました。なぜなら一様に宮村の言説を是とし、反論する様子が感じられなかったからです。普通面と向かって「馬鹿だ」と言われれば、不快感が出るものですが、彼らは一様に従順にそれを受け入れるのです。ですから自虐的な話も「へへへ」と笑いながらするのです。私にはかなり異様に見えました。私には彼らの様子が、宮村の価値観に染まった新しい宗教(宮村教)の信徒のように見えました。ですので、宮村周辺の元信者には近づきませんでした。このことをNIさんは「新しい友達もできなかった」と表現しているようです。

3 NIさんの陳述書の「6.最後に統一教会の嫌がらせについて」について
NIさんの陳述書には「今回の後藤徹の件で、宮村さんや西央マンションの近所に何回もビラが撒かれ、水茎会や宮村家の方々に大変な迷惑がかかりました」とあります(11頁7行~8行)。もし自分の友人が12年も拉致監禁され、言い表しようのない苦痛を受け、そして警察も検察も何の捜査もせずただ放置していたとなれば、世間一般の人に訴えないでしょうか。こんな理不尽なことが許されていいのかと義憤を感じないでしょうか。監禁をまるでしていないかのように口裏を合わせて否定する宮村と元信者達の姿に、かえって、拉致監禁の犯罪性をこの人たちははっきり認識しているんだ、ということが如実に伝わってきます。しかしそれにも関わらず今もなお、監禁説得を続けていることに驚かざるを得ません。法律に引っかからないようにうまくすれば、見つからなければ監禁してもかまわないのでしょうか。統一教会信者であれば、何をしてもよいと言うのでしょうか。あまりにも人権感覚がなさ過ぎます。宮村の「おまえに人権を語る資格などない」という監禁マンションで言っていた言葉を思い出します。監禁下では捕まえた統一教会信者に対して好き勝手なことを言い、同じ人物が外に出るとまるで何もなかったかのようにしらを切り通す宮村こそ、「人権」を語る資格はありません。

NIさんの陳述書には「さらに、平成23年12月には、YSさんとMKさんがTYさんの■■県の実家にまで押し掛け、ご高齢の両親に文句を言って困らせるという事件がありました」(11頁15行~17行)とあります。まず、お父さんはおられず玄関先でお母さんと立ち話をしただけなので、「両親に」というのは間違いです。また、「文句を言って」とありますが、私達はお話を聞きに行っただけで、文句など言っていません。「文句」を言ったというなら、どんな文句を言ったのか明らかにして頂きたいです。これのどこが「事件」なのでしょうか。
自称・NIさんが、私について知ったか振りをしてでたらめな反論を書くのは止めていただきたいです。

第2 YKさんの陳述書(乙ハ第7号証の2)について
YKさんの陳述書のうち私に関連する「4」、及び「5」について反論します。
1 後藤さんに関するYKさんの当時の発言
後藤さんの監禁部屋であった荻窪フラワーホーム804号室と全く同じ作りの、5階にあった私の監禁部屋に一番多く訪問してきた元信者がYKさんです。大体3人くらいでまとまって来るのが常でしたが、彼女は一人で来ることもありました。その時に、YKさんは私に「2年も経つのにまだ煮え切らないのが一人いるのよね」と他の部屋で説得している人のことをこのように表現していました。その後、私が直接後藤さんの部屋に行って、この人のことを言っていたのだとわかりました。なぜかと言えば、2年間も監禁状態が続いている人など、当時、他にはいなかったからです。私も1996年の2月に監禁されたのでもう2年は過ぎていました。しかし、私が統一教会の信仰を1996年の冬に失っていたため、1997年からは監視つきであれば外出することもありました。しかし、後藤さんの場合はずっと2年間、一歩も外に出ることが許されない完全な監禁の状態だったのです。訪問して驚きましたが、そのことを普通に話すYKさんにも少なからず驚きました。

2 YKさんの陳述書の後藤さんに関する記述
YKさんの陳述書には、後藤さんが監禁されていた部屋に関して次のような記述があります。

1)「1998年春頃、私は徹さんが家族と話し合っている所に何回か訪問しました。私が訪問したマンションは、もちろん私と同様、玄関に錠前などありませんでした。窓も固定などしてありませんでした」(4頁14行~)。

2)「MKさんの陳述書(甲第11号証)を見せてもらいましたが、あまりにもひどいウソが書かれているので、述べておきます。その8頁の(4)に、MKさんが後藤徹さんの部屋に一度行ったとしてその時の状況が書かれていますが、全くのウソだと自信を持って述べることができます」(6頁5行~8行)。

