YK氏の陳述書-監禁中の後藤氏にお茶をぶっかけたYK氏が、後藤氏とMK氏の主張をバッサリ否定
NI氏に引き続きさらに強力な宮村氏の助っ人をご紹介しよう。
今回の裁判で、被告側の証人として申請中のYK氏だ。
ちなみにこのYK氏は、後藤徹氏の監禁現場にも足しげく登場し、なんと後藤氏に緑茶をぶっかけたこともある。(後藤氏は、Tシャツにかかったお茶の感触まで覚えているといっているが、当のご本人は否定 こちらを参照)
また、後藤氏監禁現場の唯一の原告側の目撃者であるMK氏の説得現場にも訪れたことがある。MK氏によれば、YK氏は、竹を割ったような性格とのことだ。
なるほど~
そういう竹を割ったようなはっきりした性格の持ち主だからこそ、"煮え切らない"後藤氏に嫌気がさし、ついお茶をぶっかけちゃったということなのだろうか?
でも、本当に竹を割ったような性格なら、後藤さんにお茶をぶっかけたことをあっさりと認めそうだが・・・・
MK氏の陳述書についても真っ向から否定している。
また、YK氏は、違法伝道裁判では原告の1人として統一教会を相手に法廷で闘った。
ちなみにこの違法伝道裁判で、原告側から出された意見書(弁護士紀藤正樹のLINK!より)は、YK氏のものと思われる。
ということで、以下全文を掲載する。
1.私の統一教会での経歴
私の経歴などは私たち元信者3人が原告になって訴えた裁判で私が書いて提出した陳述書(乙八第7号証の1)のとおりです。
私は、■■大学■■学部3回生の秋1984年11月末、その正体をかくして■■■アカデミックライブラリー(■■■)と称するビデオセンターに誘われて通い始め、ツーデートレーニング(2泊3日)、ライフトレーニング(ホーム生活)を経て初めて統一教会と知らされました。
そして1985年1月フォーデートレーニング(4泊5日)、新生トレーニング(1ヶ月のホーム生活)を経て学生部で軍隊のような組織活動に従事させられ、1986年4月、大学卒業と同時に献身者となったのです。
家族や友人とも断絶し、連日24時間、文鮮明と統一教会のための活動に専念しました。
1991年3月には家族との話し合いの場を偽装脱会して逃げ戻りました。
1992年8月合同結婚式に参加し結婚のことを親に話そうにも帰省が許可されませんでした。
1994年6月、世界宣教の摂理として、私は■■■で約1年間活動させられたのです。
合同結婚式の相手男性との入籍の了解を得るため帰省した1995年7月、私は家族との話し合いに入り、翌年2月頃脱会届を出すに至ったのですが、今考えても大変な被害を被ったと思います。
今は幸い結婚し、子供に恵まれ普通に生活していますが、脱会しないであのまま信者でいたら今頃どうなっていたかと思うと本当にぞーっとします。
2.家族との話し合い
1995年7月21日、私は入籍の許可を得ようと思い、■■の実家に帰りました。その時両親は、今度こそとことん話し合いをしようと言ってきました。私も今まで両親を悲しませるばかりで、後ろめたい気持ちもありましたので、この時ばかりはこれがラストチャンスと思い話し合おうという気持ちになりました。
結婚してしまうと、ますます会ったり、話し合ったりするのが難しくなるかと思ったのです。
「統一教会の人が来たり、相対者が来たりするときちんと話し合えないから別の場所に移ろう。」と言われ、家族と場所を移しての話し合いに臨みました。私自身が教会で献身者としてスタッフをしていた時、家族が反対している信者が自宅で家族と話し合っていると判った時、その家に教会員数名で突入して信者を連れ帰ったりすることは当たり前でしたので、家族の言い分にも渋々でしたが同意して、移動しました。
統一教会では、このような話し合いは拉致監禁であると教育されます。
家庭からの強い反対を受けている信者だけの修練会にも参加させられていた私は、家族との話し合いに応じたものの、怖くて仕方がありませんでした。
なぜなら、統一教会では、このような話し合いの場は、玄関に錠前がいくつもかかっていて、窓も開かないように固定されていて、毎日毎日統一教会をやめるように気が狂うような圧力をかけられたり、やめるまで外に出してもらえないと教えられていたからです。
また、反対する両親や両親が相談した宮村さんのような人は、サタン中のサタンであるから、決して話を聞いてはいけない(これを、相対基準をあわせてはいけないといいます)ときつくきつく言われていました。
いったん話を聞けば、私の霊人体は真っ黒になって家族もろとも地獄に行ってしまうといわれていたのです。それ故に、家族と話し合いをしようと決めてその場に臨んだはずなのに、私は二週間あまり一言も口を利きませんでした。
家族が心を割って話してくれるのにもかかわらず、質問に答えて霊人体が黒くなるのが恐ろしかったのです。
必要な事柄は全部、筆談をしていました。今思いかえすと、あまりにも異常な態度だったと思います。
3.私の脱会
しかし、日がたつにつれて少し冷静になると、統一教会で教え込まれていたこととこの話し合いの場がかなり違うことに気がつき始めました。まず、玄関に錠前などないこと。窓も普通に開閉自由であること。両親は統一教会をやめるように圧力をかけたりもせず、やめるまで外に出さないなどとは言ってなく、ただただ心配な気持ちや疑問を私になげかけているということです。
そういう事に気づき始めると、統一教会で教え込まれてきた事に疑問が湧くようになりました。そして、宮村さんと言う人が詳しく知っているのなら聞いてみたいという気持ちも湧き、両親に「詳しい人に会ってみたい。」と言いました。そうして宮村さんと会うことになりました。
ところが、実際宮村さんと会うと、教会で十年以上叩き込まれてきた恐怖感が激しく込み上げてきました。この人と目を合わせただけで地獄に行きそうで怖くて仕方がなくなり、再び私は口をつぐんでしまいました。
けれども、そんな私に対して宮村さんは、礼儀正しく誠実に話しかけてくれました。稚拙でひどい私の態度に激することもなく何度でも根気強く、話してくれました。その暖かい姿勢に私の心も恐怖感から少しずつ開放され、家族や宮村さんの言葉に耳を傾け、自分の気持ちや思い、実は今まで封印していた疑問を宮村さんや家族に投げかけられるようになったのです。そうして、私は教会の虚偽や欺瞞に気づき、そもそもが騙され続けて入信し、更に知らないうちに騙す側として被害者を作り続けていたことに深い失意を感じて、自ら翌1996年2月に脱会届を書き、正式に統一教会をやめました。
4.後藤徹さんとの話し合い
統一教会をやめるという気持ちを固めていく中で、私はスタッフとして活動してきた期間・経験も長かったので、多くの修練生を献身させてしまった事や、その兄弟姉妹のご家族を苦しめてきた事にとても申し訳ない思いでいっぱいになったのでした。
もし、助けられるならそういう兄弟姉妹を助けたいと思って、ご両親が反対をしていて気になるメンバーの名前を宮村さんに話しているとき、偶然、後藤徹さんの名前があがりました。後藤徹さんは私が教育部のスタッフをしている時の修練生で、彼の霊の親であるお兄さんの後藤■さんも修練生の時に、私はスタッフとして会っていたので、とても気になるメンバーの一人でした。
