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後藤裁判 控訴審判決 傍聴記-後藤氏が涙した裁判長の説諭

大変お待たせして申し訳ありませんでした。

 2014年11月13日木曜日。この日の東京地方は、朝から真っ青な秋空が晴れ渡り、外気はひんやりしてるけど、お日様が当たるところはぽっかぽかで心地よく、紅葉麗しい日比谷公園のベンチに座ってずっとひなたぼっこしたくなるような、そんな恵まれた陽気。この日、いよいよ後藤徹氏が訴えた民事裁判の控訴審判決が言い渡されました(霞ヶ関の裁判所の隣にある日比谷公園では、今の季節、いちょう並木がとってもきれい)。

銀杏
<日比谷公園のいちょう並木
今の季節は、黄色く染まったいちょう並木を愛でに多くの人が訪れる。>


 この日、判決が言い渡されるのは、午後2時半から。私が2時前に裁判所の入り口を入ると、既にいつも傍聴券をもらうために待機する場所からはみ出して行列ができていて、職員の方が「傍聴の方はこちらに並んで下さ~い」と行列整理をしているほどの人数が集まっていました。「いや~、これは結構競争率が高いぞ~」と受け取った抽選券を握りしめ、当たりを念じていると、職員の方が「それでは、これから抽選を始めます。今日は42席に116人です」と発表。なるほど、今日判決が言い渡される824号法廷の傍聴席が42席で、ここにいるのが116人・・・。ということは、・・・競争率約3倍か~~!前方のボードに当たりの番号が張り出され、目をこらしてみると・・・やった~!今回も大当たり~!

というわけで、3倍の競争率を勝ち抜いて傍聴券を手にした私めが、僭越ながら傍聴記を綴らせていただきまする。



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2014-11-16(Sun)
 

控訴審結審 いよいよ次回判決下る!

<傍聴券を求め91人が集まる>
8月21日(木)10時半から東京高等裁判所511号法廷で後藤裁判控訴審第2回口頭弁論が行われました。運良く傍聴券が当たった私めが、傍聴記を綴らせていただきます。

まだ、午前中だというのにうだるような暑さの東京霞ヶ関。裁判所の門から中へ歩を進めると、既に後藤裁判の傍聴券を求めてかなりの人数が集まっていました。集まったのは40余りの傍聴席の2倍以上の91人。

今回は、当事者たちの内、新潟の新津福音キリスト教会牧師、松永堡智牧師の他は、511号法廷に全員集まりました。

傍聴席から見て左側の原告側席は原告の後藤さんと代理人の福本弁護士の2人だけなのに比べて、被告側席は、総勢11人(内、弁護士7人)。いつ見ても異様な光景です。

<いつものやり方・・・宮村(山口・木村弁護士)法廷3日前に膨大な証拠提出>
3人の裁判官が入廷すると、いつものように原告側、被告側双方が提出した書面の確認から始まりました。今回は、先回の法廷(6月5日の第1回口頭弁論)でも須藤典明裁判長が言明していたように7月いっぱいまでが書面提出期限のはずでしたが・・・。またまた、被告側は期限を破って書面を提出した模様です。というのも、被告宮村峻(代理人山口広、木村壮弁護士)の証拠書面確認の際に須藤裁判長は「本日提出分までということで」と。え!本日提出?
木村弁護士
<いつまでたっても提出期限を守られない山口広&木村弁護士。良い子の皆さんはまねをしないでくださいね!夏休みの宿題は期日をまもって提出しましょう!>



裁判が終わった後、後藤さんに聞いてみたところ、「今日の午前中も出してきたけど、3日前にも膨大な書面を出してきましたよ。」と呆れ気味に苦笑い。後藤さんによると、宮村(山口・木村弁護士)は、裁判当日の朝に証拠を提出したばかりでなく、法廷3日前(18日)にも乙ハ65号証~乙ハ100号証(35の証拠、束ねた紙の厚さ7cm)と82頁の分厚い準備書面を出してきたそうです。内容は、本件監禁事件と一体何の関係があるのかよく分からない過去の統一教会関連裁判で用いた資料群で、宮村(山口・木村弁護士)は、これらの膨大な証拠をもって、「原告の信じている統一教会は、こんなに悪いところです~!」と言いたいらしいです。もう一度言いますが、この膨大な書面を出してきたのが、法廷3日前です!こんなことが許されていいのでしょうか!これでは、原告側の反論機会はあり得ません。