3)「私はMKさんが後藤徹さんの部屋へ行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした」(6頁17行~19行)。

しかし、1998年の5月まで南京錠等で施錠をしていた事実や、常時窓を開閉不能にしていた事実は、被告らも認めていたはずです。YKさんは、監禁を否定することにやっきになる余り、むきになって事実を否定したものとしかいいようがありませんが、こうした記述によって、「元信者」らの陳述書がいかに嘘にまみれたものか、白日の下にさらされたということができると思います。実際、YKさんは私が後藤徹さんの部屋を訪問する前に何度か同室に行っていますが、私が後藤さんの部屋に行った時でさえ、玄関ドアは開閉に手間取るほど厳重に施錠されていました。ところで、このような特殊な施錠の存在は一目見れば明らかに分かりますが、YKさんは何をもって「一回行って、『特殊な施錠』があったということが判るはずがありません」と述べているのでしょうか。意味不明です。南京錠や鎖がなかったのなら、1回行こうが何回行こうが判るはずはない一方、存在する以上、1回行けば判るはずだからです。無理に事実を否定しようとする余り、現実を無視したおかしな議論に陥っているとしか言いようがありません。
さらにYKさんの陳述書には、「後藤徹さんは『宮村から罵詈雑言を浴びせられる中、ひたすら首をうなだれていました』というのも全くのウソです。宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました。徹さんは首をうなだれるどころか、昂然とした表情でひたすら、相対基準を合わせないようにしていました」(6頁20行~23行)とあります。しかし、2年間も煮え切らない態度でいる人が「昂然とした表情」とは、どうやったらできるのでしょうか。当時の後藤徹さんの姿は、統一教会をやめた私の目から見ても痛々しいものでした。また、「馬鹿」を始めとした悪口を言うのは、NIさんがすでに自ら陳述しています。せめて正直に、「監禁してでも統一教会から救い出さないといけないのだ」と本音を言ったらどうでしょうか。その方がYKさんも本音で議論ができるはずです。

3 YKさんの陳述書の私に関する記述
YKさんは陳述書で、私が嘘をついていると言い、そして「そもそもMKさんは、脱会をする気持ちになったと本人から私は聞いています。ところが、MKさんは親が嫌いで、親子関係が悪いままだったので、家族に心を開くことができなくて悩んでいました。私はMKさんからそのことを聞いています。結局その点についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。その経過について、ご家族の中でも整理できていない方がいるようです」(6頁9行~14行)と書いています。これが、私が後藤さんの部屋に行っていないと主張する根拠なのでしょうか。私が嘘をついていると自信を持って言うことのできるという根拠なのでしょうか。どういう理由で根拠としてあげているのかわかりません。また信仰をなくすことと、親子関係が悪いこととにどのような相関関係があるのでしょうか。親子関係が悪いままで心の整理ができなかったというのは、何を指摘しているのでしょうか。また「その経過について、ご家族の中でも整理できない方がいるようです」というのは、統一教会には賛同できないけれども、宮村氏たちがしているのは紛れもない監禁であると正直に告白している弟を指しているようです。言葉を足すと「監禁してでも家族を統一教会からやめさせないといけないという、違法行為ではあるけれども、その一線を越えたことに対する心の整理がしきれていなかった」ということでしょうか。
YKさんの陳述書には「そのようなMKさんが統一教会幹部に指示されて対策担当信者が作った文章に署名押印したのが甲第11号証だと思います」(6頁15行~16行)とあります。しかし、甲11号証の陳述書は私が書きました。これは統一教会対反統一教会の問題ではなく、「監禁」という人権問題であったので、私はこの陳述書を書いたのです。あまりにも宮村を始めとする元信者、そして水茎会の人々は人権蹂躙についての感覚がなさすぎます。私が統一教会員であろうとなかろうと、後藤徹という人物が荻窪フラワーホームに12年以上も監禁されていたことを知った以上、私は陳述書に事実を書きます。後藤徹さんが統一教会の信者だからといって、12年間も監禁していいなどということはあり得ないからです。