徹さんが家族と話し合いをしていると聞き、本当に心から心配で、宮村さんに徹さんに会いたいとお願いして徹さんとの話し合いに同行させてもらいました。その後、宮村さんぬきで徹さんのもとに行ったこともあります。
徹さんたちは荻窪駅近くのマンションの一室にいました。徹さんは、前述した家庭問題のある信者の修練会でも会っていたので、多分私と同じような間違った恐怖感を強く感じているだろうと予測できましたし、一本気な彼の性格からして、家庭対策の教えを一途に守っているのだろうと思うと心配でした。
このように1998年春頃、私は徹さんが家族と話し合っている所に何回か訪問しました。私が訪問したマンションは、もちろん私と同様、玄関に錠前などありませんでした。窓も固定などしてありませんでした。徹さんのいる部屋に入ると、徹さんはかつての私と同様、宮村さんや統一教会をやめた私を睨み付けていました。けれど私は、あの教会の家庭対策を受けていれば、そういう気持ちになることは十分理解できました。
何回か徹さんの部屋を訪問したのですが、結局徹さんとは本音で話し合いをする状態にはなれませんでした。何故なら、統一教会の話になると、徹さんは私や宮村さんの質問に正面からは答えてはくれませんでした。まったく関係ないことに話題を変えたり、呪文のように「原理はいいですねえ、原理はいいですねえ、原理はいいですねえ・・・」などと同じ言葉を繰り返したりで、まさしく教会の家庭対策通り「相対基準を合わせない」ようにしていました。
都合の悪い統一教会の現実や教えの間違いについての話になると、「ああ、そうですか。ああ、そうですかあ。」と薄笑いを浮かべてきちんと返事をしませんし、その薄笑いを指摘されると、突然大きな声で怒鳴ったりしていました。聞きたくない話(徹さんも知っている教会内部の矛盾や、一番下で馬車馬の様に働かされている兄弟姉妹の話、心配しているお母さんや兄妹の話・・・等)になると、話をわざと聞かないように、途中で「なんなんだ!なんなんだ!」などと、大声を出してさえぎり続けていました。
そんな時でも宮村さんや、ご家族は忍耐強く(私の時と同様)冷静に話をされていましたが、徹さんは聞く耳をもってくれませんでした。
私一人で行ったり、元信者と行ったり、宮村さんと一緒に行ったりしましたが、徹さんの反応はいつも同じようなものでした。
そんなにこの話し合いの場がいやなら、いくらでも出て行ける状況にありました。施錠されているわけでもなく、寝食を制限されているわけでもなく、見張りがいるわけでもないのです。もし、精神的に出て行ける状況でなかったと思っていたとすれば、それはご家族や宮村さんのせいではなく、「家族と話し合いになったら、それは拉致監禁であり、その場から逃げられないようになっている。」と教え込んでいた、統一教会の教育のせいだと思います。
どっかりと座ったまま不誠実な対応をし続ける徹さんを見る度、とても悲しくなったことを今でも覚えています。
結局、私は徹さんとはほとんど中味のある話し合いをすることはできず、1998年秋頃には、もう伺うこともしなくなりました。今こんな形で当時の事をつづらなければならない事は、とても残念でなりません。
5.後藤徹さん、MKさんのウソ
ところで、徹さんが原告の裁判で提出された徹さん作成名義の陳述書で、私が徹さんの部屋に行った時、私(■(YK氏旧姓))が徹さんをたたいたとか、水か茶をかけたなどということを主張していると聞きました。しかし、これは全くのウソです。
徹さんのことを心配して何回も彼の部屋に行ったのに、そこで徹さんが信者として教え込まれたことを一所懸命守って話し合いに乗らないようにしていることを私は十分判っているのに、どうして私が徹さんにそんなことする必要がありますか。悲しい気持ちになったことは度々ですが、徹さんにそんなことをしても無駄だし、逆効果であることを判っている私がそんなことをするはずがありません。
それから、MKさんの陳述書(甲第11号証)を見せてもらいましたが、あまりにもひどいウソが書かれているので、述べておきます。その8頁の(4)に、MKさんが後藤徹さんの部屋に一度行ったとしてその時の状況が書かれていますが、全くのウソだと自信をもって述べることができます。
そもそもMKさんは、脱会する気持ちになったと本人から私は聞いています。ところが、MKさんは親が嫌いで、親子関係が悪いままだったので、家族に心を開くことができなくて悩んでいました。私はMKさんからそのことを聞いています。
結局その点についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。その経過について、ご家族の中でも整理できていない方がいるようです。
そのようなMKさんが統一教会幹部に指示されて対策担当信者が作った文書に署名押印したのが甲第11号証だと思います。
私は、MKさんが後藤徹さんの部屋に行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした。
後藤徹さんは「宮村から罵詈雑言を浴びせられる中、ひたすら首をうなだれていました。」というのも全くウソです。宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました。徹さんは首をうなだれるどころか、昂然とした表情でひたすら、相対基準を合わせないようにしていました。
MKさんの陳述書はあまりに白々しい内容で、とても本人が作成したものとは思えません。
6.徹さんの心情
今、徹さんは、統一教会の大切な活動のひとつである「拉致監禁」キャンペーンによる組織の引き締めを担う重要メンバーとして指名され、それによって徹さんも後藤家の家族も霊界で救われるからという理屈を教え込まれそれを信じ込んで、組織の為に裁判をさせられているのだと思います。
統一教会では、裁判で統一教会の利益になるよう嘘をつくなど平気だし、正しいことなのです。何故なら、神である文鮮明の決めた天法という法律を超えた「摂理」があるので、この世の法律など関係ないのです。
私も、私が原告になった裁判の場で堂々と私の目の前で嘘をつくアベルや兄弟姉妹を嫌というほど、見せられてきました。しかし、できるなら徹さんの事を本当に心配し今でも苦しんでいるご家族や、当時心から徹さんの人生を心配しご家族の苦しみに心を砕いて話をしてくれた宮村さん、そして元信者の事を思い出して、本当の事を述べてほしいと思うばかりです。
今回の裁判で、被告側の証人として申請中のYK氏だ。
ちなみにこのYK氏は、後藤徹氏の監禁現場にも足しげく登場し、なんと後藤氏に緑茶をぶっかけたこともある。(後藤氏は、Tシャツにかかったお茶の感触まで覚えているといっているが、当のご本人は否定 こちらを参照)
また、後藤氏監禁現場の唯一の原告側の目撃者であるMK氏の説得現場にも訪れたことがある。MK氏によれば、YK氏は、竹を割ったような性格とのことだ。
なるほど~
そういう竹を割ったようなはっきりした性格の持ち主だからこそ、"煮え切らない"後藤氏に嫌気がさし、ついお茶をぶっかけちゃったということなのだろうか?
