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ブログを始めます。

私たちは、統一教会員、元教会員という立場の違いを超え、「<保護という名の拉致監禁>を手段とする脱会方法」に反対します。私たちがその裁判を支援する後藤徹さんは、監禁場所から解放された2008年2月から今日まで、「12年5カ月の長きにわたって監禁されていた」と訴え続けてきました。私たちはこの声を真実だと確信しています。

その後藤さんは、拉致監禁、監禁致傷の責任を問うために、宮村峻(たかし)・タップ社長、松永堡智(やすとも)新津福音キリスト教会牧師などを相手取って、2011年1月31日、東京地裁に提訴しました。いよいよ3月22日から裁判が始まります。

そこで私たちは、これから始まる裁判の記録を社会に公開することにしました。なぜなら、これまで同じような裁判が4件ほど行なわれてきましたが、それらの裁判記録(訴状、陳述書、証言録、判決文など)はこれまでほとんどといっていいほど明らかにされてこなかったからです。ゆえに拉致監禁問題のどこが問題なのか、拉致監禁体験者たちはどんな思いを持っているのか等々、未経験の方々には判断する情報がなかったわけです。

そこで私たちは裁判所に提出される文章を、争点に関係しているものに限って、原告側提出・被告側提出を問わず、できるだけ公平にアップしていくつもりです。ぜひ公平な立場から読んでいただいて、思うところがあればコメント投稿していただくなり、メールでご意見をいただければ幸いです。
なお、後藤氏の拉致監禁事件についてはご存じない方が多いと思われますので、以下にだいたいの概略をご紹介します。

 

後藤徹氏拉致監禁事件とは

12年5カ月に及ぶ宮村峻・㈱タップ社長、松永堡智・新津福音キリスト教会牧師主導の拉致監禁に対し、被害者である後藤徹氏が1月31日、2億円に上る損害賠償請求の民事訴訟を提訴した。3月22日、東京・霞が関の東京地方裁判所7階の709号法廷で第1回口頭弁論が行われる(ぜひ傍聴を!!)

統一教会の信者である後藤徹氏に対し、宮村氏らが家族に拉致監禁を伴う脱会説得を指導。宮村氏が担当した期間、松永氏が担当した期間を合わせると、合計12年5カ月に及ぶ長期にわたる脱会説得が行われた。この拉致監禁は、2008年2月10日、家族らが保護説得を断念し、後藤氏を監禁場所から解放したことで終了するが、後藤氏は通常身長182㎝、体重70㎏台の体が、この時体重39㎏の激やせ状態で、極度の脱水症状を起こしており、たどり着いた先の教団本部職員が緊急入院の措置をとるというほどに、生命の危機状態にあった。

この拉致監禁による保護説得に対し、2008年4月、後藤氏は宮村、松永両氏と、家族らを相手取り、刑事告訴した。宮村、松永両氏は書類送検されたが、東京地検は2009年12月9日、不起訴の判断を下した。これに対して後藤氏は2010年6月23日、東京第4検察審査会に不服申し立てを行ったが、同年10月6日検察審査会は不起訴相当を議決。後藤氏はさらに拉致監禁の事実を社会に明示し、失われた12年5カ月の遺失利益を宮村氏らに償わせるため、このたび民事訴訟を提訴したものである。

以下後藤氏の12年5カ月の拉致監禁による保護説得の経緯を略述する。
<前史>
・1987年5月ごろ、後藤氏の兄が宮村氏主導の拉致監禁による保護説得を受ける。後藤氏の12年5カ月にわたる拉致監禁・保護説得の期間外であるが、この兄が宮村氏の会社㈱タップに入社し、以後後藤氏の拉致監禁・保護説得に重要な役割を果たすことになるため、ここに記す。