しかし、裁判素人の私にはよく分からないのですが、裁判長は、特に問題視することもなく粛々と法廷を進めました。

<裁判長「尋問は行いません」・・・その時、被告側の反応は>
さて、書面確認が終わったところで、今回の法廷での一つの注目点であった「被告側の本人尋問を認めるか否か」に対する審理に入りました。先回の裁判傍聴記にもありますが、(傍聴記(その3)- 証拠&証人について)この控訴審のひとつのポイントは、被告側が申請した本人尋問を裁判所が認めるか否かでした。被告側としては、申請した本人尋問を裁判所が認定し、再度被告宮村等の尋問を行うことにより、一審判決を覆したいという狙いがあるわけです。

須藤裁判長は、今まで十分に審理を尽くした旨説明し、結論として、さらりと「尋問は行いません」と言及。これで被告側の狙いはあえなく潰えました。

この時の、被告側の面々の表情を見ていましたが、特に驚くわけでもなく、憤る様子も見えず、「ま、しょうがないね」「やっぱりね」みたいな雰囲気。そもそも控訴審ではよっぽどのことがない限りは、尋問をしないらしいので、(こちら参考)被告側も想定内だったのでしょう。それでも、やはり一縷の望みをかけていたのか、「尋問無し」がはっきりすると、被告席全体がドヨーンとなんとも重たい雰囲気になっていました。

<結審、そして、いよいよ控訴審判決が下される>
つづいて、裁判長は「これで結審します」と宣言。裁判に詳しくない私が調べたところ、「結審」とは、簡単に言うと「これでこの民事裁判の審理を終えますよ」ということで、「結審」の次の期日が「判決」となるわけです。

そして、須藤裁判長は、「判決は、11月13日(木曜日)の14時30分から824号法廷で行います」と述べ開廷から5~6分ほどで閉廷しました。

というわけで、12年5ヶ月拉致監禁事件の控訴審判決がいよいよあと2ヶ月半ほどで下されます。

一審判決は、原告側の勝訴となりましたが、控訴審では果たしてどのような判決が下されるのでしょうか。判決のパターンはおおよそ次の3つと考えられます。
①一審判決維持:一審判決をほぼそのまま継承し認定する。すなわち、一審判決とほぼ同じ判決認定。
②一審棄却:原告勝訴の一審判決を覆し、棄却する。すなわち、被告はお咎めなし。
③原告側完全勝訴:一審判決で認められなかった事実が認められ、原告側が一審以上の勝訴を勝ち取る。

本ブログでは、判決日までの間、控訴審の審理においてポイントとなると思われる証拠を選別して紹介していく予定です。これらの証拠を皆様が見て、読んで頂き、判決日までに、果たして上の①~③のどの判決になるのか、皆さん自身が予想してみるのも一興かもしれませんね。




これからも後藤徹氏の応援をよろしくお願いいたします。
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2014-08-22(Fri)
 

後藤徹氏の兄らの控訴理由書(1)の⑥―話し合いは強制ではなく、一審原告には話し合いを続ける信仰上の使命感があった・

今日でついに最終回です。
第9以降を最後までをアップします。

相変わらず、同じような主張を繰り返しており、正直なにも目新しいことはないです。
ですが、とうとう今回でこのシリーズも終わりますので、最後までお付き合いください。

原審判決引用部分は赤字で管理人によるものは青字で記載しています。


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2014-08-14(Thu)
 