でも、本当に竹を割ったような性格なら、後藤さんにお茶をぶっかけたことをあっさりと認めそうだが・・・・
MK氏の陳述書についても真っ向から否定している。
また、YK氏は、違法伝道裁判では原告の1人として統一教会を相手に法廷で闘った。
ちなみにこの違法伝道裁判で、原告側から出された意見書(弁護士紀藤正樹のLINK!より)は、YK氏のものと思われる。
ということで、以下全文を掲載する。
乙八第7号証の2
陳 述 書(脱 会)
2011年12月27日
■■■■■■■■■■■-■-■
■■■■■■■■■■
YK
1.私の統一教会での経歴
私の経歴などは私たち元信者3人が原告になって訴えた裁判で私が書いて提出した陳述書(乙八第7号証の1)のとおりです。
私は、■■大学■■学部3回生の秋1984年11月末、その正体をかくして■■■アカデミックライブラリー(■■■)と称するビデオセンターに誘われて通い始め、ツーデートレーニング(2泊3日)、ライフトレーニング(ホーム生活)を経て初めて統一教会と知らされました。
そして1985年1月フォーデートレーニング(4泊5日)、新生トレーニング(1ヶ月のホーム生活)を経て学生部で軍隊のような組織活動に従事させられ、1986年4月、大学卒業と同時に献身者となったのです。
家族や友人とも断絶し、連日24時間、文鮮明と統一教会のための活動に専念しました。
1991年3月には家族との話し合いの場を偽装脱会して逃げ戻りました。
1992年8月合同結婚式に参加し結婚のことを親に話そうにも帰省が許可されませんでした。
1994年6月、世界宣教の摂理として、私は■■■で約1年間活動させられたのです。
合同結婚式の相手男性との入籍の了解を得るため帰省した1995年7月、私は家族との話し合いに入り、翌年2月頃脱会届を出すに至ったのですが、今考えても大変な被害を被ったと思います。
今は幸い結婚し、子供に恵まれ普通に生活していますが、脱会しないであのまま信者でいたら今頃どうなっていたかと思うと本当にぞーっとします。
2.家族との話し合い
1995年7月21日、私は入籍の許可を得ようと思い、■■の実家に帰りました。その時両親は、今度こそとことん話し合いをしようと言ってきました。私も今まで両親を悲しませるばかりで、後ろめたい気持ちもありましたので、この時ばかりはこれがラストチャンスと思い話し合おうという気持ちになりました。
結婚してしまうと、ますます会ったり、話し合ったりするのが難しくなるかと思ったのです。
「統一教会の人が来たり、相対者が来たりするときちんと話し合えないから別の場所に移ろう。」と言われ、家族と場所を移しての話し合いに臨みました。私自身が教会で献身者としてスタッフをしていた時、家族が反対している信者が自宅で家族と話し合っていると判った時、その家に教会員数名で突入して信者を連れ帰ったりすることは当たり前でしたので、家族の言い分にも渋々でしたが同意して、移動しました。
統一教会では、このような話し合いは拉致監禁であると教育されます。
家庭からの強い反対を受けている信者だけの修練会にも参加させられていた私は、家族との話し合いに応じたものの、怖くて仕方がありませんでした。
なぜなら、統一教会では、このような話し合いの場は、玄関に錠前がいくつもかかっていて、窓も開かないように固定されていて、毎日毎日統一教会をやめるように気が狂うような圧力をかけられたり、やめるまで外に出してもらえないと教えられていたからです。
また、反対する両親や両親が相談した宮村さんのような人は、サタン中のサタンであるから、決して話を聞いてはいけない(これを、相対基準をあわせてはいけないといいます)ときつくきつく言われていました。
いったん話を聞けば、私の霊人体は真っ黒になって家族もろとも地獄に行ってしまうといわれていたのです。それ故に、家族と話し合いをしようと決めてその場に臨んだはずなのに、私は二週間あまり一言も口を利きませんでした。
家族が心を割って話してくれるのにもかかわらず、質問に答えて霊人体が黒くなるのが恐ろしかったのです。
必要な事柄は全部、筆談をしていました。今思いかえすと、あまりにも異常な態度だったと思います。
3.私の脱会
しかし、日がたつにつれて少し冷静になると、統一教会で教え込まれていたこととこの話し合いの場がかなり違うことに気がつき始めました。まず、玄関に錠前などないこと。窓も普通に開閉自由であること。両親は統一教会をやめるように圧力をかけたりもせず、やめるまで外に出さないなどとは言ってなく、ただただ心配な気持ちや疑問を私になげかけているということです。
そういう事に気づき始めると、統一教会で教え込まれてきた事に疑問が湧くようになりました。そして、宮村さんと言う人が詳しく知っているのなら聞いてみたいという気持ちも湧き、両親に「詳しい人に会ってみたい。」と言いました。そうして宮村さんと会うことになりました。
ところが、実際宮村さんと会うと、教会で十年以上叩き込まれてきた恐怖感が激しく込み上げてきました。この人と目を合わせただけで地獄に行きそうで怖くて仕方がなくなり、再び私は口をつぐんでしまいました。
けれども、そんな私に対して宮村さんは、礼儀正しく誠実に話しかけてくれました。稚拙でひどい私の態度に激することもなく何度でも根気強く、話してくれました。その暖かい姿勢に私の心も恐怖感から少しずつ開放され、家族や宮村さんの言葉に耳を傾け、自分の気持ちや思い、実は今まで封印していた疑問を宮村さんや家族に投げかけられるようになったのです。そうして、私は教会の虚偽や欺瞞に気づき、そもそもが騙され続けて入信し、更に知らないうちに騙す側として被害者を作り続けていたことに深い失意を感じて、自ら翌1996年2月に脱会届を書き、正式に統一教会をやめました。
4.後藤徹さんとの話し合い
統一教会をやめるという気持ちを固めていく中で、私はスタッフとして活動してきた期間・経験も長かったので、多くの修練生を献身させてしまった事や、その兄弟姉妹のご家族を苦しめてきた事にとても申し訳ない思いでいっぱいになったのでした。
もし、助けられるならそういう兄弟姉妹を助けたいと思って、ご両親が反対をしていて気になるメンバーの名前を宮村さんに話しているとき、偶然、後藤徹さんの名前があがりました。後藤徹さんは私が教育部のスタッフをしている時の修練生で、彼の霊の親であるお兄さんの後藤■さんも修練生の時に、私はスタッフとして会っていたので、とても気になるメンバーの一人でした。
徹さんが家族と話し合いをしていると聞き、本当に心から心配で、宮村さんに徹さんに会いたいとお願いして徹さんとの話し合いに同行させてもらいました。その後、宮村さんぬきで徹さんのもとに行ったこともあります。