4 最後に
甲11号証の私の陳述書の9頁10行~16行に私は次のように書きました。
「その後私は、部屋に訪問に来るスタッフに対して、私は何で部屋から解放されないのか、と聞くようになりました。すると彼らは、最初のうちは、『「もう少し頭を正常に戻さないと』などと様々な理由をつけていました。しかし、私の頭は正常に働いており、遂にこのような口実は通用しなくなっていました。すると遂にスタッフは『そしたら宮村さんに直接聞いてみたら?』と言いました。その何日か後、私は弟と共に西央マンション301号室に行きました」
ここで私に「宮村さんに直接聞いてみたら」と助言してくれたのは、何を隠そうYKさんでした。彼女はNIさんより何倍も多く私の監禁部屋を訪ねてきた人です。そして私はいろいろな話をしました。率直に言ってくれるYKさんには話がしやすかったからです。荻窪フラワーホームでは率直に思ったことを話していたのに、なぜ監禁についてはここまで徹底して嘘をつくのでしょうか。
西央マンション
<いつまでたっても解放されないことにしびれを切らしたMK氏が、YK氏の助言に従って弟とともに宮村氏に会いにいった西央マンション>

監禁説得は、違法行為です。それでも自分は正しいことをしているのだと思うのならば、潔く監禁の事実を認めるべきです。
以上

2012-07-13(Fri)
 

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嘘 

見事な反論ですね。胸のすく思いがしました。

<私に「宮村さんに直接聞いてみたら」と助言してくれたのは、何を隠そうYKさんでした。彼女はNIさんより何倍も多く私の監禁部屋を訪ねてきた人です。そして私はいろいろな話をしました。率直に言ってくれるYKさんには話がしやすかったからです。荻窪フラワーホームでは率直に思ったことを話していたのに、なぜ監禁についてはここまで徹底して嘘をつくのでしょうか>

なぜ嘘をつくのか―。
・その嘘が裁判で勝つための有効な手段だ(裁判で勝てる)、と思っているから。
・統一教会も嘘を付いているんだから、多少の嘘は許される(法廷でも)と思っているから。
・憎き統一教会を貶めるためなら、嘘も方便だと思っているから。
・YKさんのイメージする「監禁」は手錠したり拷問したりするイメージのもので、原告の言うそれとは違う、という屁理屈が通用すると思っているから。
・お世話になっている宮村が困っているので「監禁はなかった」という証言をして恩返ししようと考えたから。
・自分に新たな人生をもたらしたのは、あくまでも救出活動(または保護説得)であって、「監禁」などという犯罪行為ではない、と思いたいから。

非常に残念ですが、NIさんやYKさんは今、冷静な判断ができない状況にあると思います。
統一教会に対する恨みと、拉致監禁→棄教という共通の経験をして仲良くなった心の通う友(元信者ら)に嫌われたくないという思いで、心を制御できなくなっているように思います。

かつてのNKさんの弟さんがそうであったように、NIさんらは今、自分たちのやっていることが悪いと思えていない。正義だと思っている。
でも、弟さんが足を洗って、けじめをつけれるようになったのと同様、NIさんらもいつか、我に返って、MKさんと仲良く交流ができる時がきっと来ると信じます。

<私が1990年に西荻窪のマンションで1回目の監禁をされた時、大声で助けを求めたところ、近所の人の通報で警官が玄関先まで来たのに、助けを呼んだ本人の状況を確認することもせず、両親の説明を聞いてそのまま引き返してしまった>

天下の警察がこの様です。
警察が拉致監禁を問題視し、拉致監禁行為に対して世論の厳しい視線が向けられるようになれば、きっとNIさんらも目が冷めて、「あれは嘘でした」と胸を張って言える時が来ることでしょう。

MKさん、どうぞ、その時まで真実を訴え続けてください。心から応援しています。
2012-07-13 19:21 | みんな | URL   [ 編集 ]

原告・被告側の陳述書の違い 

みんなさん
>見事な反論ですね。胸のすく思いがしました。

 私もそう思いました。YSさんの陳述書もそうでした。

 むろん、立場の違いによる身びいきといった要素はあるでしょうが、でも、文章に歴然とした違いがあるのです。

 それは、被告側陳述書に「推測」(~と思います・~と思われます)、「伝聞」(~と聞きました)の表現が多いことにあります。とりわけ、後藤さんのこととなると、「推測」「伝聞」頻度が多いのです。

 NI・YK・SJ対YS・MKの各陳述書の語尾だけに注目し、「推測」「伝聞」表現を列挙しようと思いましたが、ちょっと時間がかかるので省略。読者のみなさん、比較チェックしてみてください。

 原告側陳述書は、自分たちが体験したことのみを淡々と書いているだけど、被告側陳述書はあとで誰かから聞いたことを書いているのです。

 ここに大きな違いがあります。裁判官とて、こうした違いには気付くと思いますよ。
2012-07-15 19:38 | 米本 | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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