後藤徹氏の兄らの控訴理由書(1)の⑤-一審原告は、マンションにいることについて不満を述べたことはない。

後藤徹氏兄らの控訴理由書(1)の第7と8をアップ致します。

あまりにも、同じことの繰り返しでブログアップの作業をしながらのような状態になりました。

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デンセンマンの電線音頭/しらけ鳥音頭

※目新しい主張は、青太字としました。

※繰り返し文は、茶太文字としました。

※世話人の呟きは、緑小文字にしました。

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2014-08-09(Sat)
 

ブログを始めます。

私たちは、統一教会員、元教会員という立場の違いを超え、「<保護という名の拉致監禁>を手段とする脱会方法」に反対します。私たちがその裁判を支援する後藤徹さんは、監禁場所から解放された2008年2月から今日まで、「12年5カ月の長きにわたって監禁されていた」と訴え続けてきました。私たちはこの声を真実だと確信しています。

その後藤さんは、拉致監禁、監禁致傷の責任を問うために、宮村峻(たかし)・タップ社長、松永堡智(やすとも)新津福音キリスト教会牧師などを相手取って、2011年1月31日、東京地裁に提訴しました。いよいよ3月22日から裁判が始まります。

そこで私たちは、これから始まる裁判の記録を社会に公開することにしました。なぜなら、これまで同じような裁判が4件ほど行なわれてきましたが、それらの裁判記録(訴状、陳述書、証言録、判決文など)はこれまでほとんどといっていいほど明らかにされてこなかったからです。ゆえに拉致監禁問題のどこが問題なのか、拉致監禁体験者たちはどんな思いを持っているのか等々、未経験の方々には判断する情報がなかったわけです。

そこで私たちは裁判所に提出される文章を、争点に関係しているものに限って、原告側提出・被告側提出を問わず、できるだけ公平にアップしていくつもりです。ぜひ公平な立場から読んでいただいて、思うところがあればコメント投稿していただくなり、メールでご意見をいただければ幸いです。
なお、後藤氏の拉致監禁事件についてはご存じない方が多いと思われますので、以下にだいたいの概略をご紹介します。

 

後藤徹氏拉致監禁事件とは

12年5カ月に及ぶ宮村峻・㈱タップ社長、松永堡智・新津福音キリスト教会牧師主導の拉致監禁に対し、被害者である後藤徹氏が1月31日、2億円に上る損害賠償請求の民事訴訟を提訴した。3月22日、東京・霞が関の東京地方裁判所7階の709号法廷で第1回口頭弁論が行われる(ぜひ傍聴を!!)

統一教会の信者である後藤徹氏に対し、宮村氏らが家族に拉致監禁を伴う脱会説得を指導。宮村氏が担当した期間、松永氏が担当した期間を合わせると、合計12年5カ月に及ぶ長期にわたる脱会説得が行われた。この拉致監禁は、2008年2月10日、家族らが保護説得を断念し、後藤氏を監禁場所から解放したことで終了するが、後藤氏は通常身長182㎝、体重70㎏台の体が、この時体重39㎏の激やせ状態で、極度の脱水症状を起こしており、たどり着いた先の教団本部職員が緊急入院の措置をとるというほどに、生命の危機状態にあった。

この拉致監禁による保護説得に対し、2008年4月、後藤氏は宮村、松永両氏と、家族らを相手取り、刑事告訴した。宮村、松永両氏は書類送検されたが、東京地検は2009年12月9日、不起訴の判断を下した。これに対して後藤氏は2010年6月23日、東京第4検察審査会に不服申し立てを行ったが、同年10月6日検察審査会は不起訴相当を議決。後藤氏はさらに拉致監禁の事実を社会に明示し、失われた12年5カ月の遺失利益を宮村氏らに償わせるため、このたび民事訴訟を提訴したものである。

以下後藤氏の12年5カ月の拉致監禁による保護説得の経緯を略述する。
<前史>
・1987年5月ごろ、後藤氏の兄が宮村氏主導の拉致監禁による保護説得を受ける。後藤氏の12年5カ月にわたる拉致監禁・保護説得の期間外であるが、この兄が宮村氏の会社㈱タップに入社し、以後後藤氏の拉致監禁・保護説得に重要な役割を果たすことになるため、ここに記す。