徹さんたちは荻窪駅近くのマンションの一室にいました。徹さんは、前述した家庭問題のある信者の修練会でも会っていたので、多分私と同じような間違った恐怖感を強く感じているだろうと予測できましたし、一本気な彼の性格からして、家庭対策の教えを一途に守っているのだろうと思うと心配でした。
このように1998年春頃、私は徹さんが家族と話し合っている所に何回か訪問しました。私が訪問したマンションは、もちろん私と同様、玄関に錠前などありませんでした。窓も固定などしてありませんでした。徹さんのいる部屋に入ると、徹さんはかつての私と同様、宮村さんや統一教会をやめた私を睨み付けていました。けれど私は、あの教会の家庭対策を受けていれば、そういう気持ちになることは十分理解できました。
何回か徹さんの部屋を訪問したのですが、結局徹さんとは本音で話し合いをする状態にはなれませんでした。何故なら、統一教会の話になると、徹さんは私や宮村さんの質問に正面からは答えてはくれませんでした。まったく関係ないことに話題を変えたり、呪文のように「原理はいいですねえ、原理はいいですねえ、原理はいいですねえ・・・」などと同じ言葉を繰り返したりで、まさしく教会の家庭対策通り「相対基準を合わせない」ようにしていました。
都合の悪い統一教会の現実や教えの間違いについての話になると、「ああ、そうですか。ああ、そうですかあ。」と薄笑いを浮かべてきちんと返事をしませんし、その薄笑いを指摘されると、突然大きな声で怒鳴ったりしていました。聞きたくない話(徹さんも知っている教会内部の矛盾や、一番下で馬車馬の様に働かされている兄弟姉妹の話、心配しているお母さんや兄妹の話・・・等)になると、話をわざと聞かないように、途中で「なんなんだ!なんなんだ!」などと、大声を出してさえぎり続けていました。
そんな時でも宮村さんや、ご家族は忍耐強く(私の時と同様)冷静に話をされていましたが、徹さんは聞く耳をもってくれませんでした。
私一人で行ったり、元信者と行ったり、宮村さんと一緒に行ったりしましたが、徹さんの反応はいつも同じようなものでした。
そんなにこの話し合いの場がいやなら、いくらでも出て行ける状況にありました。施錠されているわけでもなく、寝食を制限されているわけでもなく、見張りがいるわけでもないのです。もし、精神的に出て行ける状況でなかったと思っていたとすれば、それはご家族や宮村さんのせいではなく、「家族と話し合いになったら、それは拉致監禁であり、その場から逃げられないようになっている。」と教え込んでいた、統一教会の教育のせいだと思います。
どっかりと座ったまま不誠実な対応をし続ける徹さんを見る度、とても悲しくなったことを今でも覚えています。
結局、私は徹さんとはほとんど中味のある話し合いをすることはできず、1998年秋頃には、もう伺うこともしなくなりました。今こんな形で当時の事をつづらなければならない事は、とても残念でなりません。
5.後藤徹さん、MKさんのウソ
ところで、徹さんが原告の裁判で提出された徹さん作成名義の陳述書で、私が徹さんの部屋に行った時、私(■(YK氏旧姓))が徹さんをたたいたとか、水か茶をかけたなどということを主張していると聞きました。しかし、これは全くのウソです。
徹さんのことを心配して何回も彼の部屋に行ったのに、そこで徹さんが信者として教え込まれたことを一所懸命守って話し合いに乗らないようにしていることを私は十分判っているのに、どうして私が徹さんにそんなことする必要がありますか。悲しい気持ちになったことは度々ですが、徹さんにそんなことをしても無駄だし、逆効果であることを判っている私がそんなことをするはずがありません。
それから、MKさんの陳述書(甲第11号証)を見せてもらいましたが、あまりにもひどいウソが書かれているので、述べておきます。その8頁の(4)に、MKさんが後藤徹さんの部屋に一度行ったとしてその時の状況が書かれていますが、全くのウソだと自信をもって述べることができます。
そもそもMKさんは、脱会する気持ちになったと本人から私は聞いています。ところが、MKさんは親が嫌いで、親子関係が悪いままだったので、家族に心を開くことができなくて悩んでいました。私はMKさんからそのことを聞いています。
結局その点についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。その経過について、ご家族の中でも整理できていない方がいるようです。
そのようなMKさんが統一教会幹部に指示されて対策担当信者が作った文書に署名押印したのが甲第11号証だと思います。
私は、MKさんが後藤徹さんの部屋に行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした。
後藤徹さんは「宮村から罵詈雑言を浴びせられる中、ひたすら首をうなだれていました。」というのも全くウソです。宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました。徹さんは首をうなだれるどころか、昂然とした表情でひたすら、相対基準を合わせないようにしていました。
MKさんの陳述書はあまりに白々しい内容で、とても本人が作成したものとは思えません。
6.徹さんの心情
今、徹さんは、統一教会の大切な活動のひとつである「拉致監禁」キャンペーンによる組織の引き締めを担う重要メンバーとして指名され、それによって徹さんも後藤家の家族も霊界で救われるからという理屈を教え込まれそれを信じ込んで、組織の為に裁判をさせられているのだと思います。
統一教会では、裁判で統一教会の利益になるよう嘘をつくなど平気だし、正しいことなのです。何故なら、神である文鮮明の決めた天法という法律を超えた「摂理」があるので、この世の法律など関係ないのです。
私も、私が原告になった裁判の場で堂々と私の目の前で嘘をつくアベルや兄弟姉妹を嫌というほど、見せられてきました。しかし、できるなら徹さんの事を本当に心配し今でも苦しんでいるご家族や、当時心から徹さんの人生を心配しご家族の苦しみに心を砕いて話をしてくれた宮村さん、そして元信者の事を思い出して、本当の事を述べてほしいと思うばかりです。
2012-06-20(Wed)
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みっともない
<家族と話し合いをしようと決めてその場に臨んだはずなのに、私は二週間あまり一言も口を利きませんでした>
これってどういうことでしょうか?