・1987年10月、後藤氏は音信不通となっていた(すなわち拉致監禁による保護説得を受けていた)兄から連絡を受け、新宿に呼び出されると京王プラザホテルに誘導され、そのまま家族らにより同ホテルに拉致監禁され、宮村氏による脱会説得を受ける。京王プラザホテルでの監禁は1週間で終了するが、その後杉並区荻窪のマンションの一室に移送され、拉致監禁による脱会説得を受け、荻窪栄光教会の礼拝に参加、また近隣の一軒家で宮村氏主宰の水茎会に出席。この時宮村氏が統一教会信徒を家族に持つ父兄らに対して指導している姿を目撃する。同年11月下旬、荻窪栄光教会の礼拝に参加した折、トイレに行くふりをして同教会建物から脱出。初回の拉致監禁から解放される。これもまた12年5カ月の期間外であるが、その前段として重要な要素であるので、ここに記す。

<12年5カ月>
・1995年9月11日、東京・西東京市の自宅(当時。父親宅)に帰宅滞在中、両親、兄、および庭に潜んでいた見知らぬ男性(のちに宮村氏の会社㈱タップ社員であることが判明)らに拉致監禁される。周囲を囲まれ、両脇を抱えられて抵抗できない状態で家から引きずり出され、ワゴン車に押し込まれ、そのままノンストップで新潟のマンションまで移送される。2回目の拉致監禁による脱会説得の始まりである。この新潟での期間約2年4カ月と、その後東京のマンションに移送されての期間約10年1ヶ月間が総計12年5カ月に及ぶ拉致監禁による脱会説得の期間である。

(1)1995年9月11日~1997年6月22日ごろ
1995年9月11日、西東京市の自宅で拉致されて新潟のパレスマンション多門607号室に移送されてから、1997年6月22日の父親の他界をきっかけとした東京・荻窪の荻窪プレイス605号室への移送までの約2年4カ月の期間が、まずその初期に当たる。移送はノンストップ。拉致監禁のターゲットとなった後藤氏が尿意を伝えても、パーキングエリアに駐車することはなく、事前に準備した簡易トイレで車中でさせる。監禁部屋の玄関は内側から特殊な鍵で施錠され、窓もストッパーで固定されていた。こうした環境の中で脱会説得が行われた。

(2)1997年6月22日ごろ~2008年2月10日解放されるまで。
当初荻窪プレイス605号室であったが、ここは半年程度の監禁で、すぐに荻窪フラワーホーム804号室に移送される。したがってほとんどの期間を荻窪フラワーホーム804号室で過ごすことになる。10年間を、玄関からは出られないマンションの中の一室で、しかも脱会説得者や監禁者が入室することを拒めない、共用部分と言ってもいい部屋で過ごすわけだから、想像を絶するものである。この間、宮村氏らによる激しい説得の期間、偽装脱会の期間、偽装脱会をあきらめ、ハンガーストライキを3度も打った期間などを経過することになる。

以上がだいたいの12年5カ月の俯瞰図である。その間の細部は、今後の裁判の弁論の中で明らかにされると推定される。
 


後藤徹氏からのメッセージ

後藤徹氏古今東西、国家、民族、宗教、宗派、人種、主義主張の違いから、軋轢と衝突が繰り返されてきました。その際、マジョリティーがマイノリティーを暴力で押さえつけ、意のままにしてきた暗く長いトンネルをくぐり抜け、「世界人権宣言」に象徴されるように、現代に至っては、世界的に人権意識が高まっています。

ところが、21世紀に入ってもなお、それも、この「民主国家」を標榜する日本において、未だに野放し状態である「人権侵害、犯罪行為」が、『拉致監禁、強制棄教』なのであります。

今も、人知れずどこかのマンションの「監禁部屋」に閉じ込められ、棄教強要されている人がいるのです。

今回の私の提訴の目的は、自身の被害回復と同時に、自由と民主の法治国家であるはずの日本で何が起こったのか、その真実を明らかにし、「犯罪行為 野放し状態」に終止符を打つことにあります。

皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

後藤 徹


























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2011-01-24(Mon)
 
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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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