・1987年10月、後藤氏は音信不通となっていた(すなわち拉致監禁による保護説得を受けていた)兄から連絡を受け、新宿に呼び出されると京王プラザホテルに誘導され、そのまま家族らにより同ホテルに拉致監禁され、宮村氏による脱会説得を受ける。京王プラザホテルでの監禁は1週間で終了するが、その後杉並区荻窪のマンションの一室に移送され、拉致監禁による脱会説得を受け、荻窪栄光教会の礼拝に参加、また近隣の一軒家で宮村氏主宰の水茎会に出席。この時宮村氏が統一教会信徒を家族に持つ父兄らに対して指導している姿を目撃する。同年11月下旬、荻窪栄光教会の礼拝に参加した折、トイレに行くふりをして同教会建物から脱出。初回の拉致監禁から解放される。これもまた12年5カ月の期間外であるが、その前段として重要な要素であるので、ここに記す。

<12年5カ月>
・1995年9月11日、東京・西東京市の自宅(当時。父親宅)に帰宅滞在中、両親、兄、および庭に潜んでいた見知らぬ男性(のちに宮村氏の会社㈱タップ社員であることが判明)らに拉致監禁される。周囲を囲まれ、両脇を抱えられて抵抗できない状態で家から引きずり出され、ワゴン車に押し込まれ、そのままノンストップで新潟のマンションまで移送される。2回目の拉致監禁による脱会説得の始まりである。この新潟での期間約2年4カ月と、その後東京のマンションに移送されての期間約10年1ヶ月間が総計12年5カ月に及ぶ拉致監禁による脱会説得の期間である。

(1)1995年9月11日~1997年6月22日ごろ
1995年9月11日、西東京市の自宅で拉致されて新潟のパレスマンション多門607号室に移送されてから、1997年6月22日の父親の他界をきっかけとした東京・荻窪の荻窪プレイス605号室への移送までの約2年4カ月の期間が、まずその初期に当たる。移送はノンストップ。拉致監禁のターゲットとなった後藤氏が尿意を伝えても、パーキングエリアに駐車することはなく、事前に準備した簡易トイレで車中でさせる。監禁部屋の玄関は内側から特殊な鍵で施錠され、窓もストッパーで固定されていた。こうした環境の中で脱会説得が行われた。

(2)1997年6月22日ごろ~2008年2月10日解放されるまで。
当初荻窪プレイス605号室であったが、ここは半年程度の監禁で、すぐに荻窪フラワーホーム804号室に移送される。したがってほとんどの期間を荻窪フラワーホーム804号室で過ごすことになる。10年間を、玄関からは出られないマンションの中の一室で、しかも脱会説得者や監禁者が入室することを拒めない、共用部分と言ってもいい部屋で過ごすわけだから、想像を絶するものである。この間、宮村氏らによる激しい説得の期間、偽装脱会の期間、偽装脱会をあきらめ、ハンガーストライキを3度も打った期間などを経過することになる。

以上がだいたいの12年5カ月の俯瞰図である。その間の細部は、今後の裁判の弁論の中で明らかにされると推定される。
 


後藤徹氏からのメッセージ

後藤徹氏古今東西、国家、民族、宗教、宗派、人種、主義主張の違いから、軋轢と衝突が繰り返されてきました。その際、マジョリティーがマイノリティーを暴力で押さえつけ、意のままにしてきた暗く長いトンネルをくぐり抜け、「世界人権宣言」に象徴されるように、現代に至っては、世界的に人権意識が高まっています。

ところが、21世紀に入ってもなお、それも、この「民主国家」を標榜する日本において、未だに野放し状態である「人権侵害、犯罪行為」が、『拉致監禁、強制棄教』なのであります。

今も、人知れずどこかのマンションの「監禁部屋」に閉じ込められ、棄教強要されている人がいるのです。

今回の私の提訴の目的は、自身の被害回復と同時に、自由と民主の法治国家であるはずの日本で何が起こったのか、その真実を明らかにし、「犯罪行為 野放し状態」に終止符を打つことにあります。

皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

後藤 徹


























2011-01-24(Mon)
 
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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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