二週間あまりも口を利きたくなかった、なのに、話し合いのためにそのマンションに留まった…???
こんな話がありますか?
そこまでして「自分で望んで話し合いをした」というストーリーを構築しなければならないですか。
<その薄笑いを指摘されると、突然大きな声で怒鳴ったりしていました。聞きたくない話(徹さんも知っている教会内部の矛盾や、一番下で馬車馬の様に働かされている兄弟姉妹の話、心配しているお母さんや兄妹の話・・・等)になると、話をわざと聞かないように、途中で「なんなんだ!なんなんだ!」などと、大声を出してさえぎり続けていました>
徹さんは聞きたくない話をさんざん浴びせられたんですね。YKさんはそんな話をしに、マンションに足繁く通ったのですね。
聞きたくない話をする人ばかりに取り囲まれ、追及される毎日…。
よくも、徹さんはそんな環境のマンションに「居座り」ましたね。一般的には、あり得ない話です。
なぜ、聞きたくない話を「望んで聞き」、聞きたくない話をされるのにその場から外に出なかったのか???
YKさんの統一教会に対する恨みはよ~く分かりましたが、肝心の、「監禁していなかった」ことの証明がありません。訪問したとき、徹さんがなぜマンションを出ていかないのか、質問しなかったのですか。変ですねぇ。
「望んで」「居座っている」のに、なぜか、マンションにいる徹さんが喜んでいる笑顔が全く連想できません。
あり得ない、裁判用のストーリー展開、そろそろ終わりにしませんか。みっともないです。
これってどういうことでしょうか?
二週間あまりも口を利きたくなかった、なのに、話し合いのためにそのマンションに留まった…???
こんな話がありますか?
そこまでして「自分で望んで話し合いをした」というストーリーを構築しなければならないですか。
<その薄笑いを指摘されると、突然大きな声で怒鳴ったりしていました。聞きたくない話(徹さんも知っている教会内部の矛盾や、一番下で馬車馬の様に働かされている兄弟姉妹の話、心配しているお母さんや兄妹の話・・・等)になると、話をわざと聞かないように、途中で「なんなんだ!なんなんだ!」などと、大声を出してさえぎり続けていました>
徹さんは聞きたくない話をさんざん浴びせられたんですね。YKさんはそんな話をしに、マンションに足繁く通ったのですね。
聞きたくない話をする人ばかりに取り囲まれ、追及される毎日…。
よくも、徹さんはそんな環境のマンションに「居座り」ましたね。一般的には、あり得ない話です。
なぜ、聞きたくない話を「望んで聞き」、聞きたくない話をされるのにその場から外に出なかったのか???
YKさんの統一教会に対する恨みはよ~く分かりましたが、肝心の、「監禁していなかった」ことの証明がありません。訪問したとき、徹さんがなぜマンションを出ていかないのか、質問しなかったのですか。変ですねぇ。
「望んで」「居座っている」のに、なぜか、マンションにいる徹さんが喜んでいる笑顔が全く連想できません。
あり得ない、裁判用のストーリー展開、そろそろ終わりにしませんか。みっともないです。
あら、いけないわ。
<何回か徹さんの部屋を訪問したのです>
この一文を読んで、茉莉ちゃん興奮。
YKさんが統一さんを脱会したのが1996年。徹様のお部屋に足しげく通ったのは、1998年春。
2年の月日が経っているから、当然お仕事してるわよね~。
ということは、訪問時間も夕方~夜。
そんな時間に殿方のお部屋を何回も訪問するなんて・・。
ねえねえ、YKさん、こっそり茉莉ちゃんに教えて欲しいの。
実は、徹様に「ホ」の字だった?
恥ずかしがらなくてもよろしくてよ。
統一さんを脱会すれば恋愛は自由。
好きな殿方を愛の力で悪なる統一の呪縛から目覚めさせる・・なんて感動的。ウルウル。
願わくば、その後・・(18禁)
なのに、徹様ったら、YKさんの気持ちに気づかず、「原理は素晴らしい、原理は素晴らしい」と呪文を唱え続けるなんて。
これでは、YKさんも「キー!」と切れて、茶をかけるわよ。
「いい加減、私の気持ちに気づいて。私の愛に答えて。」と。
わかるわ。
徹様、鈍感すぎるのも罪よ。
この一文を読んで、茉莉ちゃん興奮。
YKさんが統一さんを脱会したのが1996年。徹様のお部屋に足しげく通ったのは、1998年春。
2年の月日が経っているから、当然お仕事してるわよね~。
ということは、訪問時間も夕方~夜。
そんな時間に殿方のお部屋を何回も訪問するなんて・・。
ねえねえ、YKさん、こっそり茉莉ちゃんに教えて欲しいの。
実は、徹様に「ホ」の字だった?
恥ずかしがらなくてもよろしくてよ。
統一さんを脱会すれば恋愛は自由。
好きな殿方を愛の力で悪なる統一の呪縛から目覚めさせる・・なんて感動的。ウルウル。
願わくば、その後・・(18禁)
なのに、徹様ったら、YKさんの気持ちに気づかず、「原理は素晴らしい、原理は素晴らしい」と呪文を唱え続けるなんて。
これでは、YKさんも「キー!」と切れて、茶をかけるわよ。
「いい加減、私の気持ちに気づいて。私の愛に答えて。」と。
わかるわ。
徹様、鈍感すぎるのも罪よ。
二心で、揺れるYk氏
先回のNIさんの陳述の中に、
<”信者の情報をデーターべース化して、新たな顧客を開拓する”という、記述部分は、あまりにも馬鹿馬鹿しく呆れてしまいました。統一教会や原研でやっていることと一緒にしてほしくないです。それに、信者の実家をどうやって調べるというのでしょうか>
なんと、YKさんの陳述の中に答えありです。
<もし、助けられるなら、そういう兄弟姉妹を助けたいと思ってご両親が反対していて気になるメンバーの名前を宮村さんに話していると、、、>
YK氏自身が拉致監禁(された)を経験しているのに、宮村と共に拉致監禁に携わり、裁判になり本心とウソのはざまで複雑だろう。
宮村側は、結束して、拉致監禁はしていない。特別な施錠はしていない。宮村氏は、脅迫・暴行、暴言はしていない、と言い続けているので、ムリがくる。
<家族との話し合いに応じたものの、怖くて仕方がありませんでした>
なぜ、すでに監禁されているからでしょう。
<家族と話し合いをしようと決めてその場に臨んだはずなのに、私は二週間あまり一言も口を利きませんでした>
なぜ、話し合いどころか、不愉快なことや、理不尽なことを聞かされているからでしょう。
<今思いかえすと、あまりにも異常な態度だったと思います>
なぜ、監禁はあきらかに、異常です。
<この人と目を合わせただけで地獄に行きそうで怖くて仕方がなくなり、再び私は口をつぐんでしまいました>
本心の感想でしょう。
<宮村さんは、礼儀正しく誠実に話しかけてくれました。稚拙でひどい私の態度に激することもなく何度でも根気強く、話してくれました。その暖かい姿勢に私の心も恐怖感から少しずつ開放され、家族や宮村さんの言葉に耳を傾け、自分の気持ちや思い、実は今まで封印していた疑問を宮村さんや家族に投げかけられるようになったのです>
第一印象は、怖いほどの人だったのに、そんなに、簡単に宮村の印象が一変できるのか。
<玄関に錠前などないこと。窓も普通に開閉自由であること。両親は統一教会をやめるように圧力をかけたりもせず、やめるまで外に出さないなどとは言ってなく、ただただ心配な気持ちや疑問を私になげかけているということです>
これは、ウソ。拉致監禁された人々から、多数の証言あり。
<もし、精神的に出て行ける状況でなかったと思っていたとすれば、それはご家族や宮村さんのせいではなく、「家族と話し合いになったら、それは拉致監禁であり、その場から逃げられないようになっている。」と教え込んでいた、統一教会の教育のせいだと思います>
統一教会のせいにして、NI氏と同じように、宮村をかばっている。
<私が徹さんの部屋に行った時、私が、徹さんをたたいたとか、水か茶をかけたなどということを主張していると聞きましたが、しかし、これは全くのウソです>
なにもなければなにも書かない。拉致監禁には暴行・蛮行はつきもの。ざぶとんでたたかれた人もいるし、棒でたたかれた人もいる。誰かがかならずみている。徹さんの妹やお母さんは見ていなかったのか。
<私も、私が原告になった裁判の場で堂々と私の目の前で嘘をつくアベルや兄弟姉妹を嫌というほど、見せられてきました。しかし、できるなら徹さんの事を本当に心配し今でも苦しんでいるご家族や、当時心から徹さんの人生を心配しご家族の苦しみに心を砕いて話をしてくれた宮村さん、そして元信者の事を思い出して、本当の事を述べてほしいと思うばかりです>
今度は、逆になりました。
後藤さんが原告になった裁判の場で、堂々をウソをつく、宮村や兄弟姉妹を嫌というほど、みせられてきました。
本当に、徹さんの人生を心配し、今でも苦しんでいるご家族のことを思い出して、宮村さん、元信者のみなさん、YKさん、NIさん、本当の事を述べてほしいと思うばかりです。
<”信者の情報をデーターべース化して、新たな顧客を開拓する”という、記述部分は、あまりにも馬鹿馬鹿しく呆れてしまいました。統一教会や原研でやっていることと一緒にしてほしくないです。それに、信者の実家をどうやって調べるというのでしょうか>
なんと、YKさんの陳述の中に答えありです。
<もし、助けられるなら、そういう兄弟姉妹を助けたいと思ってご両親が反対していて気になるメンバーの名前を宮村さんに話していると、、、>
YK氏自身が拉致監禁(された)を経験しているのに、宮村と共に拉致監禁に携わり、裁判になり本心とウソのはざまで複雑だろう。
宮村側は、結束して、拉致監禁はしていない。特別な施錠はしていない。宮村氏は、脅迫・暴行、暴言はしていない、と言い続けているので、ムリがくる。
<家族との話し合いに応じたものの、怖くて仕方がありませんでした>
なぜ、すでに監禁されているからでしょう。
<家族と話し合いをしようと決めてその場に臨んだはずなのに、私は二週間あまり一言も口を利きませんでした>
なぜ、話し合いどころか、不愉快なことや、理不尽なことを聞かされているからでしょう。
<今思いかえすと、あまりにも異常な態度だったと思います>
なぜ、監禁はあきらかに、異常です。
<この人と目を合わせただけで地獄に行きそうで怖くて仕方がなくなり、再び私は口をつぐんでしまいました>
本心の感想でしょう。
<宮村さんは、礼儀正しく誠実に話しかけてくれました。稚拙でひどい私の態度に激することもなく何度でも根気強く、話してくれました。その暖かい姿勢に私の心も恐怖感から少しずつ開放され、家族や宮村さんの言葉に耳を傾け、自分の気持ちや思い、実は今まで封印していた疑問を宮村さんや家族に投げかけられるようになったのです>
第一印象は、怖いほどの人だったのに、そんなに、簡単に宮村の印象が一変できるのか。
<玄関に錠前などないこと。窓も普通に開閉自由であること。両親は統一教会をやめるように圧力をかけたりもせず、やめるまで外に出さないなどとは言ってなく、ただただ心配な気持ちや疑問を私になげかけているということです>
これは、ウソ。拉致監禁された人々から、多数の証言あり。
<もし、精神的に出て行ける状況でなかったと思っていたとすれば、それはご家族や宮村さんのせいではなく、「家族と話し合いになったら、それは拉致監禁であり、その場から逃げられないようになっている。」と教え込んでいた、統一教会の教育のせいだと思います>
統一教会のせいにして、NI氏と同じように、宮村をかばっている。
<私が徹さんの部屋に行った時、私が、徹さんをたたいたとか、水か茶をかけたなどということを主張していると聞きましたが、しかし、これは全くのウソです>
なにもなければなにも書かない。拉致監禁には暴行・蛮行はつきもの。ざぶとんでたたかれた人もいるし、棒でたたかれた人もいる。誰かがかならずみている。徹さんの妹やお母さんは見ていなかったのか。
<私も、私が原告になった裁判の場で堂々と私の目の前で嘘をつくアベルや兄弟姉妹を嫌というほど、見せられてきました。しかし、できるなら徹さんの事を本当に心配し今でも苦しんでいるご家族や、当時心から徹さんの人生を心配しご家族の苦しみに心を砕いて話をしてくれた宮村さん、そして元信者の事を思い出して、本当の事を述べてほしいと思うばかりです>
今度は、逆になりました。
後藤さんが原告になった裁判の場で、堂々をウソをつく、宮村や兄弟姉妹を嫌というほど、みせられてきました。
本当に、徹さんの人生を心配し、今でも苦しんでいるご家族のことを思い出して、宮村さん、元信者のみなさん、YKさん、NIさん、本当の事を述べてほしいと思うばかりです。
お茶ぶっかけの妹御よ、おぬしも苦しいよのぉ。
私(■(YK氏旧姓))が徹さんをたたいたとか、水か茶をかけたなどということを主張していると聞きました。
語るに落ちたとは、まさにこのこと。
主張していると聞きました
おいおい、妹御よ、後藤徹の陳述書を読んでいないのかい。読まずに陳述書を書いているということなのかい。
(少なくともはっきりしたことは、宮村グループの妹御たちは、このブログでアップされた裁判記録を読んでいないということです)
被告あるいは被告代理人から口頭で、原告側からこれこれの陳述書が出ているけど、一つ、反論を書いてくれまいか。
「尊師、了解しました。バンバン書きます」
このように推測すれば、水か茶をかけたといった曖昧な表現をしたことも、納得できる。
MKさんの陳述書(甲第11号証)を見せてもらいましたが、あまりにもひどいウソが書かれているので、述べておきます。その8頁の(4)に、MKさんが後藤徹さんの部屋に一度行ったとしてその時の状況が書かれていますが、全くのウソだと自信をもって述べることができます。
そもそもMKさんは、脱会する気持ちになったと本人から私は聞いています。ところが、MKさんは親が嫌いで、親子関係が悪いままだったので、家族に心を開くことができなくて悩んでいました。私はMKさんからそのことを聞いています。
結局その点についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。その経過について、ご家族の中でも整理できていない方がいるようです。
お茶ぶっかけの妹御よ!お前はいつから女流推理作家を目指すようになったんじゃい。
その点(親子関係)についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。
おいおい、妹御よ、MKが心のうちを語ってくれたのかいな。親子関係の心の整理がつかないから(親に心を開くことができないから)、統一教会に戻るということがあるのかいな。珍説である。
そのように思い込んだとすれば、宮村尊師のご高説、呪文のようなマントラだけ。
彼は幼少期から思春期にかけて、親子問題で苦しんでいたことがある。それゆえ、なぜか飛躍するのだけど、統一教会に入信する動機はすべて親子関係にあると見てしまう。
彼の勉強会に信者家族が参加すると、尊師は「子どもとの接し方がなっとらん」と説教するのだ。
(よく言うよな。自分の2人の息子との関係はどうなんだいとつっこみを入れたくなる。苦笑である。妹御たちよ。君たちは尊師の2人のお子に会ったことがある?
尊師の奥方を見舞ったことがある?厭味ではなく、人間としての当然の営為として)
ご家族の中でも整理できていない方がいるようです
なるほど、それでMKさんの弟さんのところに出向いて、整理させようとしたということか。
妹御よ、それは違法スレスレの行為だよ!
妹御は世俗に戻って、もう20年近くになるが、一般社会のルールを知ったほうがいい。
すでに何人かの投稿者が指摘しているのだが、妹御の陳述書は矛盾に満ち満ちているぞ。
その代表例を書いて終わりにしたい。代理人の弁護士もきちんとチェックしろや。着手金を受け取っただろうが、と毒づきたい。
私は、MKさんが後藤徹さんの部屋に行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした。
後藤徹さんは「宮村から罵詈雑言を浴びせられる中、ひたすら首をうなだれていました。」というのも全くウソです。宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました。
最初の陳述。
私は、MKさんが後藤徹さんの部屋に行ったことは聞いていません。
だったら、何もわかろうがないだろうが!このタコ女が!
「はずがない」からだんだんと確信めいてしまって、最後には「宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました」だとさ。妹御はいまだ教会員か!
妹御や妹御や、しっかりしい。
良くない親子関係、家庭に居場所がないから、統一教会に入信する人は確かにいる。しかし、すべてがそうでない。
妹御は、いつも宮村尊師から親子関係のことを聞かされているから、陳述書でも知ったかよろしく、MKは親子関係を払拭できないから統一教会に戻ったと書く。
嗚呼、阿弥陀仏。
人の心に土足であがる(あなたの心はこうよ、というのは食口アベルの特徴)のであれば、本人から話を聞いてからにしたほうがいいよ、妹御よ。嗚呼、あ~み~だ~ぶつ
語るに落ちたとは、まさにこのこと。
主張していると聞きました
おいおい、妹御よ、後藤徹の陳述書を読んでいないのかい。読まずに陳述書を書いているということなのかい。
(少なくともはっきりしたことは、宮村グループの妹御たちは、このブログでアップされた裁判記録を読んでいないということです)
被告あるいは被告代理人から口頭で、原告側からこれこれの陳述書が出ているけど、一つ、反論を書いてくれまいか。
「尊師、了解しました。バンバン書きます」
このように推測すれば、水か茶をかけたといった曖昧な表現をしたことも、納得できる。
MKさんの陳述書(甲第11号証)を見せてもらいましたが、あまりにもひどいウソが書かれているので、述べておきます。その8頁の(4)に、MKさんが後藤徹さんの部屋に一度行ったとしてその時の状況が書かれていますが、全くのウソだと自信をもって述べることができます。
そもそもMKさんは、脱会する気持ちになったと本人から私は聞いています。ところが、MKさんは親が嫌いで、親子関係が悪いままだったので、家族に心を開くことができなくて悩んでいました。私はMKさんからそのことを聞いています。
結局その点についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。その経過について、ご家族の中でも整理できていない方がいるようです。
お茶ぶっかけの妹御よ!お前はいつから女流推理作家を目指すようになったんじゃい。
その点(親子関係)についての心の整理ができず、統一教会に戻ってしまったのです。
おいおい、妹御よ、MKが心のうちを語ってくれたのかいな。親子関係の心の整理がつかないから(親に心を開くことができないから)、統一教会に戻るということがあるのかいな。珍説である。
そのように思い込んだとすれば、宮村尊師のご高説、呪文のようなマントラだけ。
彼は幼少期から思春期にかけて、親子問題で苦しんでいたことがある。それゆえ、なぜか飛躍するのだけど、統一教会に入信する動機はすべて親子関係にあると見てしまう。
彼の勉強会に信者家族が参加すると、尊師は「子どもとの接し方がなっとらん」と説教するのだ。
(よく言うよな。自分の2人の息子との関係はどうなんだいとつっこみを入れたくなる。苦笑である。妹御たちよ。君たちは尊師の2人のお子に会ったことがある?
尊師の奥方を見舞ったことがある?厭味ではなく、人間としての当然の営為として)
ご家族の中でも整理できていない方がいるようです
なるほど、それでMKさんの弟さんのところに出向いて、整理させようとしたということか。
妹御よ、それは違法スレスレの行為だよ!
妹御は世俗に戻って、もう20年近くになるが、一般社会のルールを知ったほうがいい。
すでに何人かの投稿者が指摘しているのだが、妹御の陳述書は矛盾に満ち満ちているぞ。
その代表例を書いて終わりにしたい。代理人の弁護士もきちんとチェックしろや。着手金を受け取っただろうが、と毒づきたい。
私は、MKさんが後藤徹さんの部屋に行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした。
後藤徹さんは「宮村から罵詈雑言を浴びせられる中、ひたすら首をうなだれていました。」というのも全くウソです。宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました。
最初の陳述。
私は、MKさんが後藤徹さんの部屋に行ったことは聞いていません。
だったら、何もわかろうがないだろうが!このタコ女が!
「はずがない」からだんだんと確信めいてしまって、最後には「宮村さんは、ていねいな言葉遣いで徹さんに問いかけ続けていました」だとさ。妹御はいまだ教会員か!
妹御や妹御や、しっかりしい。
良くない親子関係、家庭に居場所がないから、統一教会に入信する人は確かにいる。しかし、すべてがそうでない。
妹御は、いつも宮村尊師から親子関係のことを聞かされているから、陳述書でも知ったかよろしく、MKは親子関係を払拭できないから統一教会に戻ったと書く。
嗚呼、阿弥陀仏。
人の心に土足であがる(あなたの心はこうよ、というのは食口アベルの特徴)のであれば、本人から話を聞いてからにしたほうがいいよ、妹御よ。嗚呼、あ~み~だ~ぶつ
師兄から謹んで師妹に
YK師妹、どこかで会ったような気がしますが、ともかくはじめまして。
すばらしい陳述書を読んで気分すっきり、胃腸もすっきり。御礼を述べたいですわ。
でもでも、一つだけすっきりしないことがあるの。
それはね。師妹が統一教会時代に、吐き気がするほど、嫌だった体験を書かれていないことにあるのよね。
師妹の今の師父、宮村師父ね、宮村師父と相対すれば、霊人体が真っ黒になると教え込まれたのが唯一嫌だったように書いてあったけど、師妹のルンルンあるいは過酷壺売り時代の体験のことが書いてないわ。
あっ、一つだけ書いておくわね。昔の師父つまり昔のアベルのことねっ。
サタン宮村と相対基準を合わせると、霊人体が真っ黒になるといった説明は間違っているわ。
宮村師父と相対すると、霊人体がピンクになるのですぅ~。
話が横道にそれちゃったけど、元に戻すね。
師妹の統一教会時代は、けっこう楽しかったみたいね。
いま昔の食口たちとチャネリングをしているのだけど(そのうちの1人はなくなった人)、YK師妹は楽しい統一時代を送ってたんだってぇ。
聞いたわよ。フフフッ、師妹の武勇伝を。
宣教地(当時のラオス?)で赤痢になったのは、まわりの反対もアベルの忠告も聞かずに屋台の食べ物を口にベタベタくっつけるほどに、食べたからそうね。(美味しかった?生唾ごっくん)
しかも、まわりが病院に行った方がいいという声もきかず、風邪薬でなおそうとしてたって。
師妹や、師妹や、お前は根性もんかいな。昨今、風邪薬ですべてを治すという人か多くなって、少林寺でも問題になっているわいな。
まぁそれはいいとしても、天上界から師妹雲海周辺から聞こえてくるのは、統一教会青春時代の謳歌しかないな。
ここで、一曲。ちょっと休憩。師妹よ、カッカせずに聞いてね。
http://www.youtube.com/watch?v=LIkekgiYKak
師妹よ。聴いたかい。
(でも、まあ、秀逸は一番目の「同じ星を見つめて何を思う」の歌詞だけかも)
師兄は、真実の道を歩きたいぞ。
お子の瞳に恥じないように、金輪際、嘘とは無縁の道を歩もうぜ。
師兄はいやなのじゃ。統一教会は嘘を言う。統一教会は嘘をつくと声高にいいながら、反統一はさらに嘘をつく。
いやじゃ、いやじゃ。
そんな負のドツボに嵌まったときは、クレマチスの楚々とした花を見るか、朝顔の花にかかった可憐な朝露を見て慰められだけ。
すばらしい陳述書を読んで気分すっきり、胃腸もすっきり。御礼を述べたいですわ。
でもでも、一つだけすっきりしないことがあるの。
それはね。師妹が統一教会時代に、吐き気がするほど、嫌だった体験を書かれていないことにあるのよね。
師妹の今の師父、宮村師父ね、宮村師父と相対すれば、霊人体が真っ黒になると教え込まれたのが唯一嫌だったように書いてあったけど、師妹のルンルンあるいは過酷壺売り時代の体験のことが書いてないわ。
あっ、一つだけ書いておくわね。昔の師父つまり昔のアベルのことねっ。
サタン宮村と相対基準を合わせると、霊人体が真っ黒になるといった説明は間違っているわ。
宮村師父と相対すると、霊人体がピンクになるのですぅ~。
話が横道にそれちゃったけど、元に戻すね。
師妹の統一教会時代は、けっこう楽しかったみたいね。
いま昔の食口たちとチャネリングをしているのだけど(そのうちの1人はなくなった人)、YK師妹は楽しい統一時代を送ってたんだってぇ。
聞いたわよ。フフフッ、師妹の武勇伝を。
宣教地(当時のラオス?)で赤痢になったのは、まわりの反対もアベルの忠告も聞かずに屋台の食べ物を口にベタベタくっつけるほどに、食べたからそうね。(美味しかった?生唾ごっくん)
しかも、まわりが病院に行った方がいいという声もきかず、風邪薬でなおそうとしてたって。
師妹や、師妹や、お前は根性もんかいな。昨今、風邪薬ですべてを治すという人か多くなって、少林寺でも問題になっているわいな。
まぁそれはいいとしても、天上界から師妹雲海周辺から聞こえてくるのは、統一教会青春時代の謳歌しかないな。
ここで、一曲。ちょっと休憩。師妹よ、カッカせずに聞いてね。
http://www.youtube.com/watch?v=LIkekgiYKak
師妹よ。聴いたかい。
(でも、まあ、秀逸は一番目の「同じ星を見つめて何を思う」の歌詞だけかも)
師兄は、真実の道を歩きたいぞ。
お子の瞳に恥じないように、金輪際、嘘とは無縁の道を歩もうぜ。
師兄はいやなのじゃ。統一教会は嘘を言う。統一教会は嘘をつくと声高にいいながら、反統一はさらに嘘をつく。
いやじゃ、いやじゃ。
そんな負のドツボに嵌まったときは、クレマチスの楚々とした花を見るか、朝顔の花にかかった可憐な朝露を見て慰められだけ。
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